「キャサリン・エルフェルト。私はここに、お前との婚約を破棄する」
それはあまりにも唐突な宣告だった。
華やかな音楽が流れていたはずの大広間は、王太子の一言で水を打ったように静まり返った。
王宮の舞踏会。
貴族たちの視線が、一斉にキャサリンへと突き刺さる。
――ああ、ついに来てしまったのね。
キャサリンはゆっくりと顔を上げ、目の前に立つ婚約者のジェームズ殿下を見つめた。
端正な顔立ち。
整えられた金髪。
かつては、そのすべてを愛しいと思っていた。
けれど今は、そこに微塵の愛情も感じない。
――どうして、こんなにも愚かな人だと気づけなかったのかしら。
胸の奥にあるのは、驚きでも悲しみでもない。
ただ、冷え切った理解だけだった。
「理由をお聞かせ願えますか?」
キャサリンが努めて静かに問い返すと、ジェームズ殿下は鼻で笑った。
「白々しいな。お前が何をしたのか、この僕が理解していないとでも?」
言葉と共に、ジェームズ殿下の隣に立つ少女が、一歩前へと歩み出る。
ふわりと揺れる淡い桃色のドレス。
守ってあげたくなるような、か弱い微笑み。
「キャサリン様……どうしてこのようなことを……」
震える声でそう言ったのは男爵令嬢のミレイユ。ジェームズ殿下の新しい恋人である。
「彼女は見たのだ。お前が他の男と密会しているところをな。申し開きがあるなら聞いてやろう」
ざわりと会場が揺れた。
密会。
不貞。
社会において、それは致命的な罪だ。
奔放なふるまいがどうにか許されるのは、婚約する前が限度である。それは貴族であっても変わらない。
「証拠もある」
そう言って殿下が示したのは、一通の手紙だった。
甘い言葉が並ぶそれは、確かに恋文のようにも見える。
差出人の名は、ほかでもなくキャサリン。
――なるほど。
その瞬間、キャサリンの中ですべてが繋がった。
「……身に覚えがございません」
キャサリンの返事に、ジェームズ殿下は露骨に眉をひそめた。
「見苦しいぞ、キャサリン。これでもまだ言い訳をするつもりか」
「キャサリン様……もう、おやめください……」
ミレイユは涙声で、隣に立つジェームズ殿下の腕にすがりついた。
大した演技力である。
どうせその顔には涙の一滴も流れていないだろうに。
それでもミレイユは、自分こそが被害者であるとの主張をはばからない。
――ここまでは、前回と同じ。
だれもキャサリンの言葉を信じない。
証拠は揃えられ、関係者の証言も用意されてしまっている。
まるですべてが、最初から決められていたかのようだ。
「以上だ。キャサリン、お前との婚約は正式に破棄する」
その宣告に拍手は起きなかった。
代わりに広がったのは、冷たい視線と囁きだ。
『不貞の令嬢』
『王子を裏切った最低の女』
それらのすべてを、キャサリンはただ受け止めるしかなかった。
この時までは。
✿✿✿❀✿✿✿
石畳の冷たさが、膝を通してキャサリンに伝わって来た。
牢の中は暗く、ほのかに湿っている。
「処刑は明朝だ」
淡々と告げた看守の言葉を、キャサリンはどこか他人事のように聞いていた。
――処刑……。
その言葉に恐怖を感じなかったわけではない。
けれど、それ以上に胸を占めていたのは、理解できないという思いだった。
――どうして?
