タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 申し立てを持ち込む相手としてソフィアが選んだのは、上席審査員のマーガレット博士だった。
 ベテランの女性研究者。
 院内では数少ない、派閥に属さない人物としても知られている。
 身内びいきと思われたくはない。アルバートの名前は出したくなかった。

「ソフィア嬢」

 執務室に通され、マーガレットがソフィアを見た。
 年齢を感じさせない鋭い目をした人だった。

「どのような用件で来られたか?」
「倫理規定の第7条に基づいて、正式な申し立てをしたいと思います」

 ソフィアは書類を差し出す。
 マーガレットが受け取り、目を通す。
 読む速度が異様に早い。
 斜め読みではなく、そういう絶技をマーガレットは持っていた。

「見習い研究員の記録物か」
「はい、そうです」
「関与した研究員の名前が挙がっているが、その確証は?」
「廊下での一件に目撃者が複数います。差し替えられた記録帳も保管してありますので、状況証拠くらいにはなるんじゃないかと」

 マーガレットがソフィアを見た。
 値踏みするような目ではない。審議を確認するような視線だった。

「アルバート教授には?」
「まだです」

 マーガレットの眉が、訝しむようにわずかに動く。

「それはなぜだ?」
「自分で動けると思ったからです。祖父を頼ることは、いつでもできます。でも今回は、まず自分で筋を通したかったんです」

 マーガレットが、少しの間ソフィアを見ていた。
 彼女が何を思ったか、はたからでは推測しにくい。
 やがて、書類に視線を戻した。
 すでに読み終えているはずなので、深い意味はないだろう。

「受理しよう。審査には数日かかるが、その間に関係者への聴取を行う」
「ありがとうございます」

 退室しようとするソフィアの背中に、マーガレットが声をかける。

「そういえば、レナという見習いの研究者が、中々どうして面白い報告書を出していたな。クラリス嬢の研究と接点を見出した人物だ」

 それは言外に、出し抜かれて面白くないと思っている人物がいたに違いないと指摘している。
 ソフィアは少し驚きつつも、マーガレットに自信を持ってうなずいた。

「自慢の後輩です!」
「そうか……。詮ない話をしたな、すまない」

 マーガレットに頭を下げ、今度こそソフィアは退室する。
 あの言いぶりであれば、問題なくレナの名誉は守られるだろう。




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 4日後、審査の結果が出た。
 関与した研究員2名に対し、倫理規定に基づく公式な注意処分と減給がくだされ、レナの記録帳は正式に保護対象として認められた。

 加えて、マーガレットの判断で、見習い研究員への登録手続き案内が不十分だった点について、院の運営側に改善勧告が出された。

 華々しい逆転劇ではなかったかもしれない。
 本当はもっときつい処分を与えたかった。
 だが、レナの研究は守られただろう。

「……。ホーちゃん先輩」

 結果を伝えると、レナは少しの間黙っていた。
 いつもはすぐに何かを言うはずなのに、珍しいとソフィアは思った。

「どうして、自分にそこまでしてくれるんです? 自分だって、経歴についてはわかっているつもりですよ……」

 ぽつりと言った。
 ソフィアは少し考えようとしたが、深く気にするのをやめた。
 代わりに、正直なことを話す。

「レナの研究が、必要だと思っているからかな。私の素材研究は、だれか別の研究者の土台になる。そして、レナのデータは、私の研究の土台になる。そういうものだからね」

 レナは口を開きかけたが、結局、最後まで何も言わなかった。



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 ソフィアが外の廊下を歩く。
 帰り道だ。
 空は茜色に染まっていた。
 鞄の中に、書きかけの手紙があった。
 昨夜から書き始めて、まだ書き終えていないものだ。
 部屋に戻ってから、続きを書こうと思った。
 短い手紙になるだろう。
 報告だけでいい。
 あの人に長々と説明する必要はない。
 机の前に座って、ペンを取った。
 書き出しは決まっている。

『キャサリン嬢。ちょっとした報告があります』

 続きを書く。

『自分で動いてみました。完璧ではありませんが、うまくいったと思います。次からはもっときっと』

 ペンを止めた。
 もう一行だけ、書き足す。

『あなたが教えてくれたことの意味が、少しわかった気がします』

 書いてから迷う。
 余計な一言だったかもしれない。
 レナに影響されてしまったのだろうか。
 でも、消さなかった。
 署名を入れ、封をする。
 窓の外で、夕焼けが王都をやわらかく染めていた。



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 翌朝、キャサリンの屋敷に手紙が届いた。
 エマが受け取り、キャサリンに渡す。
 キャサリンは封を開け、目を通した。
 読み終えて、少しの間だけ手紙を見ていた。

「お嬢様?」

 エマが問いかける。

「……別に。なんでもないわ」

 キャサリンが手紙を丁寧に折り畳んだ。
 引き出しを開けて、中にしまう。
 返事は書かない。
 書く必要がないと思った。
 キャサリンが立ち上がる。
 窓の外には、穏やかな朝の光が広がっていた。

「さてと、エマ。朝食にしましょう」
「はい、お嬢様」

 2人が食堂へと歩いていく。