タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 クラリスからの手紙が届いたのは、穏やかな午後のことだった。

「お嬢様、レーヴェル伯爵家より文が届いております」
「クラリスから?」

 エマから手紙を受け取り、キャサリンは目を通す。
 近況報告と、他愛ない研究の話。
 そして最後に、一文だけ添えられていた。

『近く、ホーウッド教授よりご連絡が入るかと思います。どうかよろしくお願いいたします』

「……。ホーウッド教授」

 その名前には、聞き覚えがあった。
 先の発表会場で、エミリアの欺瞞を真っ先に見抜いた白髪の老研究者だ。クラリスが信頼して、自分の研究データを預けた相手でもある。

 王立魔導研究院でも最長老格にあたる人物だった。

「どのようなご用件でしょうね?」
「さあ」

 エマからの質問に、キャサリンは手紙を折り畳みながら答える。

「来てみればわかるでしょう」



✿✿✿❀✿✿✿



 数日後、アルバート・ホーウッド教授が約束どおりキャサリンの屋敷を訪ねて来た。
 白髪をきちんと整え、年季の入った上着を丁寧に着こなしている。
 研究者らしい実直な佇まいの老人だった。

「突然の訪問をお許しください、キャサリン嬢」
「いいえ。クラリス嬢からも話は聞いております。どうぞ」

 応接室に通し、向かい合って座る。
 エマが紅茶を用意して、静かに部屋の端へと下がった。
 アルバートはしばらく、カップを両手で包むようにして黙っていた。

「……」

 話し出すための間を作っているのではなく、どこから話せばいいのかを迷っているようだった。
 相手が相手だ。
 フィリップのときとは違う。
 キャサリンも急かさない。
 ただ、静かに待った。

「……孫娘のことで、お力をお借りしたいのです」

 やがてアルバートが、ゆっくりと口を開いた。

「孫娘?」
「ソフィアと申します。20歳になりました」

 その名前を口にした瞬間だけ、老人の表情が柔らかくなった。
 自分でも気がついていないのだろう。
 ごく自然な変化だった。

「今年の春に婚約が整いまして……相手はドリアン子爵という方です」
「存じております。社交界での評判はよろしいようですわね」
「ええ」

 アルバートが、そこで言葉を止めた。
 続けようとして、止まる。
 また続けようとして、さらに口が開き切らなかった。

「……。何か、ご不満が?」

 さすがに不自然だ。
 キャサリンが穏やかに問えば、アルバートは困り果てたように眉を寄せた。

「不満というほどのものでは……ないのかもしれません。証拠もない。ただ……」
「ただ?」
「どうにも、腑に落ちないのです」

 絞り出すような一言だった。

「研究者として長く生きてまいりました。違和感というものは、たいてい何かを示しています。けれど今回ばかりは、その何かが見えなくて……」

 アルバートが深いため息をついた。
 要領を得ないが、深刻らしいことはキャサリンにも伝わっていた。
 クラリスが自分を紹介したのも無理はないだろう。

「……。ソフィアは疑うことを知らない娘です。だれに対しても真っ直ぐで、相手の善意を信じる。それが長所でもあり……」

「心配の種でもある?」

 キャサリンが言葉を引き取ると、アルバートが小さくうなずいた。

「ソフィアのそばにいるドリアン子爵を見ていると、どこかが引っかかるのです。笑っているのに、どこかその笑みが薄いような気がして……老いた祖父の見当違いであればそれでいいのです。しかし、もしも……」

 言葉が途切れた。
 仮定の先を口にすることが怖いのだろう。
 その話を無理に言わせるほど、キャサリンは無粋ではなかった。

「教授」

 キャサリンが静かに呼びかける。
 アルバートは沈鬱な表情でキャサリンを見返していた。

「一つだけ、お聞かせください。もし最悪の結果が待っていたとして……それでもソフィア様に、幸せになってほしいですか?」

 老人は一瞬だけ目を細めた。
 そして、迷いのない声で答える。

「当然です」

 キャサリンが、静かに微笑んだ。

「わかりました。お力になりましょう」

 アルバートの肩から、すっと力が抜けていくのがわかった。
 長く抱えてきたものを、ようやく少し降ろせたような、そんな様子だった。

「……。クラリスの言うとおりの方でしたな」

 ぽつりとアルバートがつぶやく。

「なんと言っていましたの?」
「頼りになる方だと」

 キャサリンは少しだけ目を細めた。

「あの子らしいですわね」

 窓の外では、穏やかな風が木々を揺らしていた。