自分は何もしていないはずである。
あの手紙にも覚えがない。
なのになぜ、自分はこんなことになってしまっているのだろう。
――ジェームズ様は、どうしてあんなにも簡単に……。
信じていた。
ジェームズ殿下だけは、最後まで自分の言葉を聞いてくれると信じていた。
――愚かでした……。
視界がじんわりと滲む。
それでも涙は目からこぼれ落ちなかった。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば」
ぽつりと、だれにともなくキャサリンはつぶやく。
――今度は決して……。
その先を決意するよりも早く、キャサリンの意識は闇に沈んでいた。
✿✿✿❀✿✿✿
キャサリンが目を覚ます。
最初に感じたのは、柔らかな寝台の感触だった。
「……。ここは?」
見慣れた天蓋。
見慣れた調度品。
間違いない。
ここは自室だ。
――あり得ませんわ。
処刑されたはずの自分がどうして?
慌てて起きあがったキャサリンが鏡を見やる。
そこに映っていたのはやつれた囚人ではない。何事もなかったかのように公爵令嬢のキャサリンが映っていた。
――本物?
自分の体だという実感が持てず、思わず、キャサリンは頬を手で触っていた。
まもなく、机の上に置かれた一通の招待状に気がつく。
王宮舞踏会への招待。
開催日を見やったキャサリンは驚きに目を見開いていた。
「1週間後……?」
手が震える。
これは夢だろうか。
それとも今までの出来事が夢なのだろうか。
「……」
つかの間、思索の海に溺れていたキャサリンが、首を横に振って立ちあがる。
――いいえ、違うわ。
胸の奥底に今もなお残っている感覚が、そんなあいまいな感想を否定した。
あの冷たい石畳。
あの絶望。
すべてが、あまりにも鮮明だった。
「……そういうことですのね」
ゆっくりと、息を吐く。
そして、鏡の中の自分を見つめながらキャサリンは静かに笑った。
「よく分かりましたわ」
――これはやり直し。
天の気まぐれか。それとも神の奇跡か。
いずれにせよ、自分は過去へと戻って来たのだ。
自分が処刑される7日前に。
それならば、もはややることは決まっている。
――今度は間違えない。
かつて愛した男性の顔を頭に思い浮かべる。
そして、何の迷いもなく決意した。
「あなたの婚約破棄は、こちらから利用させてもらいます」
その瞳には一片の未練も残ってはいなかった。
それはあまりにも唐突な宣告だった。
華やかな音楽が流れていたはずの大広間は、王太子の一言で水を打ったように静まり返った。
王宮の舞踏会。
貴族たちの視線が、一斉にキャサリンへと突き刺さる。
――ああ、ついに来てしまったのね。
キャサリンはゆっくりと顔を上げ、目の前に立つ婚約者のジェームズ殿下を見つめた。
端正な顔立ち。
整えられた金髪。
かつては、そのすべてを愛しいと思っていた。
けれど今は、そこに微塵の愛情も感じない。
――どうして、こんなにも愚かな人だと気づけなかったのかしら。
胸の奥にあるのは、驚きでも悲しみでもない。
ただ、冷え切った理解だけだった。
「理由をお聞かせ願えますか?」
キャサリンが努めて静かに問い返すと、ジェームズ殿下は鼻で笑った。
「白々しいな。お前が何をしたのか、この僕が理解していないとでも?」
言葉と共に、ジェームズ殿下の隣に立つ少女が、一歩前へと歩み出る。
ふわりと揺れる淡い桃色のドレス。
守ってあげたくなるような、か弱い微笑み。
「キャサリン様……どうしてこのようなことを……」
震える声でそう言ったのは男爵令嬢のミレイユ。ジェームズ殿下の新しい恋人である。
「彼女は見たのだ。お前が他の男と密会しているところをな。申し開きがあるなら聞いてやろう」
ざわりと会場が揺れた。
密会。
不貞。
社会において、それは致命的な罪だ。
奔放なふるまいがどうにか許されるのは、婚約する前が限度である。それは貴族であっても変わらない。
「証拠もある」
