貴腐人の憂鬱――鬼上司と犬系後輩に、秘密を握られました――

部署に入ると、すでに空気が忙しかった。

リュミエール本部での詳細レビューは午後一時。

午前中は最終確認に充てられている。

大崎は進行表を睨み、真鍋はデザインラフの最終版をチェックし、瀬名は札幌店の追加ヒアリングメモを整理していた。

「先輩、おはようございます」

瀬名が顔を上げた。

いつもの明るい笑顔。

大型犬、朝から元気。

ただし私はもう知っている。

この犬は、こちらが逃げようとすると背後に回り込む。

「おはよう。追加メモ、ありがとう」

「いえ。昨日の夜、札幌店の店長さんにもう一回だけ聞きました」

「もう一回だけ、で済む時間でした?」

「済ませました」

「それは済んでない人の言い方です」

「先輩も人のこと言えませんよ」

それは確かに。

私たちはお互いに少し笑った。

その瞬間、少し離れた場所で書類をめくる音が止まった。

榊課長だった。

何も言わない。

ただ、資料を見ている。

見ているのだが、空気の端が一ミリ硬くなった気がした。

私は慌ててパソコンを開いた。

仕事。

これは仕事。

笑顔の後輩と朝の会話をしただけで、脳内に警報を鳴らすのはやめたい。