貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

店内に入ると、昼のピーク前で席は半分ほど埋まっていた。
一人客が多い。
ノートパソコンを開いている人、スマホを見ながらサンドイッチを食べる人、イヤホンをしたままぼんやりしている人。

私はメニューを見るふりをしながら、視線の流れを追った。

入口で一度迷う人が多い。
レジの位置は分かるが、列の始まりが曖昧だ。
席は奥にあるが、空席が外から見えにくい。
一人で入るには、少しだけ勇気がいる。

「何を見ている?」

榊課長が隣で低く聞いた。

距離が近い。

肩が触れるほどではない。
でも、普段の会議室より近い。

私はメニュー表に目を向けたまま答えた。

「人が止まる場所です。入口で止まって、メニューで止まって、席を探す時にも止まります」

「理由は」

「不安だから、だと思います。どこに並べばいいか、自分が座れるか、後ろの人を待たせていないか」

「改善できるか」

「たぶん。入口に一言あるだけでも違います。『お席はご注文後にゆっくりお選びください』とか」

「ゆっくり、か」

「ゆっくりと言われると安心します。急いでいる人には邪魔にならない程度に」

言いながら、私は自分で驚いていた。

言葉が出る。

会議室では怖かったのに、現場で人を見ていると、少しずつ言葉になる。

これまでずっと、私は人の関係性を眺めてきた。
誰が誰に遠慮するか。
誰がどこで迷うか。
どんな一言で、空気がほどけるか。

それは、ただの趣味の副産物だと思っていた。

でも今、その観察が仕事の中で息をしている。