そう言って殿下が示したのは、一通の手紙だった。
甘い言葉が並ぶそれは、確かに恋文のようにも見える。
差出人の名は、ほかでもなくキャサリン。
――なるほど。
その瞬間、キャサリンの中ですべてが繋がった。
「……身に覚えがございません」
キャサリンの返事に、ジェームズ殿下は露骨に眉をひそめた。
「見苦しいぞ、キャサリン。これでもまだ言い訳をするつもりか」
「キャサリン様……もう、おやめください……」
ミレイユは涙声で、隣に立つジェームズ殿下の腕にすがりついた。
大した演技力である。
どうせその顔には涙の一滴も流れていないだろうに。
それでもミレイユは、自分こそが被害者であるとの主張をはばからない。
――ここまでは、前回と同じ。
だれもキャサリンの言葉を信じない。
証拠は揃えられ、関係者の証言も用意されてしまっている。
まるですべてが、最初から決められていたかのようだ。
「以上だ。キャサリン、お前との婚約は正式に破棄する」
その宣告に拍手は起きなかった。
代わりに広がったのは、冷たい視線と囁きだ。
『不貞の令嬢』
『王子を裏切った最低の女』
それらのすべてを、キャサリンはただ受け止めるしかなかった。
この時までは。
✿✿✿❀✿✿✿
石畳の冷たさが、膝を通してキャサリンに伝わって来た。
牢の中は暗く、ほのかに湿っている。
「処刑は明朝だ」
淡々と告げた看守の言葉を、キャサリンはどこか他人事のように聞いていた。
――処刑……。
その言葉に恐怖を感じなかったわけではない。
けれど、それ以上に胸を占めていたのは、理解できないという思いだった。
――どうして?
自分は何もしていないはずである。
あの手紙にも覚えがない。
なのになぜ、自分はこんなことになってしまっているのだろう。
――ジェームズ様は、どうしてあんなにも簡単に……。
信じていた。
ジェームズ殿下だけは、最後まで自分の言葉を聞いてくれると信じていた。
――愚かでした……。
視界がじんわりと滲む。
それでも涙は目からこぼれ落ちなかった。
「もし、もしも……もう一度機会があるならば」
ぽつりと、だれにともなくキャサリンはつぶやく。
――今度は決して……。
その先を決意するよりも早く、キャサリンの意識は闇に沈んでいた。
✿✿✿❀✿✿✿
キャサリンが目を覚ます。
最初に感じたのは、柔らかな寝台の感触だった。
「……。ここは?」
見慣れた天蓋。
見慣れた調度品。
間違いない。
ここは自室だ。
――あり得ませんわ。
処刑されたはずの自分がどうして?
慌てて起きあがったキャサリンが鏡を見やる。
そこに映っていたのはやつれた囚人ではない。何事もなかったかのように公爵令嬢のキャサリンが映っていた。
――本物?
自分の体だという実感が持てず、思わず、キャサリンは頬を手で触っていた。
まもなく、机の上に置かれた一通の招待状に気がつく。
王宮舞踏会への招待。
開催日を見やったキャサリンは驚きに目を見開いていた。
「1週間後……?」
手が震える。
これは夢だろうか。
それとも今までの出来事が夢なのだろうか。
「……」
つかの間、思索の海に溺れていたキャサリンが、首を横に振って立ちあがる。
――いいえ、違うわ。
胸の奥底に今もなお残っている感覚が、そんなあいまいな感想を否定した。
あの冷たい石畳。
あの絶望。
すべてが、あまりにも鮮明だった。
「……そういうことですのね」
ゆっくりと、息を吐く。
そして、鏡の中の自分を見つめながらキャサリンは静かに笑った。
「よく分かりましたわ」
――これはやり直し。
天の気まぐれか。それとも神の奇跡か。
いずれにせよ、自分は過去へと戻って来たのだ。
自分が処刑される7日前に。
それならば、もはややることは決まっている。
――今度は間違えない。
かつて愛した男性の顔を頭に思い浮かべる。
そして、何の迷いもなく決意した。
「あなたの婚約破棄は、こちらから利用させてもらいます」
その瞳には一片の未練も残ってはいなかった。

