貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

胸の奥が、少しだけほどけた。

「ありがとうございます……」

「ただし」

ほどけたものが、一瞬で締まった。

ただし。

この世でもっとも不穏な接続詞のひとつ。

「その代わり、瀬名の代打でプロジェクトに入れ」

私は瞬きをした。

「はい?」

「リュミエールのリブランディング案件だ。瀬名が出張で不在の間、資料整理と議事録だけではなく、企画会議にも入れ」

「え、いえ、私はアシスタントで」

「知っている」

「企画担当ではありません」

「それも知っている」

「では、なぜ」

「資料把握が早い。今日の差し替えも、指摘後の対応が早かった。先週の議事録も、論点の整理が的確だった」

私は言葉を失った。

褒められている。
たぶん褒められている。

でも状況が状況なので、素直に喜べない。
秘密を人質に取られた状態での抜擢は、辞令なのか脅迫なのか判断が難しい。

「あの、それは……秘密を守る代わりに働け、ということですか」

「言い方が悪かったな」

榊課長は、ほんの少し眉を寄せた。

「秘密を守るのは条件ではない。守る。そこは別だ」

私はまた、瞬きをした。

「別、ですか」

「別だ」

短い返事。
でも、妙に重かった。

「プロジェクトに入れと言ったのは、必要だからだ。瀬名の代打が要る。お前は資料の流れを把握している。会議中、人の発言の意図も拾えている」

「私が、ですか」

「自覚がないのか」

「ありません……」

榊課長は、私が抱きしめているiPadに一瞬だけ視線を落とした。
私は反射的にさらに抱きしめた。

「それを描けるなら、感情の流れは読めるだろう」

息が止まった。

榊課長は、画面の中身を笑わなかった。
気まずそうにも、面白がるようにも見なかった。

ただ、見抜いた。

私がそこに何を描いているのか。
ただの趣味ではなく、どこに視線を置き、どこで感情を動かそうとしているのか。

見られたくなかったことを見られたのに、なぜか少しだけ、救われたような気がした。