タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 その夜、キャサリンは机に向かっていた。
 アルバートから聞いた話を紙に書き出しながら、頭の中で情報を整理していく。
 ドリアン・ベル子爵。
 社交界での評判。
 婚約の経緯。
 ソフィアとの関係。

「……」

 どれも表面をなぞっただけの情報にすぎない。
 エマに調査を頼もうと思ったところで、キャサリンの意識が急に遠くなった。

 ――まさか、勝手に?

 もとより使い方が判然としない能力だったが、まさか暴走するように発動するとは……。
 抗うことができず、キャサリンは目を閉じていた。



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 気がつけば、見知らぬ路地に立っていた。
 完全に覚えのない場所のため、これまでのタイムリープとは全くの別物のようだった。

 ――過去に戻されたというよりも、過去をのぞき見している感じなのかしら?

 考察はほどほどに視線を現実に戻す。
 王都の、どこか裏手にあたる場所だろうか。
 日は傾きかけており、人通りは少ない。
 少し先に、こぢんまりとした宿屋がある。
 その入り口から出てきた男に、キャサリンは目を留めた。

「……?」

 端正な顔立ち。
 よく手入れされた服。
 社交界でも見かける顔だ。

 ――ドリアン子爵か。

 男の隣には、若い女性がいた。
 ソフィアではない。
 艶やかな赤毛の見知らぬ娘だ。
 2人の距離は、婚約者がいるとは思えないほどに近かった。

「次はいつ会えるの?」

 女性が甘えるように、ドリアンの腕にすがりつく。
 ドリアンは軽い仕草でその手を取り、笑った。

「すぐに会いに来るよ。もう少しだけ待っていてくれ」
「婚約者とのことが片付いたら?」
「ああ。持参金さえ手に入れば、あとは早い」

 さらりと言い捨てる声に、温度がなかった。

「離縁するの?」
「もちろん、そのつもりだ。財産の移転が済んだら、理由はいくらでも作れる」

 女性が満足そうに微笑んだ。
 その笑みを見ながら、ドリアンが続ける。

「アルバートの爺さえ黙らせておけば問題ない。あの老いぼれが余計な動きをしないよう、先手は打ってある」

「……先手?」

 女性が首を傾げる。

「研究院内に、爺の信頼している人間がいてね。そちらから動いてもらう手はずになっている。婚約破棄だの調査だのと、何かしら騒ごうとした頃には、院内での立場が危うくなっているはずさ」

 全部聞こえた。
 すべてわかった。
 キャサリンは一言も発さず、その場に立ちつくしていた。
 怒りはもちろんあった。
 しかし、それよりも先に、頭が冷静に動きだしていた。

 ――周到ね。

 さすがに準備がいい。
 ただの打算ではない。
 アルバートが動けないよう根回しまで済ませている。
 婚約が成立した時点で財産の移転を始め、老研究者が声を上げる前に院内での立場を切り崩す。
 そういう段取りだ。

 ――ソフィア嬢は、何も知らないまま全部を失うところだったわ。

 じわりと、胸の奥に静かな炎が広がった。



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 意識が戻ったとき、キャサリンは自室の椅子に座っていた。
 机の上には、さっきまで書いていた紙がある。
 ペンが床に落ちていた。

「……」

 拾い上げて、深く息を吐く。
 頭の中を、先ほど見た光景が鮮明に流れていた。
 ドリアンの声。
 笑い飛ばすような口調。
 ソフィアを道具として語る、その平然とした態度。

「お嬢様」

 ノックの音とともに、エマが入室した。
 キャサリンの姿を見たエマが訝しむ。

「……。お顔の色が優れないようですが?」
「うん……ちょっとね」

 あいまいに答える。
 エマが静かに紙を差し出した。

「ちょうど、ドリアン子爵について調べたものがまとまりました」
「早いわね」
「教授がいらした時点から、動いておりましたので」

 受け取って、目を通す。
 表向きの評判はよい。
 家格はそれほど高くないが、社交界での立ち回りがうまく、人脈は広い。
 財政状況は……やや不安定だ。

「家の台所事情が、あまりよくないようですわね」
「ここ数年で、かなり動いているようです」

 合点がいった。
 ドリアンがソフィアに近づいた理由も。
 婚約を急いだ理由も。
 すべてが一本の線でつながっていた。

「エマ、もう一つ調べてほしいことがあるの」

 キャサリンがペンを取り、紙に書き記す。

「研究院内で、アルバート教授の周辺にいる人物。特に、最近ドリアン子爵と接触している者がいないかどうかを調べてちょうだい」

 エマの眉がわずかに動く。

「院内にも手が回っているとお考えですか?」
「私の気のせいなら、それはそれで構わないわ」
「わかりました。急ぎます」

 深く一礼し、エマが部屋を出ていく。
 その背中を見送りながら、キャサリンは紙に向き直った。

 ――問題は、どう崩すか。

 証拠を集めて公開するだけならば、難しくはない。
 しかし、それだけでは足りないと、キャサリンは考えていた。

 ――私がおぜん立てをしてもいいのだけど……。

 ソフィアが自分の目で見なければ、あまり意味がないだろう。
 だれかに教えてもらった真実と、自分の目で確かめた現実では、まるで重みが違う。
 前者は疑うことができる。
 覆すことができる。
 あの人はそんな人ではないと、思い込むことができてしまう。
 けれど、後者は違う。

 ――自分が見たものを自分で否定することは難しい。

 ソフィアが前を向いて歩いていくためには、だれかに断罪してもらうのではなく、自分の手で結論を出す必要があるかもしれない。

 ――そのためには、ソフィア嬢自身に動いてもらいましょうか。

 キャサリンは紙に、いくつかの言葉を書き出した。
 端的に、それはドリアンの弱点だった。
 打算で動いている人間は、打算で崩れる。
 愛情を演じている人間は、愛情が試されたときに化けの皮が剥がれるものだ。
 ならばこそ、試せばいい。
 それも、ソフィア自身の手で。

「……」

 ペンが止まる。
 一点を見つめながら、キャサリンは静かに考えを進めた。
 アルバートへの根回しについては、エマの調査結果を待てばいい。
 院内の協力者が特定できれば、そちらは先に封じられる。
 残る問題はソフィアだ。
 あの娘は今もドリアンを信じている。
 信じているからこそ、正面から疑惑をぶつけても意味がない。
 むしろ、余計な反発を招いてしまうだろう。

 ――まずは、ソフィア嬢と話をしないといけないわね。

 キャサリンがペンを置いた。
 紙の上には、一つの結論が書かれていた。

『ソフィア・ホーウッドに、自分で気づかせること』

 それがすべての起点になる。



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 翌朝、キャサリンはアルバートへ文を送った。
 内容は短い。
 孫娘のソフィアと、一度お茶をしたい。
 ただそれだけだ。
 返事は思いのほか早く届いた。
 老研究者らしからぬ、少しだけ浮き足立った筆跡で、ぜひにと書いてあった。

「……。かわいいものね」

 思わず、キャサリンの口元が緩んだ。
 エマがそれを横目に見て、キャサリンに気がつかれないよう微笑を浮かべた。

「よろしいのですか? そのような顔をして」
「何の話?」

 すぐに元の表情へ戻ったキャサリンに、エマが小さく肩を揺らした。

「いいえ、何でもございません」

 キャサリンは返事をせず、窓の外に目を向けた。
 空は晴れていた。
 穏やかな風が、木の葉を静かに揺らしている。

 ――さて、始めましょう。

 心の中でつぶやいて、キャサリンは立ち上がった。