そうコンシェルジュに伝えると、すぐに広々としたラウンジへ通された。
フランス製の上質なソファに腰掛けると、見計らったようにスパークリングワインが運ばれてくる。
食事を予定している院長は、会議が長引き少し遅れると連絡があった。
まだ日本にやってきて一週間も満たない悠醐は、多忙な院長の姿に、近い未来の自分を重ねて気が重くなった。
(篠宮一葉)
まただ、と悠醐は自嘲した。少し気を抜くと、彼女の存在が頭を占める。
昨晩、音羽大学に赴任して初めて手術に入った。
本来の担当医が別件で対応できず、代わりに執刀を任された症例。
自分を地獄に突き落とした張本人であり、一葉の実の父親――篠宮誠だった。
あまりにも出来すぎた巡り合わせに、皮肉めいた笑みが浮かぶ。
(神にまで嘲笑れているようだよ)
喉の奥が熱い。アルコールからなのか、それとも、自分の血液からなのか。
視界いっぱいに広がるのは、優雅な空間。
高所得者たちが当然のように享受している静かな時間が流れ、悠醐もまたそこに馴染んでいた。
悠醐にとって、五年前には、想像もできなかった世界。
狭い部屋で、将来も見えず、ただ息をするだけで精一杯だった。
もとより家族との縁も薄く、孤独の中で彼は生きてきた。
唯一、心から信じた一葉にも、捨てられて。
篠宮家の仕打ちは、それだけでは終わらなかった。
悠醐はそっと目を閉じ、冷たい記憶に意識を送る。
(……もう、生きている意味がない)
大学病院を追われてからというもの、悠醐は幾つもの医療機関へ履歴書を送った。
だが、返ってくるのは一様に不採用の通知ばかり。
理由はどこにも記されていない。ただ、名を見た時点で切り捨てられている……そんな予感がした。
志していた医師としての道は閉ざされ、蓄えも尽きた。
そして、愛する一葉も傍にはいない。
すべてを失ったのだとようやく理解したとき、悠醐の足は自然とある場所へ向かっていた。
かつて、一葉に想いを告げた海岸だった。
空は荒れ、風は容赦なく吹きつけている。
波は激しく蠢き、人の唸り声のような耳障りする音を立てていた。
この身を投じれば、ひとたまりもないだろう。
「……これで終わりだ」


