「お嬢様、よろしいですか?」
「……ええ、どうぞ」
控えめなノックの音と共に、専属侍女のエマが入室した。
銀の盆に乗せられた紅茶からは、やわらかな香りが立ちのぼっている。
その何気ないやり取りにも、胸の奥がわずかに揺れて熱を発した。
――この光景も、すでに失ったものなのね。
いつまでも感傷には浸れない。
カップを手に取り、一口すする。
落ち着いたところで、キャサリンは静かに口を開いた。
「エマ。少し確認したいことがあるのだけど……」
「はい、何なりと」
「舞踏会は、7日後で間違いないわね?」
「その通りでございます、お嬢様」
――やっぱりか。
気のせいではない。これもあの一夜へと繋がっているのだ。
「あともう一つ。ここ最近、私宛に殿下以外の手紙が届いたことは?」
「ジェームズ様以外にでございますか……?」
エマは一瞬考えこみ、そしてすぐに首を横に振っていた。
「いえ、そのようなものはなかったかと」
「……そう」
当然と言えば当然かもしれない。
――あの手紙は用意されたもの。
今はまだ存在しないはずの記憶をなぞる。
あの恋文。
あの筆跡。
あまりにも証拠が出来すぎている。
――私が書いたという偽物。
少なくとも、事前にキャサリンの元へと届いた返事ではないらしい。
「ごめんなさい、エマ。もう一つお願いができたわ」
「はい」
「ここ数日でジェームズ様や……ミレイユ嬢が、どんな動きをしているのか。調べてちょうだい」
ぴくりとエマの眉がわずかに動く。
だが、すぐにいつもの無表情へ戻った。
「……かしこまりました」
「できるだけ詳しく。だれと会っているか、どこへ出入りしているかを知りたいの」
「承知いたしました」
短く一礼し、エマが部屋を出ていく。
その背を見送りながら、キャサリンは深く息を吐いた。
――まずは情報を集めないと。
出遅れている。
すでに相手の計画は始まっているだろう。
だからこそ、前回のキャサリンは何も知らなかった。
あっさりと追い詰められてしまった。
けれど、結末を知っている今回は違う。
机の上に、キャサリンは紙を広げた。
ペンを取り、記憶を整理するように書き出していく。
端的に、それらは舞踏会当日に起きる出来事だった。
婚約破棄の宣言。
提示される恋文。
ミレイユの証言。
数名の貴族による追認。
「……ずいぶんと、手の込んだことを」
一つひとつは小さなものでも、組みあわされば逃げ場のない罠にもなる。
――あの場ですべてを覆すのは、不可能に近いわね。
そうであれば、話は単純だ。
「同じ土俵に乗る必要はないわ」
ペン先が止まる。
視線を上げ、キャサリンは窓の外を見た。
穏やかな陽光。
何も知らない世界。
自分は信じすぎていたのだ。
ジェームズ殿下を。
その周囲を。
そして、自分の立場が盤石なものであると驕った。
「信じるだけでは守れない」
その代償を二度と払うつもりはない。
処刑台の冷たさが、ふと思い出された。
ゆっくりとキャサリンは目を閉じる。
そして、はっきりとした結論を出した。
――戦いましょう。
静かな闘志だった。
だが、その決意は決して揺らぐことはない。
――すべて明るみにして差し上げます。
あの2人が仕組んだもの。
偽りの証拠。
裏で繋がる関係。
すべてを白日のもとにさらし、そして最後には自分が勝つ。
――婚約破棄までは受けたほうがいいかしらね。
皮肉的にキャサリンは微笑む。
そうして、指先で紙の上の一点を軽く叩いた。
そこには、大きく舞踏会と記されている。
「主導権は私がいただきましょう」
あの人に向けるべきものは、何一つ残っていない。
だれももいない部屋で、その名を呼ぶ。
かつては愛を込めて呼んだ名前を。
今はただ、ただ冷たく。
「ジェームズ様、あなたはもう終わりです」
言葉が静かに空気へと溶けていった。
