「久しぶりに来た!楽しくなってきた!」
「早いな」
駐車場に車を停めると、冷たい風が頬を撫でた。
遠くに見える富士山の頂上だけが、白く雪を被っている。
「で、何が欲しいか決まった?」
怜が通路を歩きながら楓を見た。
実は車の中で思いついたものはあったが、それを口に出すのはなんとなく恥ずかしくて、言えなかった。
「…おそろい、欲しい」
「お揃い?」
「スニーカーとか。怜ちゃんと一緒に履きたい」
「…いいけど」
怜が口元を隠すようにして返事をした。
子どもっぽいって思われたかな、と楓がコートを引っ張ると、「どこのメーカーが良いとかあるの」とぼそりと言った。
「ない、デザインが可愛いやつ!」
「じゃあ適当にスポーツメーカーのやつ見よっか」
「うん…あのさ」
石畳を歩くたびに、楓が履いているローファーの靴音がコツコツと響いて、噴水の水音が遠くから聞こえる。
怜が「ん?」と言いながら近くにあった案内板を覗き込んだ。
その横で、楓は小さな声でぽつりと漏らす。
「…あの…嫌じゃない?お揃いとか、子どもっぽかった?」
案内板に視線を送るも、その内容は頭に入ってこなかった。
隣にいる怜がちらりと自分を見たのが分かった。
「…普通に、嫌なわけなくない?」
「……ほんと?」
「うん。ていうか外でかわいいこと言わないで」
「えっ」
怜が楓の手を取った。
大きな手のひらが、冷たい空気の中で楓の指先をそっと包み込む。
チャコールグレーのコートの裾がひらりとスカートに当たった。
「ニット、似合う」
怜が楓の顔を覗き込んで言った。
先日一緒に買い物に行って選んだ、赤いニットを着ていることに触れられて、思わず笑みが溢れる。
今日は赤のニットに黒のふんわりとした膝下のチュールスカート、ヒールのないローファーを合わせていたのだが、朝から何もニットについて言われないことに、なんとなく不満を持っていたのだ。
「…褒めるの遅いよっ」
でもそれを素直に言葉に出せなくて、口から出たのは可愛くない言葉だった。
怜はくしゃりと楽しそうに笑って、「ごめん」と言った。
「俺もあの時に楓が選んでくれた、青いニット着ればよかった」
「そうだよっ、何やってんの」
「なんで怒られてんの俺」
そのまま手を繋いでどちらからともなく歩き出した。
ガラス張りのショーウィンドウに映り込んだ空は、高くて青かった。
もうなんの理由もなく、外では手を繋いで、お出かけをデートと言っていいんだと急に実感して、笑みが溢れた。
「こっちはグリーンで可愛いよー、こっちはベージュのラインが可愛いよー、それともシンプルなアイボリーが合わせやすい?怜ちゃんも履くこと考えたら黒が無難かなぁ?」
「…」
「ねぇどれがいいー?せっかくだから色のものにする?黒がいい?白がいい?」
「…楓が決めていいよ」
「えー!何それー!もっとちゃんと考えてー!」
「…ベージュ?」
「えーでもグリーンのやつも可愛いよー」
「…じゃあそっちにしたら」
楓が手に持った二足の靴を眺めながら、怜が低い声でそう言った。
よく分からない、と思われているのは分かっているが、一緒に考えて欲しいのが女心というものなのに。
様々なスニーカーと箱がびっしりと並ぶ棚の前で、無意識にむくれていた楓だったが、隣に立った怜がくしゃりとその頭を撫でた。
不意に訪れた温かい手のひらに、楓は怜を見上げる。
そういえば、最近はやけに頭を撫でられる気がする。
「俺はなんでも嬉しいから、楓が気に入るデザイン選びな」
「…じゃあ二足買う」
「いんじゃない?」
「もぉ、嘘だよ!甘やかすのやめてー!!」
誕生日だからかな。
いつもよりも怜の視線が優しくて、じっと目を見つめられたり、少し距離が近かったり、身体が触れることが多い気がするのは。
いつもより、甘やかされているのかな。
「…グリーンのやつにする」
「ん。サイズ探そ」
怜がしゃがんで箱の表示に目を凝らしている。その隣に、楓もしゃがんだ。
スニーカーの箱が天井近くまで整然と積まれた狭い通路で、二人の肩が小さく触れ合う。
その手元には、サンプルで展示されていた深いモスグリーンにブランドの白いロゴが入ったスニーカーが、一足ぶら下がっている。
ざわざわと人の声やセールの呼びかけが聞こえる店内で、目が合う。
