そこにいたのは、工藤ではない。清香が、壁にもたれるようにして一葉を見ていた。
久しぶりに見るその顔は、記憶のまま――いや、それ以上に歪んだ笑みを浮かべている。
「……く、工藤先生はどこですか?」
問いかける声は、恥ずかしいくらい震えている。
「さあ? 呼んだ覚えはないわ」
わざとらしい返事に、一葉はすべてを理解した。
(工藤先生と清香さんに、はめられた……)
無意識に、一葉は守るようにして腹部に手を添えた。
その仕草を見逃さなかった清香が、視線をゆっくりと下へと向ける。
「ふぅん……悠醐さんとの子ねぇ」
ゆっくりと歩み寄ってくる清香に、一葉は後ずさりをする。足元を見る余裕もない。
ふと階段を踏み外しそうになって、一葉はとっさに、すぐ手前の手すりにつかまった。
「無事に生まれてくるといいわね」
その声は柔らかいのに、温度がない。伸びてきた手が、お腹に触れようとする。
一葉は反射的に体を背け、ぎりぎりで、その指先を避ける。
「……触らないで」
腹の底から出た声は低く、はっきりと廊下に響く。
警戒と明確な拒絶が混じった声に清香は一瞬ひるむが、すぐに気を取り直したようににやにやと笑い始めた。
「あなたに、とっておきの情報を教えてあげるわ。――悠醐さん、浮気してるわよ」
「……え?」
一瞬、呼吸が止まった。
脳裏に、あのときの光景がよぎる。黒いスーツに絡んでいた、長い茶色の髪。
激しく動揺する一葉に、清香はさらに畳みかけてきた。
「見たの。茶髪の綺麗な外国人といるところ。ずいぶん親しげだったわよ~。あんなに多忙な人なのにねぇ……裏ではちゃんと時間作ってるみたいよぉ」
一葉の指先が、わずかに震えた。
(うそだ)


