貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

会社に戻ると、噂はもう生まれていた。

正確には、生まれかけていたものが、私の耳に届く形になった。

給湯室の前で、コーヒーを淹れようとした時だった。

「藤代さん、最近すごくない?」

「リュミエールでしょ。課長の案件入ってるんだよね」

「うん。でもさ、課長と瀬名くんと一緒にいすぎじゃない?」

手が止まった。

給湯室の中にいる二人は、私が外にいることに気づいていない。

「昼も外出してたよね。瀬名くん、戻ってきてから藤代さんにべったりだし」

「榊課長も、藤代さんだけ呼ぶこと多くない?」

「仕事でしょ」

「まあね。でも、なんか急に距離近くなった感じする」

軽い声だった。
悪意はないのかもしれない。

ただの雑談。
ただの社内の空気。

でも、それが私の胸に冷たいものを落とした。

距離が近い。

そう見えている。

榊課長に秘密を知られて、仕事に呼ばれて。
瀬名にも秘密を知られて、現場で助けられて。
私は、ほんの少し浮かれていたのかもしれない。

笑われなかった。
使えると言われた。
役に立てた。

その嬉しさに、足元がふわついていた。

でも社内では、事情なんて見えない。
見えるのは、誰と誰が一緒にいるか。
誰が誰を呼ぶか。
誰が誰に近いか。

秘密の共犯関係は、外から見ればただの噂になる。

私はコーヒーを淹れるのをやめた。