孤高の心臓外科医は、憎しみの元恋人を熱情で囲い込む


一瞬言葉に詰まり、それでも続ける。
胸の奥が、鈍く締めつけられた。
憎んでいたはずなのに、目の前の父はあまりにも弱く、今すぐ手を差し伸べたくなる。
だが一葉は、ぐっと拳を握った。
父は頭を下げたまま、肩を震わせている。

「五十嵐先生にも……礼も尽くさず、無礼を重ねてしまった。すべて、私の責任です。ふたりとも、どうか幸せになってください」

許すことと、受け入れることは違う。
どちらも、今すぐに答えを出せるものではなかった。
もう、あの頃の自分ではない。この人に振り回されるだけの娘では、終わらない。
だから、一葉は父を置いてその場から離れた。前を向いて、一歩ずつ、踏みしめるようにして。悠醐の気配を、一葉はすぐ後ろに感じた。だが――。

「一葉。無理するな。俺に構うな」

悠醐に腕を引かれ、一葉はその場で足を止めた。

「悠醐、さん……?」
「行ってきてくれ」

低く落ち着いた声は、果てしなく優しかった。
怒りや憎しみの色は、微塵も感じない。ただ、優しく見守るような声だった。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていたものが崩れた。
こぼれた涙を止めることができないまま、一葉は振り返る。
頭を下げ続ける父を、そっと抱きしめた。

「一葉……」

広かったはずの背中が、こんなにも小さい。そして驚くほど軽かった。

「お父さん、今までありがとう」

まっすぐに伝えると、父の体が、びくりと震えた。
言葉にならないくぐもった声が、一葉の体に吸収されていった。
ゆっくりと腕を離し、その場を離れる。
言葉を重ねれば一気に崩れてしまいそうで、一葉はこれ以上は、何も言えなかった。

(だから、ここで終わりにするね)

父を残し、一葉は悠醐のもとへ戻っていく。
一度、すべてを失ったふたりだ。終わったはずの関係の中で、もう一度、手を取り合った。
だからこそ今度は、離れない。自分と、そして守るべきもののために生きていく。
その選択に迷いはなかった。

背後で、父のすすり泣く声が聞こえた。胸の奥がわずかに痛んだが、それでも一葉は歩みを止めなかった。
もう振り返らない。
悠醐にどこまでも付いていくと、一葉は決めたから。