周囲の賑やかなアナウンスや他人の靴音が、まるで遠くの出来事のように遠ざかっていく。
「いい誕生日だなぁって思って」
「…早いって。まだそんな甘やかしてないよ?」
怜が眉を下げて笑った。
嘘だ、もうたくさん甘やかされてるよ。
スニーカーが入った箱を真剣に探す横顔をなんとなくそのまま見つめて、それに気づいた怜が「見過ぎ」と笑った。
「あ、怜ちゃんが今着てるブランドのお店じゃん」
「ほんとだ」
「見て行こー」
「いいけど、俺の服は別にいいからね」
昼食をアウトレット内のショップで済ませ、見ていないエリアを歩いている途中、楓は怜の手を引いた。
ショップの中に入ると店員が「いらっしゃいませ」とにこやかに声をかけた。
「怜ちゃんって、意外とブランドの服とか着るよね」
「流行り廃りがあんまり無いし、長く持つし、組み合わせ考えなくてもそれなりに見えるじゃん」
「効率で選んでたの?」
今まで見てきた怜の服は、シンプルなブランドのロゴが入ったものが多かった記憶だが、そんな意図があったとは知らなかった。
棚を何気なく見ていると、怜が今着ている服と同じものが見つかり、怜の腕を引いた。
「同じじゃん」
「まぁ王道のデザインだから」
「それはいつ買ったの?」
「覚えてないけど、去年ではないな。てかほら、数年経ってもまだ売ってるんだから、長く着れるってことじゃん」
「つまんないこと言わないのっ」
楓が何気なくそのトレーナーを手に取ると、重力に従ってスウェット生地がだらりと垂れた。
意外と小さく、値札を見るとレディースのものだった。
裏毛スウェットの上質な重みと、ふっくらとしたコットンの柔らかさが手首に伝わる。
楓の手元ごと覗き込むように、怜の気配がすぐ後ろに重なった。
メガネの奥の切れ長な瞳が、レディースの小さなタグをじっと見つめている。
怜が、口を開いた。
「…これも買おっか?」
「え?」
左の胸元に小さく入った、アルファベットのブランドロゴは刺繍になっていて、店内の照明を受けてツヤっと光っていた。
「同じじゃん、俺と」
「…お揃いってこと?」
怜からそんな提案をされるとは思わず、楓は聞き返した。
お揃いを思いついた時、怜はそういうことを好まないかもしれないと思ってスニーカーの提案にとどめていた。それだけに、その発言が信じられなかった。
「…なんだよ」
「…意外で」
「……うるさいな、別にどっちでもいいけど」
先ほどまで何でもない顔をしていた怜だったが、楓の視線を受けて気まずそうに顔を逸らした。
遅れてじわじわと嬉しさが込み上げてきて、覗き込もうとすると更に顔を背けられる。
「そういうのしてくれるタイプなんだ!?」
「うるさい、じゃあもう出よ」
「わーごめん、欲しい欲しい!買って!!」
楓がそう言うと、怜が「声が大きい」と口を手で塞いだ。
目だけでごめん、と訴えると、手を離した怜が棚の上に置かれた服を手に取り、「サイズは」とぶっきらぼうに言った。
「…おっきめに着たいから、Mで」
「はいよ」
怜はそう言うと、タグを見ながら棚の中からMサイズのトレーナーを探し出した。
わざとらしく陳列を直すような手つきで引き抜くと、ふいっと楓の顔を見ずにレジの方に歩き出した。
勢いで買ってと言ってしまったが、きっと元々怜が自分で払うつもりの提案だったんだろう。今自分で払うとか余計なことを言うとまた機嫌を損ねるかもしれないから、なにも言わずに甘えておこう。
そう思いながら怜の後を追うと、レジカウンターで財布を出した怜に「なに笑ってんの」と肘で軽く小突かれた。
メガネのフレームと前髪で、横からだとどんな表情をしているか分からなかった。
でもきっと照れている。
怜のことを可愛いと思ったことは今まであまり無かったが、付き合ってからは少しだけそう思うようになった。
妹として、怜のことはよく知っているつもりでいたが、まだまだ知らないことも多そうだ。
そう思うとまた口元が緩んで、無意識に手を当てた。
ちらりと楓を見た怜が眉を顰めて目を逸らした。
カウンターの下に降りていた手を握ると、少しだけ握り返された。
怜の指先にぐっと力がこもり、さっきよりも少し深く、指を絡めるようにして強く包み込まれた。
それが嬉しくて、また笑みが溢れた。



