気がづけば、クラリスは会場の外にいた。
いつどうやって、会場から離れたのか。いまひとつ思い出せない。
「……」
動く気力なんてないのに足が勝手に動く。
人目を避けるように、そして逃げるように。
「……。うっ」
喉の奥が詰まった。
けれど、涙は出ない。
泣きたいのに、うまく泣くことさえできなかった。
頭の中で、だれのものかもわからない声がくり返された。
盗人。
恥知らず。
失望した。
「……」
全部否定したかった。
違うと言いたかった。
それなのに、あの場では証明することができなかった。
自分が拠り所とすべき道具は、すべてエミリアのものになっていた。
書き換えられた記録と整えられた証言。
そんなものを用意されてしまっては、どれだけ言葉を尽くしても即座に覆せるわけがない。
「……どうして」
同じ言葉が、また口から零れた。
だれよりも努力した。
それだけは、確かだったはずなのに、どこを間違えてしまったのだろう。
「その結末、もう一度味わいたいとは思いませんわよね」
不意に、力なく歩くクラリスに声がかかった。
「……え?」
顔を上げる。
そこに立っていたのは、1人の娘だ。
月明かりに照らされた、整った横顔。
上品なドレス。
揺れる金の髪。
令嬢だとすぐにわかった。
その顔にも見覚えがある。
「……。キャサリン、公爵令嬢?」
思わず、その名前を口にしていた。
社交界でも名高い存在。
けれど、こうして直接言葉を交わしたことはまだなかった気がする。
「お見事でしたわね」
クラリスを見たキャサリンが、くすりと笑った。
「……?」
言わんとする言葉の意味がわからず、クラリスは呆然とキャサリンを見つめ返す。
「見事に、すべてを奪われて」
言葉が胸に突き刺さった。
「……っ。わざわざ、そんなことを言いに来たのですか?」
かすれた声で、どうにか返事を絞り出す。
もう十分だ。
聞きたくない。
これ以上どうして自分が責められなければいけないのか。
だが、キャサリンはゆっくりと首を横に振っていた。
「いいえ。むしろ、その逆ですわ」
キャサリンが動いたぶんだけ、彼我の距離が近づく。
その瞳はどこまでも静かで、そして何かこの世のものではないものを見通しているようだった。
「逆……?」
「ええ、そうですわ。あなた、やり直したいのでしょう?」
心の中を見透かされた気がした。
「やり直す? 何を馬鹿な……」
「素直になって」
迷いのない即答。
キャサリンの真っ白な指が、なぞるようにクラリスの頬に触れた。
怪しげなその動きに、クラリスが息を呑む。
それに構わず、キャサリンが淡々と話をつづけた。
「奪われたもの、失ったものを取り返すのです」
「……」
「本来、あなたのものだった全部をね」
「……そんなこと」
できるわけがない。
そう言いかけて、でも言葉が止まった。
相手は公爵令嬢なのだ。
底意地の悪い冗談を言うためだけに、自分のもとへ来たとはどうしても思えなかった。
「……」
できるのだろうか。
目の前のキャサリンが言うように、本当に取り戻すことなんて。
「できますわよ」
胸中の疑問に、あっさりとキャサリンが断言する。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば――」
言葉を遮るように、キャサリンがクラリスの唇にしーっと人差し指をあてた。
キャサリンが薄く微笑む。
「ただし、同じやり方は少々無謀ですわね」
「……同じやり方?」
キャサリンの視線が、まっすぐにクラリスを射抜く。
「ええ、そうです。あなたは正面から戦い、そして証明しようとした。それでは勝てません」
「……」
「相手は最初から、あなたを打ち負かすために準備を整えているのですから」
「じゃあ、どうすれば……」
すがるような問い。
こんな根拠もない話に飛びつくなんて、どうかしていると自分でも思う。
だが、クラリスに迷いはなかった。
満足げに、キャサリンの目元が細められる。
「同じ土俵に乗る必要はないのです。奪われる前に、奪わせましょう」
意味がよくわからない。
けれど、その言葉には妙な説得力があった。
その後もキャサリンの説明はつづいていく。
「相手が失敗するように導くのです」
それはあまりにも冷静で、あまりにも計算された考えだった。
キャサリンがどうして自分に手を貸してくれるのかはわからない。それに、どうやってやり直すのかも。
だが、クラリスはその手を握っていた。
唇を噛みしめ、震える指でしっかりとキャサリンの手を取る。
「お願いします……私に力を貸してください!」
「もちろんですわ。始めましょうか」
その笑みは優雅で、ほんの少しだけ、悪役のような美しさを持っていた。
