『俺は初め、君のスープに心を奪われた。とても深みがあって、塩気もちょうどよくて……本当に美味しくて好きだったんだ』
久登の言葉は、料理人として料理に真剣に向き合ってきた花梨にとって、この上ないご褒美だった。
もう夢が追えないかもしれない。料理人としての道が途絶えてしまうかもしれないというときに、久登は一番欲しかった〝もの〟をくれたのだ。
(久登さん、本当にありがとう)
久登にスープを作ってあげられる機会が、今後訪れる気がしない。でも花梨は、これだけは 絶対に叶えたいと思った。
自分が久登にできる、最初で最後の恩返し。
『スープ……よかったら作らせてくれませんか?』
花梨の提案に、久登はかすかに目を見開く。呆気に取られているようだっ
だがすぐに気を取り直したように、久登は彼女をまっすぐ見据える。
『ありがとう。また君の状況が落ち着いたときにでも……』
『いえ、どうしても……今日、作りたくて』
花梨は一瞬、言葉を探すように視線を落とし、それから小さく息を吸った。
『きっと、だいぶ先になってしまうから』
声が震えそうになるのを必死で抑え、花梨は久登を見つめ返す。
だいぶ先どころではない。花梨は、もうこれが最後になるような気がしていた。
久登は一度、言葉を飲み込むように黙り込んだ。
思案している様子だったが、やがて花梨の頑なな眼差しに押されるように、小さく頷く。
『じゃあ、お言葉に甘えて。俺の家のキッチンで構わないか?』
『……それでも、いいですか?』
花梨はほっとしたように息を吐き、それから控えめに続けた。
『家、あまり片付いていなくて。スープを作ったら、すぐ帰りますから』
『……分かったよ』
久登が受け入れてくれたことに、花梨は心底安堵した。
自宅はすでに引っ越し作業がほとんど終わり、もぬけの殻のような状態だ。彼を招いて料理をすることなど、最初からできるはずもなかった。
短時間で、けれど手抜きにはならないものを。きちんと美味しい一皿を作りたい。
そう考えた花梨は、オニオングラタンスープを作ることに決めた。
この時間帯で空いているスーパーは限られている。
それでも、スープの材料くらいなら最低限は揃えられるはずだ。


