月と花のエレジア

夜会の空気は、
どこか張り詰めていた。

ヴィオネ。

その名を聞いた瞬間から、
周囲の貴族たちは小さな囁きを交わしている。

──元婚約者。
──本来なら隣に立つはずだった人。

エルシアは胸の奥が少しだけ痛んだ。

するとヴィオネは、
優雅にスカートを摘み上げ微笑む。

「お噂はかねがね聞いておりますわ。
“花冠の姫”エルシア様」

その声は柔らかい。

けれど完璧すぎて、
どこか距離を感じた。

「……初めまして、ヴィオネ様」

エルシアが小さく頭を下げる。

その瞬間、
また胸が苦しくなった。

息が浅い。

視界が滲む。

まずい──

そう思った時。

「無理をするな」

低い声とともに、
エリアスがエルシアの肩を支えた。

会場が静まり返る。

エリアスは人前で感情を見せない。

そう有名だったからだ。

なのに今、
彼は迷いなくエルシアを庇っていた。

「エリアス様」

ヴィオネが静かに目を細める。

「……随分、お優しいのですね」

その言葉に、
一瞬だけ空気が冷えた。

しかしエリアスは動じない。

「彼女は私の婚約者です」

静かな声。

なのに、
誰も逆らえないほど真っ直ぐだった。

エルシアの胸が小さく跳ねる。

すると突然、
ふわりと白い花びらが舞った。

「あ……」

エルシアが目を見開く。

感情が揺れると、
花魔法が溢れてしまう。

花びらは月光を受け、
幻想的に煌めいた。

会場中が息を呑む。

「綺麗……」

誰かが呟いた。

けれど次の瞬間。

エルシアの身体がぐらりと揺れる。

「姫様!」

リゼットが叫ぶ。

だが倒れる前に、
エリアスが抱き留めた。

白銀の髪が揺れる。

彼はエルシアを見下ろし、
低く囁いた。

「……もう十分だ」

その声は、
驚くほど優しかった。

「部屋へ戻りましょう」

「ですが、夜会が……」

「関係ない」

即答だった。

会場がざわめく。

フィオレリアの王女を、
ルナリアの第一王子が抱き上げている。

しかも、
誰の目も気にせず。

エルシアは熱くなる頬を隠せなかった。

その時だった。

ふと、
背筋に冷たいものが走る。

──誰かが見ている。

エルシアは反射的に窓の外を見た。

月明かりの庭園。

その奥。

黒い外套を纏った青年が立っていた。

灰紫の髪。

妖しく細められた瞳。

そして、
不気味なほど優しい微笑み。

「……見つけた」

誰にも聞こえない声。

けれどその瞬間、
エルシアの花が一斉に揺れた。

まるで、
危険を知らせるみたいに。