いつどうやって、会場から離れたのか。いまひとつ思い出せない。
「……」
動く気力なんてないのに足が勝手に動く。
人目を避けるように、そして逃げるように。
「……。うっ」
喉の奥が詰まった。
けれど、涙は出ない。
泣きたいのに、うまく泣くことさえできなかった。
頭の中で、だれのものかもわからない声がくり返された。
盗人。
恥知らず。
失望した。
「……」
全部否定したかった。
違うと言いたかった。
それなのに、あの場では証明することができなかった。
自分が拠り所とすべき道具は、すべてエミリアのものになっていた。
書き換えられた記録と整えられた証言。
そんなものを用意されてしまっては、どれだけ言葉を尽くしても即座に覆せるわけがない。
「……どうして」
同じ言葉が、また口から零れた。
だれよりも努力した。
それだけは、確かだったはずなのに、どこを間違えてしまったのだろう。
「その結末、もう一度味わいたいとは思いませんわよね」
不意に、力なく歩くクラリスに声がかかった。
「……え?」
顔を上げる。
そこに立っていたのは、1人の娘だ。
月明かりに照らされた、整った横顔。
上品なドレス。
揺れる金の髪。
令嬢だとすぐにわかった。
その顔にも見覚えがある。
「……。キャサリン、公爵令嬢?」
思わず、その名前を口にしていた。
社交界でも名高い存在。
けれど、こうして直接言葉を交わしたことはまだなかった気がする。
「お見事でしたわね」
クラリスを見たキャサリンが、くすりと笑った。
「……?」
言わんとする言葉の意味がわからず、クラリスは呆然とキャサリンを見つめ返す。
「見事に、すべてを奪われて」
言葉が胸に突き刺さった。
「……っ。わざわざ、そんなことを言いに来たのですか?」
かすれた声で、どうにか返事を絞り出す。
もう十分だ。
聞きたくない。
これ以上どうして自分が責められなければいけないのか。
だが、キャサリンはゆっくりと首を横に振っていた。
「いいえ。むしろ、その逆ですわ」
キャサリンが動いたぶんだけ、彼我の距離が近づく。
その瞳はどこまでも静かで、そして何かこの世のものではないものを見通しているようだった。
「逆……?」
「ええ、そうですわ。あなた、やり直したいのでしょう?」
心の中を見透かされた気がした。
「やり直す? 何を馬鹿な……」
「素直になって」
迷いのない即答。
キャサリンの真っ白な指が、なぞるようにクラリスの頬に触れた。
怪しげなその動きに、クラリスが息を呑む。
それに構わず、キャサリンが淡々と話をつづけた。
「奪われたもの、失ったものを取り返すのです」
「……」
「本来、あなたのものだった全部をね」
「……そんなこと」
できるわけがない。
そう言いかけて、でも言葉が止まった。
相手は公爵令嬢なのだ。
底意地の悪い冗談を言うためだけに、自分のもとへ来たとはどうしても思えなかった。
「……」
できるのだろうか。
目の前のキャサリンが言うように、本当に取り戻すことなんて。
「できますわよ」
胸中の疑問に、あっさりとキャサリンが断言する。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば――」
言葉を遮るように、キャサリンがクラリスの唇にしーっと人差し指をあてた。
キャサリンが薄く微笑む。
「ただし、同じやり方は少々無謀ですわね」
「……同じやり方?」
キャサリンの視線が、まっすぐにクラリスを射抜く。
「ええ、そうです。あなたは正面から戦い、そして証明しようとした。それでは勝てません」
「……」
「相手は最初から、あなたを打ち負かすために準備を整えているのですから」
「じゃあ、どうすれば……」
すがるような問い。
こんな根拠もない話に飛びつくなんて、どうかしていると自分でも思う。
だが、クラリスに迷いはなかった。
満足げに、キャサリンの目元が細められる。
「同じ土俵に乗る必要はないのです。奪われる前に、奪わせましょう」
意味がよくわからない。
けれど、その言葉には妙な説得力があった。
その後もキャサリンの説明はつづいていく。
「相手が失敗するように導くのです」
それはあまりにも冷静で、あまりにも計算された考えだった。
キャサリンがどうして自分に手を貸してくれるのかはわからない。それに、どうやってやり直すのかも。
だが、クラリスはその手を握っていた。
唇を噛みしめ、震える指でしっかりとキャサリンの手を取る。
「お願いします……私に力を貸してください!」
「もちろんですわ。始めましょうか」
その笑みは優雅で、ほんの少しだけ、悪役のような美しさを持っていた。

