貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

「あ、お、お疲れさまです」

「昼休みにまで、その挨拶はいらない」

「そ、そうですね。こんにちは」

「こんにちは」

言った。

榊課長が、こんにちはと言った。
普通の挨拶なのに、なぜか歴史的瞬間を目撃した気分になる。

「ここに来るのか」

「たまに、です」

「毎日ではなく?」

「……だいたい毎日です」

なぜ正直に言った、私。

榊課長は立ち上がり、こちらに歩いてきた。
私はiPadを閉じようとした。
しかし焦る手元は、こういうとき必ず裏切る。

スタイラスペンが膝から落ちた。

「あっ」

拾おうとして身をかがめた瞬間、iPadがスリープせず、画面が明るいまま残った。
そこには、ちょうど例のコマが映っていた。

クールな上司風の男。
犬系後輩風の男。
近い距離。
意味深な台詞。

榊課長の靴が、私の視界に入った。

沈黙。

長い。

あまりにも長い。

私はゆっくり顔を上げた。

榊課長は、画面を見ていた。
無表情だった。
でも、目は確実に画面を見ていた。

人生には、取り返しのつかない瞬間がある。

今だ。

今、私の社会人人生のエンドロールが流れ始めた。
主演、藤代澄乃。
死因、うっかり。