私たちは静かにICUを後にする。
廊下を歩く途中。
陽貴さんは、一度も後ろを振り返らなかった。
きっと振り返ったら、また戻ってしまうから。
院内レストランは昼を過ぎていたせいか、人も少なかった。
窓際の席へ座る。
そこでようやく。
陽貴さんは、小さく息を吐いた。
本当に。
今までずっと、息を止めてたみたいに。
店員さんがお水を置いていく。
静かな店内。
窓の外はいつも通りの昼間なのに。
私たちだけ、別の時間の中にいるみたいだった。
陽貴さんは、メニューを開いてもしばらく何も見れていなかった。
それでも紗凪のお母さんが「ちゃんと食べないとだめよ」と優しく言うと、ようやく小さく頷く。
簡単なご飯を注文して。
料理が来るまでの間。
少しだけ沈黙が流れた。
そのあと紗凪のお母さんが、ふっと柔らかく笑う。
「ついこの間ね」
優しい声だった。
「紗凪から電話があったの」
陽貴さんがゆっくり顔を上げる。
「普段、紗凪から電話なんてほとんどかかってこなかったから
私、びっくりしちゃって」
懐かしそうに笑うお母さん。
その表情が、どこか紗凪を感じさせる。
「仕事の連絡はLINEばっかりだし。
事があっても“あとでかける”って言う子だったから」
私は思わず小さく笑う。
……分かる。
紗凪、本当にそういうタイプだ。
するとお母さんが、ゆっくり陽貴さんを見る。
「そしたらねあの子、なんて言ったと思う?」
少しだけ嬉しそうな顔。
陽貴さんが静かに首を横へ傾ける。
「“今度、お父さんとお母さんが帰ってきたら、会わせたい人がいるの”って」
お母さんは、優しく目を細めた。
その瞬間、陽貴さんの目が大きくなる。
本当に驚いた顔だった。
お母さんは小さく笑う。
「私ね、紗凪からそんなこと言われるなんて思ってなかったの。
勉強と仕事ばっかりで全然恋愛っ気ない子だったから」
「正直、ちょっと心配してたくらい」
その声は、どこまでも優しかった。
「だからね、“あぁ、この子、ちゃんと素敵な人に出会えたんだ”って私もパパも、すごく嬉しかったのよ」
陽貴さんの目が少し揺れていた。
お母さんは続ける。
「それで今日、あなたを見た瞬間ね」
「……あぁ、紗凪が言ってたのはこの人なんだって」
ふっと微笑む。
「一目で分かったわ」
その言葉に。
陽貴さんが、ゆっくり俯いた。
長い前髪が目元を隠す。
でも。
その下で、ぎゅっと唇を噛んだのが見えた。
「……俺」
掠れた声。
「もっとちゃんと……守れたらよかった」
苦しそうな声だった。
「もっと会いに来ればよかったし」
「もっと無理してでも時間作ればよかった」
「紗凪、一人でずっと頑張ってたのに……」
そこで声が詰まる。
お母さんは静かに聞いていた。
否定もしない。
でも。
そっと、優しく笑う。
「陽貴くん」
「はい……」
「紗凪ね」
お母さんは少しだけ遠くを見る。
「昔から、“自分で決めたこと”を誰かのせいにする子じゃないの」
陽貴さんが顔を上げる。
「大阪へ来たのも、フライトナースとして頑張ってたのも
全部、あの子が自分で選んだ道よ」
その声は穏やかなのに、不思議と真っ直ぐだった。
「だからね」
「今あなたが自分を責めてしまうことは紗凪が1番悲しむことよ」
と。優しく、静かに、そう言った。
その瞬間。
陽貴さんの目に、初めて涙が滲んだ。
必死に堪えてたものが、少しだけ溢れたみたいに。
お母さんは何も言わず。
ただ静かに、陽貴さんの手を優しく包み込んだ。
その優しさが。
