タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 夜会の夜が、再びやってきた。
 広間には色とりどりのドレスと、磨き上げられた燕尾服が行き交っている。
 シャンデリアの光が床の大理石に反射して、まるで水面のように揺れていた。
 キャサリンにとっては二度目の夜だが、ここにいる人間のほとんどにとっては、ただの秋の終わりの夜会にすぎない。

 キャサリンは広間の端に立ち、グラスを手に全体を見渡した。
 エマが耳元で小さく告げる。

「メアリー様、いらっしゃいます」
「ええ、見えているわ」

 今夜のメアリーは、落ち着いた青のドレスを身にまとっていた。
 前回と同じ装いだ。
 しかし、その佇まいは以前と少し違う。表情に、余裕がある。きちんと準備をしてきた人間の、静かな落ち着きだった。

 少し離れた場所でメアリーと目が合った。
 メアリーが、ほんのわずかだけ顎を引いた。準備はできている、という合図だ。キャサリンも同じように、小さくうなずき返した。

 あとは、ロナルドが動くのを待つだけでいい。



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 夜会が進むにつれ、会場の空気が少しずつ変わっていく。
 音楽が止まり、人々の動きが自然と中央へ集まり始める。
 ロナルドが広間の中央に進み出た。
 取り巻きを3人ほど連れている。その足取りには迷いがなく、これから何をするかを決心しているようだった。

「少々、皆様にご報告がございます」

 よく通る声が広間に響いた。
 周囲の話し声が自然と収まっていく。
 ロナルドはそれを確認してから、満足げに続ける。

「本日をもって、メアリー嬢との婚約を解消いたします」

 ざわめきが走った。
 メアリーが、静かにロナルドを見た。
 今回も表情に動揺はない。

「理由をお聞かせいただいてもよろしいですか」

 メアリーの声は落ち着いていた。

「もちろんです」

 ロナルドが、芝居がかった仕草で首を振った。

「残念ながら、メアリー嬢が他の男性と密かに逢瀬を重ねていたという事実が明らかになりました。これ以上、婚約を継続することは我が家の名誉に関わります」

 どよめきが広間を包む。

「証人もおります」

 ロナルドが目配せをすると、取り巻きの1人が進み出た。

「私が直接、目にしました。夜半過ぎに、メアリー嬢が見知らぬ男性と、人目を避けるように歩いていたと記憶していたのですが、今夜、確信いたしました。あれはメアリー嬢ではありません」

 ロナルドの眉が、かすかにひそめられた。

「何を言っている……?」
「私が見た女性の髪は栗色。メアリー嬢とでは髪の色が全く違います。どうやら私は勘違いをしていたようです、大変申し訳ありません」

 ロナルドにとっては想定外の事態だ。
 焦りを押し隠したまま、もう1人の取り巻きにすぐさま目を向ける。
 だが、そちらの取り巻きにいたっては、前に出ようともしなかった。
 広間のざわめきが、少しずつ質を変えていった。
 困惑の色が、会場全体に滲みはじめる。

「証人はいないのですか?」

 その静寂を破ったのは、メアリーだ。
 穏やかな声だった。
 責めるでもなく、怒るでもなく、ただ事実を確認するような声音でロナルドに尋ねる。
 しかし、その一言は、広間の空気を大きく揺らした。

「そのような事実はないと申し上げましたが、証人がいないのであれば、なおさら根拠がないということになりますね」

 ロナルドの顔が、みるみる固まっていく。

「お前たち、何をしている! 早く本当のことを言わないか!」

 そこへキャサリンが静かに口を開いた。

「少々よろしいですか」

 グラスをテーブルに置き、一歩前へ出る。
 注目が集まるのを感じながら、キャサリンは落ち着き払った声で続けた。

「証人がいらっしゃらないようですので、こちらからも少しご報告させていただきますわ」

 エマが静かに前へ出た。手には整理された書類が数枚ある。

「メアリー様が不貞の逢瀬を重ねたとされる日時について、ご本人の行動を証明できる方がいらっしゃいます」

 キャサリンが合図をすると、広間の端に控えていた2人が前へ進み出た。
 1人はメアリーの侍女。もう一人は、その日メアリーが訪問していた屋敷の主人だ。社交界での信用も厚い。

「メアリー嬢はその日、遅くまで儂の屋敷にいた。根も葉もないでっちあげだな」

 屋敷の主人が、はっきりと言い切る。
 侍女も恐るおそるといった態度で、メアリーに加勢する。

「私もずっとおそばにおりました。ほかにはどこにも出かけておりません」

 広間が、しんと静まり返った。
 ロナルドの取り巻きが、予定調和のように視線を逸らす。

「……これは」

 ロナルドがようやく口を開いた。しかし声に力がない。

「誤解が、あったようで――」
「ロナルド様」

 キャサリンが穏やかに遮った。

「一つだけ確認させてください」

 広間全体が、キャサリンに注目している。
 キャサリンはロナルドをまっすぐに見て、静かに問いかけた。

「あなたはメアリー様を愛しておられるから、婚約されたのですよね?」

 一瞬の沈黙。
 ロナルドが答えに詰まった。
 それはほんの数秒のことだったが、広間にいた全員がその沈黙を聞いた。
 愛しているとすぐに言えなかった。
 その事実は何よりも重かった。
 ロナルドが口を開くよりも先に、メアリーが動く。

「婚約破棄、謹んでお受けいたします」

 ゆっくりと、しかし迷いのない足取りで、メアリーがロナルドの前へと歩み出る。
 背筋が伸びていた。
 顔には、怒りでも悲しみでもない、それどころかいくらかの喜びさえも感じられる。

「ただし、その理由はあなたの側にあることを、ここにいる皆様はご存知になりました」

 はっきりとした声が、広間に響いた。
 誰も何も言わなかった。
 ロナルドの顔が、じわじわと赤くなっていく。
 怒りか、羞恥か、あるいはその両方か。
 だが、もはや今さら何を言っても、この場を覆すことはできない。証人は消え、証言は崩れ、メアリーの行動は証明された。

 ロナルドに残されたのは、大人しく引き下がるか、さらなる醜態をさらすかの二択だけだった。
 取り巻きの1人が、小声でロナルドの袖を引く。

「失礼させてもらおう!」

 ロナルドが、悔しげに唇を噛んで、踵を返す。
 そんなロナルドをあざ笑うように、どこかから野次が飛んだ。

「賠償金を求めていたんじゃないのか?」

 一瞬、ロナルドの足が止まる。
 その体がわなわなと震えていたが、ついに振り返ることはしなかった。
 パチ……パチパチ。
 まばらな拍手がメアリーに向けられた。最初は小さなものだったが、やがてそれは広間全体へと広がっていく。

 キャサリンはその光景を、少し離れた場所から眺めていた。

 ――見事ね、メアリー嬢。

 胸のうちではそうつぶやいたが、声に出ていたのは別の言葉だった。

「うーん、なんだろう……」
「どうかしたんですか、お嬢様?」

 エマが尋ねる。
 だが、キャサリンは最後まで応じなかった。

 ――取り巻きが従順すぎるような……。

 ロナルドを追うキャサリンの視線に思うことがあったようで、エマもまた取り巻きの3人を見つめていた。