セリーヌの動きは速かった。
あらかじめ根回しをしていたのだろう。
王宮の関係者が、深刻な顔で別の者へと話しかけ、その輪は瞬く間に広がっていく。
ほどなくして会場の空気が変わる。
「……」
ヴィクターのもとにも関係者が近づき、何かを告げていた。
困惑へと変わる表情。
その視線はリディアへと向けられる。
リディアは立ち上がり、何かを伝えようとしているが、すでにその言葉は届かない。
セリーヌが用意した書類が、様々な者の手に渡ってしまっていた。
改竄された証拠。
整えられた証言。
――鮮やかな手並みね。
エマが集めた情報は手元にあるが、それを公の場で突きつけるためには、まだ一手足りていない。
「お嬢様?」
エマがキャサリンに問う。
その声には、わずかに非難の色があった。
端的に何もしないのかと、キャサリンを責めているようだった。
「わかっているわ……」
キャサリンは唇を引き結ぶ。
同じ頃にヴィクターも、ため息混じりに口を開いていた。
「……リディア。証拠は揃っているんだ」
その声は、決して冷たくはない。
静かな失望であり、ある意味では、かえって残酷だった。
「努力家だと思っていたが……まさか、こんな形で名前を残そうとするとは思っていなかったぞ」
「違うわ! 話を聞いて」
リディアの声が震える。
会場の視線が一斉に彼女を向く。
思わず出ていきたい衝動に駆られたが、拳を強く握りこむことで、キャサリンは自制した。
――じれったいわね。
もう少し時間があれば、タイムリープをせずとも覆せたかもしれない。
だからこそ、もどかしい。
これほど悔しい思いをしたのは、久しぶりだった。
「さよならだ、リディア。君との婚約も考えなおさせてくれ……」
ヴィクターの言葉が会場に落ちていく。
リディアが一瞬だけ動きを止める。
その横顔から、何か大事なものが抜け落ちていくのが見えた気がした。
✿✿✿❀✿✿✿
会場が落ち着きを取り戻しはじめた頃、リディアは静かに会場をあとにした。
キャサリンはその背中を目で追いながらも、立ち上がることまではしない。
今はまだ、我慢だ。
辛抱強く、情報をつかもう。
「エマ。医師たちの会話を拾えるだけ拾っておいて。薬の投与について、何か方針が出ているかもしれない」
副作用についての問題は未解決だが、それ自体がリディアの一件でうやむやにされてしまった。
――もしも、最悪の想定をするなら――。
副作用の存在自体がなかったことにされているのかもしれない。
「……」
エマが会場の端をゆっくりと歩きながら、医師たちのそばを通り過ぎていく。
その足取りは自然で、だれも彼女が情報を集めていることに気づかない。
「お嬢様」
数分後、エマが戻って来る。
その足が、いつもより少しだけ速い。
態度から異常を知らせていた。
「……。どういう方針だったかしら?」
「それ以前の問題かもしれません」
「どういうこと?」
エマがキャサリンの耳元に顔を近づける。
「投与がすでに始められています。それも、王宮からではなく侯爵家の判断で、承認前から」
キャサリンの思考が一瞬止まる。
――なんてこと……。もう使われていたなんて。
「しかも、衰弱の著しい患者が出ているという話が、医師たちの間で出ていました。場所は王都外れの診療所だと」
診療所という言葉が、キャサリンの胸を冷たく貫いていた。
そこはリディアが毎日通っている診療所にほかならない。
――まずいわね。情報を集めているどころの騒ぎじゃないわ。
悠長なことはしていられない。
「急ぐわよ、エマ!」
キャサリンは立ち上がり、会場を出た。
足を速める。
廊下を駆けるように抜け、王宮の外へ。
馬車に乗り込んだキャサリンは、短く行先を告げる。
「診療所へ」
✿✿✿❀✿✿✿
その知らせはリディアのもとにも届いていた。
そんなはずはないと思った。
今朝までは元気だったのだ。まさか、自分の知らない間に投薬が開始されているなんて、ありえない。
それなのに、自分の腕の中にいるカイムは、今朝とは打って変わって弱々しい姿になってしまっていた。
「ごめんな、姉ちゃん……。せっかく姉ちゃんを手伝えると思ったのに……全然ダメだった。薬が俺のせいで台無しになっちゃったな……。ごめんなさい……ごめんなさ……」
カイムの体から急速に力が抜けた。
リディアが反応のなくなった子供の体をきつく抱きしめる。
「誰がやったの……。誰がこの子に薬をあげていいと許可を出したの!」
リディアの怒声に答える者はいない。
その答えはリディアもわかっていた。
ヴィクターだ。
彼がうまいことカイムを誘導したのだろう。ひょっとしたら、君の体で薬が完璧だと証明してみせようなどと、言ったのかもしれない。
副作用を軽視した。
あれだけ自分が何度も伝えたのに、結局、ヴィクターにリディアの言葉は響いていなかったのだ。
キャサリンが診療所に到着したのは、それからすぐのことだった。
何が起こったのかは一目で理解した。
子供を抱いたまま動かないリディアの姿を見て、キャサリンは自分の不明さを呪った。
声をかけることなどできるはずがなかった。
――許して、リディア嬢。
絶対にヴィクターには相応の報いを受けさせる。
それだけを心に、キャサリンの意識は闇へと落ちていった。
