まちがいさがし

パキッ、と音が手元から鳴った。
見るとノートに転がっている小さな黒いシャー芯。
またか…とわたし—茅上(かやかみ)結愛(ゆあ)—はため息をついて、カチカチ、と新しいシャー芯を出す。
今日はついていないことが多すぎる。
シャー芯が折れるのはこれで5回目だし、苦手なジオグラフィーの課題が大量に出されたし。
さらにはこの雨だ。
わたしはこの図書館の特徴ともいえる、壁一面のウィンドウに目をやった。
正面の道のアスファルトに強く雨が打ちつける。
このウィンドウは晴れの日だと程よく光が入って心地よいのだが、雨の日だとどんよりした景色に気分が沈むだけである。
さらに、この雨はわたしがこの図書館に来てから降り始めたのだ。
つまりわたしは傘を持っていない。
…今日は降水確率高くなかったのにな。
というか、本来なら梅雨の時期は常に折りたたみ傘を持っておくべきなんだろうな。
久しぶりすぎて忘れていた。
門限がくるのが先か、雨がやむのが先か…
門限は6時。
今は…5時半だ。
スマホのロック画面を確認して、まだ時間があることに安堵する。
あと30分。
まだまだの30分か、たったの30分か。
どちらにせよ、この30分で何かしろ変化があってほしい。
雨はもちろん…ジオグラフィーの課題にも。
はぁ、と顔をうずくめる。
って、ジオグラフィーの課題はわたしがどうにかするしかないよなぁ〜。
…見たくない現実気づくの早すぎ、わたし。
顔をあげ、テーブルを見ると、ほっぽりだされているジオグラフィーの教科書とドリル。
もちろん、開かれてすらいない。
図書館に来てから一度も。
やるかぁ、と思うも、課題のページを開けば意味のわからない日本語がずらり。
…わたし日本人なのにもはや読めないよこれ。
日本語すぎる日本語を読んでみたはいいものの、意味が理解できず肩が凝る。
「ん〜っ」
腕をグーっと伸ばしてストレッチしてみた。
変化があるのかはわからない。
だか、やるしかない!
気合いを入れて、ふっ、と力を抜くと、正面に立っている男の子と目が合った。
綺麗な金髪…
最初に思ったのはそれだった。
染められたわけじゃなさそうな、久しぶりにみたふわふわ天然の金髪。
目が合ったのでなんとなくペコっと頭を下げとく。
すると彼も頭を下げた。
…礼儀正しいんだね。
「…ここ座ってもいいですか?席、ほかに空いてなくて」
彼が話しかけてきた。
なるほど、それで彼がわたしに聞こうとしていたから目が合ったのか。
よく考えたら雨のせいか、いつもより来館者数が多い気がする。
「もちろん!どうぞどうぞ」
断る理由もないので了承する。
机のあっち側まで散乱していたわたしのジオグラフィーの教科書たちを引き寄せる。
カタッと音を鳴らして男の子が座る。
すると、イングリッシュの教科書とドリルを出して、もくもくと解き始めた。
わたしもジオグラフィーのドリルと向き合う。
けれど、どうしても目の前の男の子がなんとなく気になっちゃう。
ちらっと盗み見る。
よくみたらおんなじ高校の先輩だ。制服でわかる。
わたしの学校、野々倉高校の制服のリボンとネクタイは学年ごとに色が違う。
わたしは一年生だから赤だけど、彼は緑色ってことは一個上の二年生だ。
彼はよほど集中しているからか、わたしが見ているのに気づかない。
…わたし、イケメンとか本当にわからないけど、彼はイケメンという部類に分類されるのだろうか。
記憶では友達の優ちゃんが「金髪イケメン最高!!!」とか言ってた気がする。
まあ、イケメンかどうかは置いといても、整っている顔であるのは確かな気がする。
というか、可愛い感じの顔な気がする。
でも可愛いと言っても女の子みたいな感じじゃなくて、なんていうかやんちゃそうな男の子って感じだ。
ふと彼の手元を見るとたまたまながらまちがいを見つけてしまった。
…過去のさらに過去の出来事はpast perfectだよ、past simpleじゃなくて。
なんて言える勇気があるか、というと、あるにはあるのだが、わたしは日本の先輩後輩の関係がいまいちわからない。
「先輩まちがってますよー」とか言ったら問答無用でやられるものなのか。
でもまちがいを放っておくのもな…
確かだけど、二年生のイングリッシュの先生は林田先生。
いつも宿題でドリルのページ数などを指定して解かせて、丸つけするのは先生だった気がする。
つまりこのままでは彼の宿題は林田先生によってペケにされてしまう。
ここはたとえ恨まれようとも助けないわけにはいけないよなぁ。
意地悪なことをされたら優ちゃんに相談しよっと。
「あのぉ…」
遠慮がちに声をかける。
金髪の男の子が顔を上げた。
少し驚いたような、それでいて疑問に思っているかのような、そんな表情をしている。
「ぼく?」
自分を指さしながら不思議そうに尋ねる彼。
「そうです…えっと。失礼かもなんですけど…そこ、間違ってる気がして…」
そう答えながらわたしは彼のイングリッシュのドリルのまちがいのところを指す。