余計に胸に刺さった。
廊下を歩く途中。
陽貴さんは、一度も後ろを振り返らなかった。
きっと振り返ったら、また戻ってしまうから。
院内レストランは昼を過ぎていたせいか、人も少なかった。
窓際の席へ座る。
そこでようやく。
陽貴さんは、小さく息を吐いた。
本当に。
今までずっと、息を止めてたみたいに。
店員さんがお水を置いていく。
静かな店内。
窓の外はいつも通りの昼間なのに。
私たちだけ、別の時間の中にいるみたいだった。
陽貴さんは、メニューを開いてもしばらく何も見れていなかった。
それでも紗凪のお母さんが「ちゃんと食べないとだめよ」と優しく言うと、ようやく小さく頷く。
簡単なご飯を注文して。
料理が来るまでの間。
少しだけ沈黙が流れた。
そのあと紗凪のお母さんが、ふっと柔らかく笑う。
「ついこの間ね」
優しい声だった。
「紗凪から電話があったの」
陽貴さんがゆっくり顔を上げる。
「普段、紗凪から電話なんてほとんどかかってこなかったから
私、びっくりしちゃって」
懐かしそうに笑うお母さん。
その表情が、どこか紗凪を感じさせる。
「仕事の連絡はLINEばっかりだし。
事があっても“あとでかける”って言う子だったから」
私は思わず小さく笑う。
……分かる。
紗凪、本当にそういうタイプだ。
するとお母さんが、ゆっくり陽貴さんを見る。
「そしたらねあの子、なんて言ったと思う?」
少しだけ嬉しそうな顔。
陽貴さんが静かに首を横へ傾ける。
「“今度、お父さんとお母さんが帰ってきたら、会わせたい人がいるの”って」
お母さんは、優しく目を細めた。
その瞬間、陽貴さんの目が大きくなる。
本当に驚いた顔だった。
お母さんは小さく笑う。
「私ね、紗凪からそんなこと言われるなんて思ってなかったの。
勉強と仕事ばっかりで全然恋愛っ気ない子だったから」
「正直、ちょっと心配してたくらい」
その声は、どこまでも優しかった。
「だからね、“あぁ、この子、ちゃんと素敵な人に出会えたんだ”って私もパパも、すごく嬉しかったのよ」
陽貴さんの目が少し揺れていた。
お母さんは続ける。
「それで今日、あなたを見た瞬間ね」
「……あぁ、紗凪が言ってたのはこの人なんだって」
ふっと微笑む。
「一目で分かったわ」
その言葉に。
陽貴さんが、ゆっくり俯いた。
長い前髪が目元を隠す。
でも。
その下で、ぎゅっと唇を噛んだのが見えた。
「……俺」
掠れた声。
「もっとちゃんと……守れたらよかった」
苦しそうな声だった。
「もっと会いに来ればよかったし」
「もっと無理してでも時間作ればよかった」
「紗凪、一人でずっと頑張ってたのに……」
そこで声が詰まる。
お母さんは静かに聞いていた。
否定もしない。
でも。
そっと、優しく笑う。
「陽貴くん」
「はい……」
「紗凪ね」
お母さんは少しだけ遠くを見る。
「昔から、“自分で決めたこと”を誰かのせいにする子じゃないの」
陽貴さんが顔を上げる。
「大阪へ来たのも、フライトナースとして頑張ってたのも
全部、あの子が自分で選んだ道よ」
その声は穏やかなのに、不思議と真っ直ぐだった。
「だからね」
「今あなたが自分を責めてしまうことは紗凪が1番悲しむことよ」
と。優しく、静かに、そう言った。
その瞬間。
陽貴さんの目に、初めて涙が滲んだ。
必死に堪えてたものが、少しだけ溢れたみたいに。
お母さんは何も言わず。
ただ静かに、陽貴さんの手を優しく包み込んだ。
その優しさが。
余計に胸に刺さった。

