「電車乗らないの?」
「うん、今日は車」
「車!?」
朝九時ごろに家を出たが、怜は駅とは違う方向に歩き出した。
その怜から返ってきた言葉に、思わずそう返す。
「どこ行くの?」
「んー…どうせナビで分かるしいいか。静岡の御殿場」
「御殿場!?」
「うん。アウトレット」
家の近くのコインパーキングに着くと、怜がカードをかざしてカーシェア専用車の鍵を開けた。
どうやら事前に予約も済ませていたらしい。
乗るように促され助手席に座ると、レンタカー独特のすっきりとしたシートの匂いがした。
「お買い物?」
「そう。好きなものなんでも買ってあげるから、何個でも」
運転席に乗り込んだ怜が、ナビを操作しながら何気なく言った。
ピッピッと軽い電子音が車内に鳴り響き、女性の声で「目的地まで一時間三十分です」とアナウンスが流れた。
「えー…でも…」
「カバンとかそういうのでも良いよ?」
「…じゃあマルジェラのバッグ」
「いいよ」
「うそうそ!!嘘です!もー、私を甘やかさないであんまり!」
冗談で思いついたものを言っただけなのに、さらりと受け取られ、楓の方が慌てて顔の前で手を振った。
怜は楓のシートベルトをちらりと確認した後、車を発進させた。
タイヤがアスファルトの石を踏み潰して擦る、ザラザラという音が聞こえた。
「甘やかすよ、誕生日だからね」
「…それにしても、限度があるじゃん」
楓の言葉に、怜がふっと笑った。
大通りに出ると車が沢山走っていて、ナビの画面では五分ほど走った先のジャンクションから高速に乗るように表示されていた。
「欲しいものないの?本当に何でもいいよ」
急に言われても何も思いつかない。
さっきみたいに高いものをおねだりしても、きっといいよと言って買ってくれるのだろう。
でも生活費や家賃を全て負担してもらっていて、出かけた時もほとんど支払ってもらっている。これ以上甘えたくないというのが本音だ。
「うーん…」
「なんか余計なこと考えてるだろ。生活費払ってもらってるしとか」
「ゔっ…だって今までは妹だから甘えてたけど、彼氏に全部払ってもらう彼女って、どうなの…」
運転中の怜はまっすぐ前を見つめていて、視線が合わない。
そんな中でも考えを見透かされて、楓がそう言うと、怜はふっと笑った。
「何個離れてると思ってんの?いいよ」
「…え〜」
「え〜じゃないの。着くまでに何が欲しいか考えときな」
「……ありがと」
怜が口角をきゅっと上げて、一瞬だけ視線が合った。
なんか、今日の怜ちゃんはかっこよく見える。
なんでかな、運転してるからかな。
左の胸元に小さくアルファベットのブランドロゴが入ったネイビーの薄手のトレーナーを着て、淡いグレーのパンツを履いている。
先ほどまで羽織っていた、チャコールグレーのコートは畳まれて後部座席に置かれていた。
茶色の細縁のメガネもしていて、くしゃりとセットされた前髪がふわりと流れている。
町田にいた頃は運転している姿を見たこともあったが、最近はほとんどなかった。
無意識にじっと見つめていたことに気づいて、慌てて目を逸らした。
「…そういえば、皆川さんに言ったよ。桃香さんと藤子さんにも」
「…ふうん」
楓がBluetoothに繋げたスマホで、音楽アプリの操作をしながら言った。
横目でちらりと見た怜の表情に、変わりはなかった。
「皆川さんには、幸せそうな顔してるねって言われた」
「……それはさ」
「?うん」
「……かわいい顔ってことじゃないの」
「え?」
怜の言葉に思わずそちらを見ると、丸めた手を口元に当てたまま、前を見て運転していた。
ドライブにおすすめというタイトルのオンラインプレイリストが流れ始め、軽快なドラムの音と共に、爽やかでポップなサウンドが車内に流れ始めた。
「…楓の幸せそうな顔って、かわいい顔でしょ」
「な、なに言ってんの…」
「…別にいいけどさ…」
「変なこと、言わないでよ…」
少しでも安心してもらえるかなとか、もう何とも思われてないよとか、いろんな思惑があっての報告だったが、思いもよらない角度からの返事に楓は固まる。
流れていく景色を見ようにも、高速道路を囲うグレーの防音壁が続いているだけだ。
「…ちゃんと報告したんだから、褒めてよ…」
「…えらい」
怜の言葉も歯切れが悪く、もしかしたら恥ずかしいのかもしれないと顔を見た。
相変わらず視線は合わなかったが、少しだけ耳が赤いような気がした。
「れっ、怜ちゃんは、今なんのお仕事してるの」
「…なに急に」
いきなりの話題の方向転換に、怜も違和感を覚えたらしい。
