貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

《榊視点》

榊玲司は、改札の向こうに消える藤代の背中を見送っていた。

傘の柄を握る手に、少し力が入っている。

雨に濡れた袖は、確かに冷たい。
だが、それよりも面倒なのは、自分の胸の内だった。

瀬名が藤代の言葉を引き出した。
場を作り、彼女を助け、彼女は素直に礼を言った。

それは、仕事として正しい。

瀬名は優秀だ。
営業として、相手の警戒をほどくのがうまい。
藤代の視点を理解し、仕事に接続する勘もある。

だからこそ、腹が立った。

仕事の範囲だと分かっている。
責任者として評価すべきだとも分かっている。

それでも、藤代が瀬名に向けた安心した顔が、頭から離れない。

「……面倒だな」

小さく呟く。

誰に向けた言葉かは分かっていた。

瀬名ではない。
藤代でもない。

自分自身だ。

榊は、濡れた袖を見た。

傘を彼女の方へ寄せたことも。
雨粒に触れる口実のように、髪に手を伸ばしてしまったことも。

全部、言い訳ができる。

上司として。
責任者として。
雨の日の配慮として。

けれど、ひとつだけ言い訳ができない。

瀬名に助けられる藤代を見て、苛立った。

それを、嫉妬と呼ぶのだと。

榊玲司は、もう認めるしかなかった。