貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

「でも」

瀬名の声が、少し低くなった。

「隠すの、下手すぎです」

「それは……自覚があります」

「あと、ファイル名」

「ファイル名?」

「さっき一瞬見えました。“参考_距離感_鬼上司×犬系後輩”って」

私はiPadに額を打ちつけたくなった。

なんてひどいファイル名だ。

「消します」

「消さなくていいです」

「え」

瀬名は、少しだけ笑った。

いつもの犬系ではない。
口元だけが上がる、少し意地悪な笑い方だった。

「先輩のそれ、仕事でも使えます」

声が低い。

胸の奥が、変な音を立てた。

「人の迷いとか、距離感とか、言葉にするのうまい。俺、札幌で写真撮りながら思いました。先輩のシートがあると、客の動きが物語みたいに見えるんです」

物語みたいに。

その言葉は、私のいちばん深いところに触れた。

「だから」

瀬名は、私をまっすぐ見た。

「逃げないでくださいね」

「……逃げる?」

「先輩、褒められると逃げるし、見られると隠れるじゃないですか」

図星だった。

瀬名は、少しだけ身を乗り出した。

「俺、秘密守ります」

「……ありがとうございます」

「でも、守るだけじゃないです」

「はい?」

「俺、使います。先輩のその見る力。仕事で」

瀬名の声は、明るさを外していた。

息が止まった。

それは、どういう意味ですか。

聞けなかった。
聞いたら何かが変わりそうで、怖かった。

私は悟った。

秘密は、増えたのだ。

榊課長だけでも十分に危険だった。
それなのに、瀬名までこちら側に来てしまった。

増えた。

最悪の共犯者が、二人に増えた。