貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

私は手元の資料を確認しながら、榊課長の指摘箇所を開いた。

「申し訳ありません。新商品の価格帯の表ですね。九時半までに差し替えます」

「九時二十分」

「はい、九時二十分までに」

短い。
榊課長の会話は基本的に短い。

けれど、言っていることは正しい。
昨夜、駅ナカカフェチェーンのリブランディング案件で、クライアントから追加データが届いた。私は共有メールを見ていたのに、該当ページだけ反映を漏らしていた。

完全に私のミスだ。

「藤代さん、手伝おうか?」

隣の席から、大崎沙月が顔を出した。
三十四歳の先輩で、現実的で面倒見がいい。私がこの会社で倒れずに生きてこられたのは、大崎が「頑張る」と「無理する」の境界線をたびたび引いてくれたからだと思う。

「大丈夫です。表だけなので」

「無理なら言いなね。榊課長、容赦ないから」

「はい。容赦という概念が薄めですよね」

「薄めっていうか、無糖ブラック」

思わず笑いそうになったところで、背後からまた低い声が落ちた。

「藤代」

「はいっ」

「聞こえている」

「すみません」

地獄耳か。

内心でだけ、そっと突っ込む。
声に出したら九時二十分が九時十分になる。