すぐ耳元で聞こえた重く低い声の方へ視線を送ると、久登が険しい表情で角田を睨みつけていた。
いつも穏やかな優しい瞳の光が、一切感じられない。
『ひさと、さん……』
『うるせぇーな、お前誰だよ! 邪魔なんだよ。早く失せろ!』
ひどく酒に酔った角田は激しい剣幕でまくしたてるが、久登は一切ひるむことなく、静かに睨み返していた。
店内は水を打ったように静まり返り、張り詰めた空気がさらに重くなる。
そのとき、笑みを崩さない須天がこちらへ歩み寄ってきた。
『角田さん、ご無沙汰してります。うちの息子がご無礼を……』
『あぁ、正隆さん……』
須天の顔を見た途端、角田は恐縮した表情になり、花梨から手を離した。
だが久登は、まだ怒りが収まらない様子で、冷たい瞳のまま角田を見据えている。
『あの、久登さん……助けてくれて、ありがとうございます』
その声に、久登ははっとしたように視線を落とし、いつもの穏やかな眼差しを花梨に向けた。
『……大丈夫か。今日は、もう上がった方がいい』
『え……?』
久登は小さく息を吐くと、意を決したように厨房の方へ視線を向ける。
『忙しいのは分かる。でも、仲間が困っているのに、誰も声を上げないのはおかしいだろう』
久登の真摯な言葉は、その場にいる全員に十分届いたようだ。みな真剣な表情で、久登を見つめていた。
『久登さん……私は、大丈夫で……』
そう言いかけた花梨の隣にオーナーがやってきて、久登に深く頭を下げる。
『この度は、不快な思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした』
『……俺はいい。彼女に謝ってくれ』
久登は落胆が混じった声で告げると、須天に視線を送る。
『親父……申し訳ないが、食事を続ける気分じゃなくなった。今日は失礼するよ』
『おい、久登……!』
須天も角田との会話を中断し、慌てて久登の後を追おうとしたが、彼の意志は固いようで店からすぐに消えてしまった。
残された女性は驚いた表情でその場に固まっていたが、状況を飲み込んだのか、須天と角田の会話に交わり始めた。
でも何度も店の出入り口を気にしていたので、きっと彼が戻ってくるのを待っていたのかもしれない。
彼女とは、いったいどんな関係性なのか漠然と疑問に思うが、すぐに〝考えない〟と自分に言い聞かせた。
(なんだか、悪いことをしてしまったわ)