あらかじめ根回しをしていたのだろう。
王宮の関係者が、深刻な顔で別の者へと話しかけ、その輪は瞬く間に広がっていく。
ほどなくして会場の空気が変わる。
「……」
ヴィクターのもとにも関係者が近づき、何かを告げていた。
困惑へと変わる表情。
その視線はリディアへと向けられる。
リディアは立ち上がり、何かを伝えようとしているが、すでにその言葉は届かない。
セリーヌが用意した書類が、様々な者の手に渡ってしまっていた。
改竄された証拠。
整えられた証言。
――鮮やかな手並みね。
エマが集めた情報は手元にあるが、それを公の場で突きつけるためには、まだ一手足りていない。
「お嬢様?」
エマがキャサリンに問う。
その声には、わずかに非難の色があった。
端的に何もしないのかと、キャサリンを責めているようだった。
「わかっているわ……」
キャサリンは唇を引き結ぶ。
同じ頃にヴィクターも、ため息混じりに口を開いていた。
「……リディア。証拠は揃っているんだ」
その声は、決して冷たくはない。
静かな失望であり、ある意味では、かえって残酷だった。
「努力家だと思っていたが……まさか、こんな形で名前を残そうとするとは思っていなかったぞ」
「違うわ! 話を聞いて」
リディアの声が震える。
会場の視線が一斉に彼女を向く。
思わず出ていきたい衝動に駆られたが、拳を強く握りこむことで、キャサリンは自制した。
――じれったいわね。
もう少し時間があれば、タイムリープをせずとも覆せたかもしれない。
だからこそ、もどかしい。
これほど悔しい思いをしたのは、久しぶりだった。
「さよならだ、リディア。君との婚約も考えなおさせてくれ……」
ヴィクターの言葉が会場に落ちていく。
リディアが一瞬だけ動きを止める。
その横顔から、何か大事なものが抜け落ちていくのが見えた気がした。
✿✿✿❀✿✿✿
会場が落ち着きを取り戻しはじめた頃、リディアは静かに会場をあとにした。
キャサリンはその背中を目で追いながらも、立ち上がることまではしない。
今はまだ、我慢だ。
辛抱強く、情報をつかもう。
「エマ。医師たちの会話を拾えるだけ拾っておいて。薬の投与について、何か方針が出ているかもしれない」
副作用についての問題は未解決だが、それ自体がリディアの一件でうやむやにされてしまった。
――もしも、最悪の想定をするなら――。
副作用の存在自体がなかったことにされているのかもしれない。
「……」
エマが会場の端をゆっくりと歩きながら、医師たちのそばを通り過ぎていく。
その足取りは自然で、だれも彼女が情報を集めていることに気づかない。
「お嬢様」
数分後、エマが戻って来る。
その足が、いつもより少しだけ速い。
態度から異常を知らせていた。
「……。どういう方針だったかしら?」
「それ以前の問題かもしれません」
「どういうこと?」
エマがキャサリンの耳元に顔を近づける。
「投与がすでに始められています。それも、王宮からではなく侯爵家の判断で、承認前から」
キャサリンの思考が一瞬止まる。
――なんてこと……。もう使われていたなんて。
「しかも、衰弱の著しい患者が出ているという話が、医師たちの間で出ていました。場所は王都外れの診療所だと」
診療所という言葉が、キャサリンの胸を冷たく貫いていた。
そこはリディアが毎日通っている診療所にほかならない。
――まずいわね。情報を集めているどころの騒ぎじゃないわ。
悠長なことはしていられない。
「急ぐわよ、エマ!」
キャサリンは立ち上がり、会場を出た。
足を速める。
廊下を駆けるように抜け、王宮の外へ。
馬車に乗り込んだキャサリンは、短く行先を告げる。
「診療所へ」
✿✿✿❀✿✿✿
その知らせはリディアのもとにも届いていた。
そんなはずはないと思った。
今朝までは元気だったのだ。まさか、自分の知らない間に投薬が開始されているなんて、ありえない。
それなのに、自分の腕の中にいるカイムは、今朝とは打って変わって弱々しい姿になってしまっていた。
「ごめんな、姉ちゃん……。せっかく姉ちゃんを手伝えると思ったのに……全然ダメだった。薬が俺のせいで台無しになっちゃったな……。ごめんなさい……ごめんなさ……」
カイムの体から急速に力が抜けた。
リディアが反応のなくなった子供の体をきつく抱きしめる。
「誰がやったの……。誰がこの子に薬をあげていいと許可を出したの!」
リディアの怒声に答える者はいない。
その答えはリディアもわかっていた。
ヴィクターだ。
彼がうまいことカイムを誘導したのだろう。ひょっとしたら、君の体で薬が完璧だと証明してみせようなどと、言ったのかもしれない。
副作用を軽視した。
あれだけ自分が何度も伝えたのに、結局、ヴィクターにリディアの言葉は響いていなかったのだ。
キャサリンが診療所に到着したのは、それからすぐのことだった。
何が起こったのかは一目で理解した。
子供を抱いたまま動かないリディアの姿を見て、キャサリンは自分の不明さを呪った。
声をかけることなどできるはずがなかった。
――許して、リディア嬢。
絶対にヴィクターには相応の報いを受けさせる。
それだけを心に、キャサリンの意識は闇へと落ちていった。

