その日はすべてが報われるはずだった。
これまでの涙。
積み重ねた努力。
研鑽の日々。
王立魔導研究院――その発表会場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
貴族、研究者、王宮関係者。
錚々たる顔ぶれが集う中、壇上の中央に立つ一人の少女は、みなの期待の視線を一身に浴びていた。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
澄んだ声が会場に響く。
クラリス・レーヴェル。
伯爵家の長女でありながら、長年にわたり魔導研究に打ち込んできた努力家だ。
そして今日、彼女はついにその成果を発表する。
「……。ここまで来たのね」
独り言ちたつぶやきは、マイクに乗っていないためだれにも届かない。
胸の奥で静かに思ったに等しかった。
「……」
だれよりも早く起き、そしてだれよりも遅くまで机に向かった。
才能はなかった。
そのぶんだけ必死にやった。
理解されず、笑われたことも一度や二度ではない。
それでも諦めなかったのは、認めてほしかったからだ。
自分の力を。
自分の努力を。
クラリスの視線が、客席の一角へと向く。
そこには誇らしげに腕を組む婚約者ケヴィンの姿がった。
今日こそは……。
言葉には出さず、クラリスは小さく息を整える。
「それではこれより――」
「お待ちください」
発表を始めようとした瞬間に、凛とした声が空気を切り裂いた。
ざわりと会場が揺れる。
何事かと振り返る。
そこに立っていたのは、自分の妹だった。
「……。エ、エミリア?」
訳がわからない。
困惑気味にクラリスが名前を呼ぶ。
今がどれほど大事な場面か、それがわからない妹ではないだろうに。
クラリスのことなど気にせず、エミリアは薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと壇上へと歩み寄って来る。
「お姉様。その発表は、代わりに私が行いますわ」
「……。……え?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「どういう、こと……?」
「そのままの意味です」
エミリアはにこやかに微笑む。
「だって、その研究は、もともと私のものですから」
静寂。
不自然な沈黙が会場を包む。
だが、次の瞬間にはざわめきが爆発していた。
「な、何を言っているの……?」
かすれる声で、クラリスが問い返す。
冗談だと、そう言ってほしかった。
出来の悪いジョークだ、と。
しかし、クラリスの期待は鮮やかに裏切られる。
「お姉様こそ、人の研究データを勝手に盗むのはやめていただきたいものですわね」
「研究を盗む? 私が?」
「ええ、そうです。証拠もございますわ」
差し出されたのは、分厚い研究記録。
見覚えのある紙束だった。
しかし、その表紙に記されてあるはずの名前は、自分のものではない。
「エミリア・レーヴェルと、ここにちゃんと書いてあるでしょう?」
ぐらりと、視界が大きく揺れた。
立っていられない。
「それ……私の」
「お戯れを」
クラリスの言葉は、ぴしゃりと遮られる。
「これは最初から、私が進めていた研究ですわ」
「そんな、はず……!」
否定しようとして、でもうまく言葉が出て来なかった。
悪夢なら早く覚めてほしかった。
エミリアの手で、ページがめくられる。
そこに並ぶのは、どれも記憶にある内容だ。
しかし、その細部は微妙に書き換えられてある。
日付。
署名。
記録の順序。
すべてが、エミリアに都合のいい形へと改竄されていた。
「ご覧の通りです」
吐き気がした。
口元に手をやる姉のことなど微塵も気にせず、エミリアは堂々と言い放つ。
「お姉様は私の研究を盗んだのです」
どよめきが、さらに広がる。
「違……私じゃ」
「家族のすることだと大目に見ておりましたが、手柄を横取りされたんじゃ叶いません。ここからは、本来の研究者である私が発表をつづけましょう」
どれだけクラリスが弁明しようとも、もはや彼女の言葉は届かない。
会場は完全に妹であるエミリアに支配されてしまっていた。
「まさか……」
「姉が妹の成果を……?」
「嘆かわしいですな」
「クラリス嬢には期待していたんですがね、がっかりです」
突き刺さる視線。
疑念と軽蔑が混ざった空気に気圧されてしまって、クラリスは本来の力を発揮できなかった。
「違う……違うのよ……!」
必死に声を上げる。
「それは私が……ずっと……」
「見苦しいぞ、クラリス」
言葉を遮ったのは、低く冷たい声。
聞き覚えしかない声に、ゆっくりとクラリスが顔を上げる。
婚約者のケヴィンだった。
「あなた……まで?」
自分を信じてくれないのかと、絶望的なまなざしをクラリスは向けていた。
「証拠は揃っている」
彼はため息混じりに言う。
「エミリア嬢の記録、そして複数の証言。これ以上どうやって申し開きをするつもりだ?」