「えっ、どこどこ?」
男の子は焦った顔をして、ドリルをこちら側にくるりとむけてくれた。
…よかった。怒ってはなさそうだ。
「…こ、ここです。ここの文法、たぶん…」
わたしはさっき思ったことを説明する。
どうかな。怒られないかな。そもそも理解してもらえたかな。
伏目がちに見上げると、真っ黒で澄んだ目と至近距離に目が合った。
…目は黒いんだ。
天然の金髪のように見えたから、もしかしたら外国人かなって思ってたけど、よく考えたら日本語流暢に話せてるし…
ハーフとかかな?それなら納得がいくかも。
「…ほんとだ。たしかにそんなこと教科書もいってるわ」
わたしの説明を聞いた後、パラパラと教科書をめくっていた彼は、その説明が書かれたページを見つけたのか、納得してくれたようだった。
「君…えっと名前なに?」
「あ、茅上結愛です」
質問に答えると話を続けてくれた。
「茅上さんは英語得意なの?」
少し驚いた表情を隠しきれていない彼はわたしに聞いてきた。
「えっと。得意ってほどではないですけど…クラスのみんなよりはできるかなってかんじです」
というか、そうだと信じたいかんじだ。
そうじゃないといろいろ示しがつかない。
そんなわたしの心中を知りもしない彼はその言葉を聞いた途端、パッとわたしの両手を握った。
いや、彼の両手に包み込まれた、といったほうが正しいかもしれない。
包まれた手から彼のぬくもりが伝わってくる。
「もしよかったらボクに英語教えてもらえない!?」
「…え」
…まじすか…?
「いやー、ぼくさ、英語だけはほんっとうに苦手で、たぶん中学の範囲とかもあやふやなくらい。でも来週テストやるって林田先生にいわれちゃって。赤点だと補習らしいんだよね。でも補習だと困るんだよね。フットボールの練習でれなくなっちゃう」
焦るわたしを他所に真剣な眼差しで事の重大さ(?)を説明する彼。
…football。
ヨーロッパの方のハーフさんなのかな?
ちょっと気になるとはいえ、わたしが他人(しかも先輩)にイングリッシュ教えるとか無理すぎる!!
「お、お誘い(?)嬉しいのですが、わたしが英語教えるとか、そんなことはちょっと…」
断る姿勢を見せながら、さささーっと先輩から目を逸らすわたし。
すると、彼はパッと手をわたしから離した。
…よかった、あきらめてくれたかな?
「…じゃあ、ごめんだけど、そこ間違ってるよ」
彼が指すのはわたしのジオグラフィーのドリルの問題だ。
バッと顔を上げる。
「…本当ですか、?」
そこ、結構自信あったんだけど、わたし。
「うん。答えはエクアドルだよ。確認してみて…って、言うまでもなかったね」
先輩が答えを言った瞬間からドリルの答えの冊子をバババーっとめくるわたし。
「あ、あった」
18ページ。一問目。
答えは…エクアドルだ。
「ほ、本当だ…」
「ね、あってたでしょ」
驚きつつ顔を上げると、彼はちょっと自慢げに笑っていた。
…かわいい。
なんか、失礼かもだけど、小学生男子みたいなかんじがする。意地悪じゃない方の。
「すごいですね。先輩、ジオグラフィー得意なんですか?」
「じおぐらふぃー?」
あ、しまった。
「あ、いや、えっと、地理、世界地理です」
無理やり笑顔を浮かべて誤魔化す。
きっと冷や汗だらだらに違いない。
「世界地理は得意だよ、結構」
そうなんだ。かっこいい。
世界地理だめだめなわたしとは真反対だ。
「で、提案なんだけど」
彼は続けた。
「ぼくは茅上さんに地理を教える。茅上さんはぼくに英語を教える。ってのはどう?」
その口から出てきたのは、こちらからしたらあり得ない交渉内容だった。
「だ、だから、わたし、英語を教えるなんてことできなくて…」
地理を教えてもらえるのは嬉しいけど、さすがにそれは…
「なんで?」
キョトンとた顔で尋ねる彼。
「なんでって…わたし英語たいしてできなくて…全然ダメダメで…」
あぁ、言ってて情けなくなってきた。
わたしはイングリッシュがペラペラじゃなければいけないのに。
ズーンと気分が沈むわたし。
…涙出てきた。
でも、先輩が紡いだ言葉は意外すぎるものだった。
「でも、ぼくより話せるじゃん」
「えっ」
「ぼくより全然話せるし、さっきの説明のときも発音よかったじゃん。英語って、舌の動きからなにからなにまで日本語と違うじゃん?それでもあんなに発音いいんなら、たぶんだけどすごい頑張ったんじゃない?じゃないとあんなに綺麗に発音できないよ」
吐息のような「え」がもれた。
さっきの無邪気な笑顔で話す彼。
でも、瞳は真剣で、きっと本当にわかるんだと思う。どうしてかは知らないけど。
「ぼくは、そんな君だから、教えてほしい。ボクに、英語を教えてください」
ペコっと頭を下げる彼。
本当は、断るつもりだった。
だって、わたしにそんなことできないもん。
でも。だけど。
彼の言葉を聞いて、わたしは。
「よ、よろしくお願いします…っ」
もっと彼のことを知りたいと思っちゃった。

