貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

夜、家に帰ってから、私は久しぶりにiPadを開いた。

描きかけのファイル一覧が並ぶ。

『参考_距離感_鬼上司×犬系後輩』

私は、そのファイルをしばらく見つめた。

以前なら、それを開けばすぐに描けた。

クールな上司風の男。
犬系後輩風の男。
近い距離。
意味深な台詞。

それは私の好きなものだった。
間違いなく、私を支えてくれたものだった。

でも今は、少し違う。

現実の榊は、コマの中の上司風の概念ではない。
瀬名も、物語を進めるためだけの犬系後輩ではない。

二人は現実に生きている。
仕事をして、迷って、嫉妬して、傷ついて、それでも私を見てくれた人たちだ。

私は、そのまま描かなくていい。

現実の人を、コマの中に閉じ込めなくていい。

私は新しいファイルを作った。

タイトルを入力する。

『昼休みの味方』

少し考えて、首を振る。

違う。

もう一度消して、別のタイトルを打った。

『すぐそばの物語』

男性同士の関係性を描く。
言葉にしない信頼。
近づきたいのに踏み込めない距離。
並んで歩く時の歩幅。

私が好きなものは、変わらない。

でも、その中に、自分が選んだ恋の温度も少しだけ入っていくのかもしれない。

実在の誰かをそのまま描くのではなく。
私が見て、感じて、救われたものを、別の物語へ変えていく。

それは、恥ずかしいことではない。

私の熱だ。

私の目だ。

私の彩りだ。