貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

扉が閉まる。

静かになった。

私は画面を見つめたまま、背筋が妙に伸びているのを感じた。

榊課長が隣に来る。

「噂を聞いたか」

私は固まった。

「……課長も探偵ですか」

「顔に出ている」

「出ない方だったはずなんですが」

「前より下手だ」

また、同じことを言われた。

榊課長は、私の修正中のページを見た。

「この締めは弱い」

「はい」

「なぜ弱くした」

逃げられない。

私は小さく息を吐いた。

「……周りから、課長と瀬名くんと一緒にいすぎるって、言われているのを聞きました」

榊課長は黙っていた。

私は続けた。

「仕事なのは分かっています。でも、外からはそう見えるんだなと思ったら、急に怖くなって。自分の意見を出すことも、浮かれているように見えるのかもしれないって」

言ってから、情けなくなった。

仕事の話なのに。
資料の話なのに。
結局、私は人の目が怖い。

榊課長は、短く言った。

「君がここにいるのは、俺が必要だと判断したからだ」

私は顔を上げた。

「君の視点が必要だから、ここにいる」

低く、まっすぐな声だった。

「……でも」

「気にしなくていい、とは言わない」

榊課長は、少しだけ目を伏せた。

「会社では、見え方も仕事の一部だ。そこは俺の配慮が足りなかった」

「課長のせいでは」

「責任者は俺だ」

短い言葉。

けれど、その言い方に胸が詰まった。

この人は、私をただ前に出すだけではない。
出した先で生まれる圧も、見ようとしている。

「ただし」

出た。

不穏な接続詞。

「噂を理由に、資料を薄めるな」

「……はい」

「君の案は、薄めたら意味がない」

君の案。

その言葉が、胸の奥を揺らした。

榊課長は、モニターの一文を指した。

「昼は、快適さだけではない。君は、一時退避だと言った」

「はい」

「なら、それを書け」

私はキーボードに指を置いた。

少し考えてから、文字を打つ。

『午後へ戻る前に、ひと息だけ逃げ込める場所』

画面に出た一文を見て、心臓が静かに鳴った。

怖い。
でも、これは私の言葉だ。

榊課長は、それを見て言った。

「悪くない」

いつもの言葉。

けれど今日は、いつもより深く届いた。