「でも……私は……!」
「もういい。失望した」
はっきりと、言い捨てられた。
その一言は、クラリスの胸を深くえぐる。
とどめを刺すには十分な一言だった。
「努力家だと思っていたが……他人の成果に手を出すとはな」
「そうじゃないの……お願い、信じて」
自分はいったいだれのために頑張っていたのか。
だれに認められたくて努力していたのか。
だれに褒められたかったのか。
ケヴィンその人ではなかったのか。
すべてを見失いそうだった。
自分に冷ややかな視線を向けたまま、男が一歩前へと踏み出す。
「このような不正を働く者を、我が家に迎えることはできないな」
冷酷な宣告。
これ以上ないほどの絶望が、クラリスを襲った。
「ここにクラリス・レーヴェル、お前との婚約を破棄することを宣言する」
音が消えた。
何も聞こえない。
何も感じない。
ただ、不吉な言葉だけが頭の中を何度もなんども反響した。
「どうして……」
幸せな未来を待っていた。
笑顔に満ちた生活が来ると信じて疑わなかった。
それなのに、これでは正反対ではないか。
視界がじわりと歪む。
「本当によろしかったんですの?」
エミリアの手が、なまめかしくケヴィンの腕にそっと触れた。
「ああ。問題ない」
ケヴィンもまた自然な仕草でそれに応える。
まるで最初から、そうであったかのように。
……ああ。
理解してしまう。
嫌でもわかってしまった。
最初からこれは決まっていたことなのだと。
努力も時間も何もかも、この日自分から奪うために計画していたことなのだと。
「……どうして」
ぽつりと言葉が零れる。
その問いは、だれに向けたものなのかもわからない。
返って来る答えはない。
ただ勝ち誇ったように、エミリアがクラリスを見て笑っていた。
「やだやだ、見苦しいですわね」
「情けないですわ」
「恥ずかしい……」
「伯爵の娘ともあろう者が」
すべてを失ったクラリスに、冷たい言葉だけが降り注ぐ。
会場にいただれ一人として、クラリスに味方はいない。
その中でただ2人、別の見方をする人物がいた。
1人は娘。
もう1人はその侍女である。
「いかがでしたか、お嬢様」
「ええ。助かったわ、エマ」
「いえいえ。たまたまちょうど妙な噂を耳にしたものですから」
「どちらにしろ、上出来よ。さあ、始めましょうか」
キャサリン・エルフェルトが不敵に微笑んだ。
――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです。
これまでの涙。
積み重ねた努力。
研鑽の日々。
王立魔導研究院――その発表会場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
貴族、研究者、王宮関係者。
錚々たる顔ぶれが集う中、壇上の中央に立つ一人の少女は、みなの期待の視線を一身に浴びていた。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
澄んだ声が会場に響く。
クラリス・レーヴェル。
伯爵家の長女でありながら、長年にわたり魔導研究に打ち込んできた努力家だ。
そして今日、彼女はついにその成果を発表する。
「……。ここまで来たのね」
独り言ちたつぶやきは、マイクに乗っていないためだれにも届かない。
胸の奥で静かに思ったに等しかった。
「……」
だれよりも早く起き、そしてだれよりも遅くまで机に向かった。
才能はなかった。
そのぶんだけ必死にやった。
理解されず、笑われたことも一度や二度ではない。
それでも諦めなかったのは、認めてほしかったからだ。
自分の力を。
自分の努力を。
クラリスの視線が、客席の一角へと向く。
そこには誇らしげに腕を組む婚約者ケヴィンの姿がった。
今日こそは……。
言葉には出さず、クラリスは小さく息を整える。
「それではこれより――」
「お待ちください」
発表を始めようとした瞬間に、凛とした声が空気を切り裂いた。
ざわりと会場が揺れる。
何事かと振り返る。
そこに立っていたのは、自分の妹だった。
「……。エ、エミリア?」
訳がわからない。
困惑気味にクラリスが名前を呼ぶ。
今がどれほど大事な場面か、それがわからない妹ではないだろうに。
クラリスのことなど気にせず、エミリアは薄い笑みを浮かべて、ゆっくりと壇上へと歩み寄って来る。
「お姉様。その発表は、代わりに私が行いますわ」
「……。……え?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「どういう、こと……?」
「そのままの意味です」
エミリアはにこやかに微笑む。
「だって、その研究は、もともと私のものですから」
静寂。
不自然な沈黙が会場を包む。
だが、次の瞬間にはざわめきが爆発していた。
「な、何を言っているの……?」
かすれる声で、クラリスが問い返す。
冗談だと、そう言ってほしかった。