「……ええ、どうぞ」
控えめなノックの音と共に、専属侍女のエマが入室した。
銀の盆に乗せられた紅茶からは、やわらかな香りが立ちのぼっている。
その何気ないやり取りにも、胸の奥がわずかに揺れて熱を発した。
――この光景も、すでに失ったものなのね。
いつまでも感傷には浸れない。
カップを手に取り、一口すする。
落ち着いたところで、キャサリンは静かに口を開いた。
「エマ。少し確認したいことがあるのだけど……」
「はい、何なりと」
「舞踏会は、7日後で間違いないわね?」
「その通りでございます、お嬢様」
――やっぱりか。
気のせいではない。これもあの一夜へと繋がっているのだ。
「あともう一つ。ここ最近、私宛に殿下以外の手紙が届いたことは?」
「ジェームズ様以外にでございますか……?」
エマは一瞬考えこみ、そしてすぐに首を横に振っていた。
「いえ、そのようなものはなかったかと」
「……そう」
当然と言えば当然かもしれない。
――あの手紙は用意されたもの。
今はまだ存在しないはずの記憶をなぞる。
あの恋文。
あの筆跡。
あまりにも証拠が出来すぎている。
――私が書いたという偽物。
少なくとも、事前にキャサリンの元へと届いた返事ではないらしい。
「ごめんなさい、エマ。もう一つお願いができたわ」
「はい」
「ここ数日でジェームズ様や……ミレイユ嬢が、どんな動きをしているのか。調べてちょうだい」
ぴくりとエマの眉がわずかに動く。
だが、すぐにいつもの無表情へ戻った。
「……かしこまりました」
「できるだけ詳しく。だれと会っているか、どこへ出入りしているかを知りたいの」
「承知いたしました」
短く一礼し、エマが部屋を出ていく。
その背を見送りながら、キャサリンは深く息を吐いた。
――まずは情報を集めないと。
出遅れている。
すでに相手の計画は始まっているだろう。
だからこそ、前回のキャサリンは何も知らなかった。
あっさりと追い詰められてしまった。
けれど、結末を知っている今回は違う。
机の上に、キャサリンは紙を広げた。
ペンを取り、記憶を整理するように書き出していく。
端的に、それらは舞踏会当日に起きる出来事だった。
婚約破棄の宣言。
提示される恋文。
ミレイユの証言。
数名の貴族による追認。
「……ずいぶんと、手の込んだことを」
一つひとつは小さなものでも、組みあわされば逃げ場のない罠にもなる。
――あの場ですべてを覆すのは、不可能に近いわね。
そうであれば、話は単純だ。
「同じ土俵に乗る必要はないわ」
ペン先が止まる。
視線を上げ、キャサリンは窓の外を見た。
穏やかな陽光。
何も知らない世界。
自分は信じすぎていたのだ。
ジェームズ殿下を。
その周囲を。
そして、自分の立場が盤石なものであると驕った。
「信じるだけでは守れない」
その代償を二度と払うつもりはない。
処刑台の冷たさが、ふと思い出された。
ゆっくりとキャサリンは目を閉じる。
そして、はっきりとした結論を出した。
――戦いましょう。
静かな闘志だった。
だが、その決意は決して揺らぐことはない。
――すべて明るみにして差し上げます。
あの2人が仕組んだもの。
偽りの証拠。
裏で繋がる関係。
すべてを白日のもとにさらし、そして最後には自分が勝つ。
――婚約破棄までは受けたほうがいいかしらね。
皮肉的にキャサリンは微笑む。
そうして、指先で紙の上の一点を軽く叩いた。
そこには、大きく舞踏会と記されている。
「主導権は私がいただきましょう」
あの人に向けるべきものは、何一つ残っていない。
だれももいない部屋で、その名を呼ぶ。
かつては愛を込めて呼んだ名前を。
今はただ、ただ冷たく。
「ジェームズ様、あなたはもう終わりです」
言葉が静かに空気へと溶けていった。

