トップアイドルは白衣の天使に恋をするsecond

『——ヘリ対応シミュレーション、開始します』

アナウンスが流れる。

その瞬間部屋の空気が一気に変わった。

今回の症例設定は——山間部でのCPA対応。

登山道近くで40代男性が突然倒れた。

通報者によると、胸を押さえて倒れ、そのまま意識消失。

救急隊接触時CPA。

ドクターヘリ要請。

現場は狭い山道、足場不安定、搬送困難区域。

完全に“フライト案件”だった。

ヘリのローター音がスピーカーから流れる。

風音まで再現されていて、かなりリアルだ。

育成メンバーたちの表情も、一気に引き締まる。

私はヘルメットを装着しながら、機内物品を確認していく。

バッグバルブ、挿管セット、アドレナリン、輸液、吸引。

限られた空間。

限られた人数。

“何を優先するか”

それを常に考え続けるのがフライトだ。

『現着まで1分!』

無線役スタッフの声。

「CPA対応になりますね」

育成ドクターの桐谷先生が少し緊張した声で呟く。

西国先生は短く頷いた。

「まず状況整理」

「焦らなくていい」

低く落ち着いた声。

でもその静けさが逆に緊張感を増していた。

『現着!』

アナウンス。

私たちは一斉に現場エリアへ入る。

そこには山道を再現したセット。

斜面、狭い足場。

倒れている患者役マネキン。

救急隊役スタッフ役がすぐ情報を飛ばしてくる。

「40代男性!」

「胸痛訴えたあと意識消失!」

「CPA!」

「初期波形VF!」

「現在PEA!」

空気が張る。

その瞬間橘さんが真っ先に患者へ走った。

「胸骨圧迫入ります!」

動きは速い。判断も悪くない。

さすが経験者。

でも。

次の瞬間だった。

「待て!!」

鋭い声。

空気が止まる。

西国先生だった。

橘さんの動きがピタッと止まる。

「何してる」

低い声。

橘さんが眉を寄せる。

「CPAです」

「圧迫遅れます」

その返答に、西国先生はさらに鋭く返した。

「足元見たか?」

「……え」

「斜面設定だぞ」

「隊員転倒したらどうなる」

その瞬間。

橘さんの表情が固まる。

患者しか見えていなかった。

斜面、足場、安全確保。

二次災害。

そういう“現場全体”が飛んでいた。

でも橘さんも引かなかった。

「でもCPAなら一秒でも早く——」

「だからって二人倒れてどうする!!」

西国先生の声が響く。

空気が張り詰める。

育成メンバーたちも完全に固まっていた。

リアルだ。

あまりにも現場そのものだった。

その時、後ろで腕を組んで見ていた森崎さんが、ぽつりと言った。

「はい、死亡」

静まり返る。

「……え?」

真壁くんが振り返る。

森崎さんは淡々と続けた。

「今ので隊員一名転倒、斜面滑落、救助者増えました」

誰も喋れない。

森崎さんは静かなままホワイトボードを軽く叩いた。

「これ、実際あるんですよ」

「患者しか見えへんくなって、周り飛ぶやつ」

その声は責めるというより。

現場を知ってる人の声だった。

「助けたい気持ちは大事」

「でも、自分らが倒れた瞬間に現場終わるんです」

重い言葉だった。

橘さんが唇を噛む。

悔しそうだった。

私はそこで一度息を吸って、声を出した。

「一回整理します」

その声で、少し空気が戻る。

「橘さん、安全確保お願いします」

「桐谷先生、波形とHs&T確認」

「私は薬剤と気道準備入ります」

役割を飛ばす。

その瞬間止まりかけていた現場が、少しずつ動き始めた。

私は患者情報を整理する。

40代男性。胸痛後CPA。PEA。

山道で突然倒れる。

そこへ追加情報。

「救急隊より追加!」

「患者、数日前から息切れあり!」

その瞬間頭の中で一気に繋がった。

私はすぐ言葉を出す。

「肺塞栓疑います」

空気が変わる。

全員がこちらを見る。

「突然CPA」「PEA」「低酸素経過」

「右心負荷の可能性高いです」

西国先生が静かに頷く。

「…さすがだな」

私はそのまま役割を整理する。

「橘さん、ルート確保」

「桐谷先生、エコー準備お願いします」

「西国先生、血栓溶解視野入れますか」

「あぁ」

バラつきかけていた空気が、また一つにまとまっていく。

「ルートいけます!」

「エコー準備します!」

さっきまで迷いが出ていた育成メンバーたちも、少しずつ視野を取り戻していく。

私はその間に挿管準備を進める。

焦らない。順番を崩さない。

現場は、焦った瞬間に壊れる。

だからこそ、冷静に。

必要なことを、一つずつ。

その姿を指導者たちが静かに見ていた。

神波さんが驚いたように声を漏らす。

「…いやぁさすがと言うかなんと言うか。
どれだけ場数踏んだらこんな冷静になれるんですかね」

斉賀さんも腕を組みながら頷く。

「状況整理が早いしアセスメント能力桁違いに高いね」

森崎さんは小さく笑った。

「一ノ瀬さんの強みが最大に出てますね」

その頃には育成メンバーたちの目も変わっていた。

ただ技術がある人じゃない。

現場を整理して。空気を整えて。

“次に何をするべきか”を冷静に示せる人。

それがどれだけ難しいかを、みんな理解し始めていた。

そして。

『ROSC確認』

アナウンス。空気がふっと緩む。

私は最後までモニター波形を確認してから、小さく息を吐いた。

その瞬間。

森崎さんが、ぱんっと手を叩く。

「はい終了ー!」

緊張が切れる。

「めちゃくちゃリアル……」

見学していた育成メンバーたちがびっくりしている。