出来の悪いジョークだ、と。
しかし、クラリスの期待は鮮やかに裏切られる。
「お姉様こそ、人の研究データを勝手に盗むのはやめていただきたいものですわね」
「研究を盗む? 私が?」
「ええ、そうです。証拠もございますわ」
差し出されたのは、分厚い研究記録。
見覚えのある紙束だった。
しかし、その表紙に記されてあるはずの名前は、自分のものではない。
「エミリア・レーヴェルと、ここにちゃんと書いてあるでしょう?」
ぐらりと、視界が大きく揺れた。
立っていられない。
「それ……私の」
「お戯れを」
クラリスの言葉は、ぴしゃりと遮られる。
「これは最初から、私が進めていた研究ですわ」
「そんな、はず……!」
否定しようとして、でもうまく言葉が出て来なかった。
悪夢なら早く覚めてほしかった。
エミリアの手で、ページがめくられる。
そこに並ぶのは、どれも記憶にある内容だ。
しかし、その細部は微妙に書き換えられてある。
日付。
署名。
記録の順序。
すべてが、エミリアに都合のいい形へと改竄されていた。
「ご覧の通りです」
吐き気がした。
口元に手をやる姉のことなど微塵も気にせず、エミリアは堂々と言い放つ。
「お姉様は私の研究を盗んだのです」
どよめきが、さらに広がる。
「違……私じゃ」
「家族のすることだと大目に見ておりましたが、手柄を横取りされたんじゃ叶いません。ここからは、本来の研究者である私が発表をつづけましょう」
どれだけクラリスが弁明しようとも、もはや彼女の言葉は届かない。
会場は完全に妹であるエミリアに支配されてしまっていた。
「まさか……」
「姉が妹の成果を……?」
「嘆かわしいですな」
「クラリス嬢には期待していたんですがね、がっかりです」
突き刺さる視線。
疑念と軽蔑が混ざった空気に気圧されてしまって、クラリスは本来の力を発揮できなかった。
「違う……違うのよ……!」
必死に声を上げる。
「それは私が……ずっと……」
「見苦しいぞ、クラリス」
言葉を遮ったのは、低く冷たい声。
聞き覚えしかない声に、ゆっくりとクラリスが顔を上げる。
婚約者のケヴィンだった。
「あなた……まで?」
自分を信じてくれないのかと、絶望的なまなざしをクラリスは向けていた。
「証拠は揃っている」
彼はため息混じりに言う。
「エミリア嬢の記録、そして複数の証言。これ以上どうやって申し開きをするつもりだ?」
「でも……私は……!」
「もういい。失望した」
はっきりと、言い捨てられた。
その一言は、クラリスの胸を深くえぐる。
とどめを刺すには十分な一言だった。
「努力家だと思っていたが……他人の成果に手を出すとはな」
「そうじゃないの……お願い、信じて」
自分はいったいだれのために頑張っていたのか。
だれに認められたくて努力していたのか。
だれに褒められたかったのか。
ケヴィンその人ではなかったのか。
すべてを見失いそうだった。
自分に冷ややかな視線を向けたまま、男が一歩前へと踏み出す。
「このような不正を働く者を、我が家に迎えることはできないな」
冷酷な宣告。
これ以上ないほどの絶望が、クラリスを襲った。
「ここにクラリス・レーヴェル、お前との婚約を破棄することを宣言する」
音が消えた。
何も聞こえない。
何も感じない。
ただ、不吉な言葉だけが頭の中を何度もなんども反響した。
「どうして……」
幸せな未来を待っていた。
笑顔に満ちた生活が来ると信じて疑わなかった。
それなのに、これでは正反対ではないか。
視界がじわりと歪む。
「本当によろしかったんですの?」
エミリアの手が、なまめかしくケヴィンの腕にそっと触れた。
「ああ。問題ない」
ケヴィンもまた自然な仕草でそれに応える。
まるで最初から、そうであったかのように。
……ああ。
理解してしまう。
嫌でもわかってしまった。
最初からこれは決まっていたことなのだと。
努力も時間も何もかも、この日自分から奪うために計画していたことなのだと。
「……どうして」
ぽつりと言葉が零れる。
その問いは、だれに向けたものなのかもわからない。
返って来る答えはない。
ただ勝ち誇ったように、エミリアがクラリスを見て笑っていた。
「やだやだ、見苦しいですわね」
「情けないですわ」
「恥ずかしい……」
「伯爵の娘ともあろう者が」
すべてを失ったクラリスに、冷たい言葉だけが降り注ぐ。
会場にいただれ一人として、クラリスに味方はいない。
その中でただ2人、別の見方をする人物がいた。
1人は娘。
もう1人はその侍女である。
「いかがでしたか、お嬢様」
「ええ。助かったわ、エマ」
「いえいえ。たまたまちょうど妙な噂を耳にしたものですから」
「どちらにしろ、上出来よ。さあ、始めましょうか」
キャサリン・エルフェルトが不敵に微笑んだ。
――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです。

