タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 季節が一つ、動いた。
 春の終わりに仕込んだ調合たちは、夏の盛りに形を変え、秋の入り口でようやく確かな輪郭を持ちだした。7年越しの研究に手応えを感じはじめていた。

 リディアは今日も机に向かう。
 調合室の窓から差しこむ光は、少し前まで白かったのに、いつの間にか金色を帯びている。
 季節がどれだけ変わっても、部屋の景色にはほとんど差がない。
 薬草の束。
 試験管の列。
 びっしりと書き込まれた手帳。
 そして、少しずつだが着実に、完成へと近づいている調合の記録。
 指先が震えた。
 興奮からだった。

「……。これなら!」

 思わず、口から声が出る。
 今日試みた調合は、これまでのどれとも違う感触があった。
 副作用の原因として疑っていた成分の効果を、別の薬草で中和することに成功したのだ。

「でも、まだ……」

 確認が必要だ。
 再現性を確かめなければならない。
 それでも今日、夢の薬に大きく前進した。
 もうすぐ手が届く。
 本当に、助けられるかもしれない。
 リディアは大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
 あと少し、もう少しだけ……。



✿✿✿❀✿✿✿



 夕刻、ヴィクターが調合室を訪ねて来た。
 珍しいことだった。
 いつもは夜遅くにひょいと顔を出す程度だが、今日はずいぶんと早い時間だ。
 しかも、どこか改まった様子で扉を開けている。

「少しいいか? 話をしたい」

 椅子を勧めると、ヴィクターは素直に腰を下ろした。
 そうして、向かいに座ったリディアをまっすぐに見つめる。

「あの薬なんだが……そろそろ、王宮への申請を考えてもいい頃じゃないか?」

 リディアは首を傾げた。

「申請? まだ完成していないよ」
「だが、もうおおよそのものはできているんだろう?」
「それは……そうだけど、ちょっとまだ問題が残っていて――」

 言いかけたリディアを、ヴィクターが穏やかにさえぎる。

「それについては、申請しながら改良を続ければいいさ。王宮への認可が下りるまでには、時間がかかるからな。その間に調整すればいい」

 理屈としてはわからなくもない。
 だが、少し横暴な気がする。

「今のままじゃ、まだ患者に使えないよ。認可が下りても、未完成の薬じゃ届けられないよ」
「もちろん! 薬は完成してから届ければいい。申請と完成は別の話だ」

 ヴィクターの言葉は、一つひとつは筋が通っているとリディアも思う。だが、すんなりと受け入れるには、やはり抵抗を感じた。

「……」

 ヴィクターが少し声のトーンを変えた。

「それから、申請はランドール家の名義で出そうと思う」

 リディアの手が止まる。

「どういう意味?」
「そのままの意味だ。いくらリディアが有名とはいえ、平民の薬師で申請するよりも、侯爵家の名義が入ったほうが話が通りやすい。王宮というのは、そういう場所だからな。それはリディアだってわかっているだろう?」

 否定はできない。
 それが現実だということはリディアも知っている。
 貴族社会の壁は厚いのだ。
 腕を磨くだけでは難しい部分がある。
 その意味では、ヴィクターの言っていることは正しかった。
 リディアは慎重に言葉を選ぶ。

「……。……でも、これは私の研究だよ。7年かけて積み上げてきたものなの」

 リディアはそこで一旦、言葉を区切る。
 あの子供たちが救えるのであれば、名義にこだわる意味はないのかもしれない。
 だが、子供たちもリディアが薬を作っていることを知っているのだ。完成させるのはリディアだと信じている子供だっている。

 期待に応えたいというのとは少し違うが、信頼を裏切るような真似はしたくない。自分の名前が入っている薬を、子供たちが安心して飲める薬をリディアは届けたかった。

 だからこそ、はっきりとヴィクターに告げる。

「私の名前を残してくれない?」

 ヴィクターはかすかに表情を曇らせた。困ったような、それでいて意外そうな顔だった。

「リディアは俺の婚約者だろう? 婚約者の功績は夫の功績でもある。そういうものじゃないか」
「……」

 リディアは返す言葉を探した。
 だが、見つかりそうになかった。