タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 秋の終わりを告げる風が、王都の街路樹を揺らす。
 キャサリン・エルフェルトは午後の紅茶を前に、机の上に広げた書類を眺めていた。
 内容は大したものではない。いくつかの社交上の招待状と、エマが整理した直近の情報まとめ。王都の噂話の類だ。

 静かな午後だった。
 穏やかすぎて、少しだけ物足りない気もする。

「お嬢様」

 エマが部屋の扉を静かに開けた。

「来客です」
「どちら?」
「フィリップ様でございます」

 キャサリンは書類から目を上げる。
 フィリップ・エルフェルト。父方の従兄弟にあたる青年だ。展覧会での一件以来、たまに顔を合わせる機会が増えた。

 以前よりずっと話しやすくなったとは思うが、それでもやはり、突然訪ねてくるような間柄ではない。

 ――また何かあったのね。

 退屈していたところだと、少しだけキャサリンは意地の悪い笑みを口元に浮かべた。もちろん、他人に不幸が訪れればいいなどと、キャサリンも思ってはいない。

「通して」

 短く答え、書類をまとめて脇に置く。
 まもなく応接室に現れたフィリップは、いつもと少しだけ様子が違った。
 整った顔立ちに、どこかぎこちない表情が張りついている。
 飾り気のない服装は変わらないが、その立ち居振る舞いには余裕がない。……これはいつものことかもしれない。

 言いにくいことを言いに来た人間の顔だと、キャサリンはすぐに見抜いた。

「久しぶりですわね、フィリップ様」
「ああ」

 向かいの席に腰を下ろしたフィリップが答える。
 エマが紅茶を用意して下がった。
 しばらくは沈黙。
 この前と同じだ。

「……」

 キャサリンは急かさなかった。
 フィリップが紅茶のカップに視線を落としたまま、ゆっくりと口を開く。

「……頼みたいことがある」
「伺いましょう」

 重い口から絞り出された話は、こういうことだった。
 メアリー・フィグマー子爵令嬢。
 フィリップの幼馴染にあたるこの女性は、現在、伯爵家の嫡男ロナルド・ベインと婚約している。
 しかし近ごろ、その婚約者の様子がおかしい。メアリーへの態度が冷たくなり、社交の場でも彼女を蔑ろにするような素振りが見えはじめたのだ。

 さらに、ロナルドの周辺では不穏な噂が流れているという。
 メアリーが他の男と密会しているという話だった。

「でたらめだ!」

 フィリップがはっきりと言い切った。
 その声に迷いはないどころか、明確に相手への非難が混じっている。

「メアリーは断じてそんなことをする人間じゃない! だが、このまま放っておけば……近いうちによくないことが起こるだろう……」

 キャサリンがフィリップを見つめる。

 ――確かにきな臭い。

 何かあるのは間違いないだろう。
 この王都で長く生きていれば、嵐の前の空気を読むことくらいはできる。フィリップの直感は正しいとキャサリンにも感じられた。

「わかりました。お力になりましょう」

 即答した。
 フィリップが、わずかに肩の力を抜く。しかし次の瞬間、また別の緊張が彼の表情に滲んだ。

「ひとつだけ、条件がある」

 キャサリンが片眉を上げた。

「この依頼が私から来たものだということを、メアリーには黙っていてほしい」

 静寂が応接室に落ちた。
 キャサリンはしばらく、フィリップの顔を見ていた。
 真剣な目だ
 すでに覚悟を決めた人間の目をしていた。

 ――ああ、そういうこと。

 腑に落ちた。
 フィリップがメアリーを慕っていることは、今この瞬間に確信した。
 だからこそ、条件の意味がよくわかる。
 助けたい。
 でも、自分の名前では助けたくない。
 それは恩を着せることを嫌う、不器用な誠実さの表れだ。好いている相手に、借りを作らせたくないのだろう。

 キャサリンはそれ以上、何も聞かなかった。

「……わかりました」

 静かにうなずく。

「ただし、私のやり方で進めます。よろしいですね?」
「頼む」

 それっきりで、2人の間に大きな言葉はない。
 フィリップは立ち上がり、一礼して部屋を出ていく。
 その背中が廊下の向こうに消えるのを見届けてから、キャサリンは静かに紅茶のカップを手に取った。

 少しだけ紅茶は冷めていた。

「エマ」
「はい、お嬢様」

 呼べば、気配もなく扉の脇に立っていたエマが、一歩前へと進み出る。

「メアリー・フィグマー子爵令嬢について、調べてちょうだい。それと、ロナルド様についても」
「すでに着手しております」

 さらりと返ってきた答えに、キャサリンは小さく笑った。

「相変わらず仕事が早いわね」
「フィリップ様がいらした時点で、おおよその予想がつきましたので」

 涼しい顔のエマに、キャサリンは苦笑しながら窓の外に目をやった。秋の終わりの空は、どこまでも青かった。

 ――さて。

 今度はどんな結末を用意してあげましょうか。
 その答えは、すでに半分ほど決まっていた。