タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです

 研究発表の2週間前、クラリスはキャサリンの屋敷へと招かれていた。
 まだ、次の発表の準備を終えていない。
 とても忙しい時期だ。
 正直、こんなところに来ている場合ではないのだが、相手が公爵なので断りにくかった。
 無論、自分はキャサリンのことを知っているが、相手は伯爵家にすぎない自分のことを知っていたのだろうかと、クラリスは訝しむ。

 私室へと案内されたあとも、訳がわからずにクラリスはきょろきょろと部屋の中を見回してしまっていた。

「ちょっと落ち着きなさいな」

 向かいに座るキャサリンが静かに紅茶をすする。

「はい……」
「ここがちょっとタイムリープの面倒なところね」

 キャサリンは独り言ちる。

「え……?」

 何を言われたのかがわからず、クラリスは聞き返すが、キャサリンは首を横に振るだけで答えようとはしなかった。

「まずは情報の整理からしましょうか」

 キャサリンが机の上を指先で軽く叩く。
 そこには数枚の紙が置かれていた。

「……それは?」
「あなたの研究に関する資料ですわ」

 差し出された紙に目を通す。
 確かにそれはクラリスの研究データだった。
 そこには要点だけではなく、これから書こうとしていたぶんまでもが示されている。

「どこでこれを……! いや、そんなことより……」

 まだ世に出ていない内容まで書かれてあることが問題だった。
 引きつった顔でクラリスがキャサリンを見つめる。

「2週間後に、研究の発表が控えていますわね?」
「……」

 こくりとクラリスがうなずく。

「あなたはそこで妹に手柄を横取りされますわ」
「何を馬鹿なこと……」

 エミリアはそんな妹ではないと、クラリスはキャサリンを鼻で笑う。
 それを見るにつき、キャサリンは呆れたようにもう一枚の紙を差し出した。
 目を通す。

「……」

 そこには研究の中身が微妙に違うデータが記載されていた。

「こ、これは……」
「ちょっと調べるのに苦労しましてよ。まあ、それは別にどうでもいいのです。当日、それを出されたとき、あなたは冷静に反論できまして?」

「妹は――」

 クラリスが気色ばんだが、キャサリンは冷静に話を進める。

「ただの思考実験ですわ。研究者としてのクラリス嬢に私は尋ねます」

 研究者。
 その言葉で、クラリスは落ち着きを取り戻していた。
 今一度渡された資料に目を通す。
 どうやって用意したのかわからないが、恐ろしいほどよくできたものだ。

「……。即座の反証は難しいと思います」
「よろしい」

 まだ自分の原稿さえ完成していないというのに、今からエミリアが提出するという研究成果さえも対策しないといけないのか。

 もちろん、キャサリンの言葉を真に受けるならば――という前提だが。
 目まぐるしく回転するクラリスの頭。

「落ち着きないな」
「……」

 元はと言えば、キャサリンが混乱させるようなことを言うからなのだ。
 仕方なく、クラリスは黙ってキャサリンがつづきを話すのを待った。

「重要な点は2つですわ。1つ、あなたの研究は本物であること」
「……。はい」
「2つ。あなた以外は、これを完全には理解できていないこと」

 目から鱗だった。
 クラリスが驚いた表情でキャサリンを見つめる。

「わかったでしょう? そうと決まれば毒を仕込むだけですわ」
「待ってください、妹が裏切るという話の確度は? 家族なんです。そんな簡単には信じられません」
「あなたの婚約者、ケヴィンだったわよね?」
「どうして、それを……」

 いいから話をつづけさせてくれと言わんばかりに、キャサリンが軽く手を振る。

「最近、何か不自然な動きはなくって?」
「……」

 そんな言い方をされてしまえば、クラリスにも思うことがある。
 ケヴィンが妹のエミリアと親しくなりすぎているように感じられたのだ。
 婚約者である自分の家族とも、仲良くしてくれているのだろうと好意的に受け止めていたが、べたべたしていた部分を、あえて見なかったことにした覚えが何度かある。

「図星のようですわね」

 クラリスの反応に、キャサリンがうなずいた。

「それじゃあ、本当に?」
「ええ、ですから。私たちは毒を仕込みましょう」
「む、無理です……。まだ私は自分の発表文さえ作りおえていなんですよ?」

 キャサリンはクラリスの手元の書類を指で示した。

「差し上げますわ、その書類。元々、あなたのものですし……」
「……。えっ?」
「あなた、私が研究者に見えまして?」
「い、いえ……」
「それがあれば、完成を早めることも可能でしょう?」

 クラリスが今一度書類に視線を落とす。
 まるで自分の研究成果の完成版だ。まだこの世に存在していることが信じられない。それこそ未来の自分が作ったと言われたほうが、いくらか納得しやすかった。

 クラリスはうなずいた。

「あなたの妹は毒を仕込んだものを、自分の手柄として発表するのです。あとはどうすればいいかは、もうおわかりですわね?」

 キャサリンの恐ろしい考えに、クラリスは戦慄しながらも首肯していた。

「自分で自分の首を絞めることになる」
「そのとおりですわ」
「しかし、そんなに上手くいくのでしょうか?」

 クラリスが、思わず口を開く。
 この偽物のデータを本当にエミリアが用意しているのだとすれば、相手も相当に準備をしていることになる。

「なるほど……。では保険も用意しましょうか?」

 何を言われているのかわからず、クラリスが首を傾げた。

「保険……ですか?」
「そうです。証人を立てるのです。クラリス、あなたは毒を仕込んでいない本物の研究記録を早々に作りあげ、そして信頼できる第三者に発表当日まで預けるのです」

「……!」
「そうして当日、必要なタイミングで提示する」

 状況は一変するだろう。
 確かに、これならば勝てる。
 初めて、そう思えた。

「……。……やります。やらせてください!」

 はっきりと、クラリスは言った。
 それに応えるキャサリンは、とても楽しそうに笑った。

「では、始めましょう。あなたの妹に、もう一度成功していただく準備を」

 クラリスはもう理解していた。
 それが、破滅への一歩だということを。