甘酸っぱくて恥ずかしい空気をどうにか変えたくて、脳内を必死に探した話題にしてはストレートだった。
「…どんな案件持ってるの?」
「興味ある?前は聞いても難しくて分かんないーとか言ってたでしょ」
定期的に道路に設置されたラインブロックで車が少しだけ跳ねる。
ナビの音声が「神奈川県に入りました」とアナウンスをした。
「そうだけど…でも、怜ちゃんのこと、もっとちゃんと知りたいなって思って…」
「……別にいいけど」
「ほんと?じゃあ教えて、何してるの?」
怜が少しだけ眉を寄せたのは、恥ずかしさを誤魔化しているように見えた。
黒いシートに身体を預けて、楓は横目で怜を見つめた。
「えー…っと…今は、オーガニックスーパーの全国展開とブランディング戦略でしょ、Webコミックの会社の買収案件とか…個人で見てるデザイナーズ事務所の経営顧問と…この間三浦が持ってきてくれた和菓子の会社も決まりそうだし、あとはスポットでD2Cアパレルブランドの壁打ちとか…」
「わ、わからん」
「でしょ?何にも面白くないよ」
「それって、どんなことするの?」
怜が話す単語は難しくて、今までだったら諦めていた。
それでも知りたい、分かるようになりたい。
そう思って聞くと、怜は少し困ったような顔をしながら、ゆっくりと口を開いた。
「例えばブランディング戦略ってのは、簡単に言うとファンを作ること。その辺のスーパーより三倍の値段なら普通はいらないってなるけど、例えばお店のロゴとか、内装とか…紙袋のデザイン、SNSとかをオシャレにすんの」
「うん」
「で、このスーパーなんか素敵だなって思ってもらうでしょ。そうすると、みんな三倍の値段でも喜んで並んで買ってくれるようになる。これがブランディング戦略」
「なるほど…?」
楓の顔を見て、怜はふっと笑った。
「まだ続ける?」と聞いて、楓が「うん」と言うと、笑みを浮かべたまま続けた。
「全国展開は、東京ならいいけどそのノリで地方モールとかの横に出しても、高すぎてすぐ潰れるじゃん。だから全国のデータからいけそうな場所を見つける感じ」
「へえ…?怜ちゃんは何をしてるの?」
「俺は社長に、次は名古屋と大阪のここに、こういうコンセプトで店を出しましょうって提案してる」
「…この間、深夜にやってたのもそういうこと?」
三週間ほど前の、深夜二時に怜がリビングのソファで仕事していたことを思い出して聞く。
怜の膝で眠って、朝に目が覚めたら、怜はいなくなっていた。
その代わり自分の身体にはブランケットと、部屋から持ってきたらしい怜の布団がかけられていた。
「あーそうそう。あれは後輩に全国の人口や購買データとか、競合の売上を計算してもらってて、それをチェックしてた」
「大変そう…だね?怜ちゃんは役職とかあるの?課長みたいな?」
楓がそう言うと、怜はふっと笑った。
その顔が優しくて柔らかくて、窓から差してくる日差しが眩しくて、怜の黒い髪の毛が透けてキラキラと光っていた。
「まぁ一応…PMっていうやつ」
「PMってなに?」
楓が聞くと、にやりと口角を上げた。
「午後ってことだよ」
「?……っ!私のことナメてる!!さすがに嘘が雑すぎる!!」
「ははっ」
かっこいいって言おうとしたのに。
よく分からない怜ちゃんの仕事を、もっと知ろうと思ったのに。
機嫌の良さそうな怜が、肘を窓の枠にかけて、片手でハンドルを握る。
車内にはアップテンポの曲が流れ、少しだけエアコンから吐き出される風の音をかき消している。
悔しい。
揶揄われているのに、あしらわれているのにそれが嫌じゃなくて楽しい。
まっすぐに道路を見つめている怜の視線が、たまにこちらに向くのが嬉しい。
昨日の夜、日付が変わってすぐに、楓の部屋を怜がノックした。
もう寝ようと電気を消していた楓だったが、電気をつけてベッドから起き上がると、怜がドアからゆっくり顔を出した。
「どうしたの」と言った楓に、怜がぽつりと「誕生日おめでとう」と言った。
そんなことはすっかり忘れていた楓が思わず笑うと、怜が恥ずかしそうな顔をして「笑うな」と言った。
わざわざ言いにきてくれたんだと思うとそんな怜が可愛くて、「ありがとう」と言った楓がいつまでもニヤニヤしていると、ドアから顔を出したままの怜が不貞腐れたような表情で「早く寝ろよ」と言ってドアを閉めた。
静かに閉まったドアの向こうで、怜が小さくため息をついて自分の部屋へ戻っていく足音が聞こえた。
もうすでに素敵な誕生日なんだけどな。
そう思いながら、耳を抜けていく音楽を聴いて、怜の横顔をたまに見つめた。