⌖˚˳◌˚:.⌖*⿻ ⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖

「えっと…最初は茅上さんの地理教えようか?頼んだのこっちだし…」
「や、先輩のイングリッシュのテストが近いですし、わたしから教えますよ」
もうここまできたら徹底的に教えるしかない。
目指すは100点満点!わたしのおせっかいさを発揮する時だ!
「ほんと?それはありがたいかも」
ほっとした顔を見せる先輩。
「てか、先輩とか後輩とか気にしなくていいからね。なんなら呼び方も『先輩』じゃなくていいよ」
その言葉を聞いてほっとする。
正直先輩に勉強教えるっていうのも日本の文化的にどうなのか気になってたし、何よりわたしが先輩とか呼び慣れていない。
「えっと、じゃあ…」
先輩の横に置かれた地理の教科書の名前の欄を盗み見ると、『乾晃樹』と少し丸っこい字で書かれていた。
いぬい、こうき、くん。
「乾くん?」
名前の読み方が合ってるかちょっと不安で、こてっと首を傾げる。
言い慣れていなくてなんだかくすぐったい。
「うん!なんかそのほーがしっくりくる!」
先輩、改め乾くんは1人納得したようにうんうんと首を縦に振る。
すると思いだしたようにわたしをみた。
「じゃあ茅上さんは?」
「わたし?」
自分を指さして聞き返す。
「いや、もう茅上さんって呼んじゃってるけど、なんか呼んでほしい呼び方ある?」
「うーん…」
なんだろう。パッと思いつくものがない。
「あ、じゃあさ、こんなのはどう?」
思いついたように乾くんが言った。
「『茅上』の上2文字をとって、『カヤちゃん』!」
「かやちゃん…なんかかわいい」
「でしょー」
ンフっと笑う乾くん。
カヤちゃんかぁ。
カヤちゃんってあだ名もかわいいけど、
乾くんの笑顔、やっぱかわいいなぁ、なんて。

⌖˚˳◌˚:.⌖*⿻ ⿻*⌖.:˚◌˳˚⌖

あんなにザーザー降っていた雨は門限前には止んでいた。
乾くんが前でんんーっと背伸びする。
「カヤちゃんありがとね。たぶんめっちゃ進んだよ、英語。明日はちゃんと地理教えるからね」
「ありがとー!楽しみにしてる」
ジオグラフィーの課題をするのがこんなにも楽しみだったことはないかもしれない。
なんてったってこの30分弱、乾くんと雑談しながらテストに向けて課題をこなしていたのが、すっごく楽しかったのだ。
好きなもの、嫌いなもの、得意なこと、苦手なこと、なんて自己紹介のような話から、学校の話や友だちの話まで。
どんなありふれた話題だろうと乾くんと話すのはものすごく面白かった。
しかも乾くんはたぶん天然?なのかボケてるというかぬけてるところが多い。
なんだか大喜利でもみているような気分でもあった。
…もちろんちゃんと英語も教えたけど。
「乾くんの家ってどっち方面?」
図書館の出口まで来たとき、わたしは乾くんに尋ねた。
「んっとねー、こっちのほう」
乾くんは図書館から出て右方面をさした。
「あ、わたしと一緒です」
「じゃあ途中まで一緒に行こうか」
そんな乾くんの提案を二つ返事で了承したわたし。
わたしたちが背中を向けた空には、七色の虹ができていた。