「あのさ…」
怜が珍しく気まずそうに声をかけてきたのは、三浦が来た日の翌日、夕食後だった。
「なあに?」
「楓さ、今週の金曜…誕生日は働きたくないから休み希望出すーって…前言ってたじゃん」
「うん」
ちらりとキッチンにかけてあるカレンダーを見ながら返事をした。
カレンダーの十一月十三日の数字の横には、楓が以前に書き込んだ小さなハートマークが見えた。
「…なにする予定だったの?」
「平日だし、昼間は実家に帰ろうかなって思ってたよ」
「実家ね…それ千夏さん達にもう言ったの?」
「まだ、今日言おうと思ってた」
怜が目線を逸らしながら、気まずそうに話す。
いつもの怜らしくない様子に不思議に思っていると、怜が小さな声で言った。
「…俺と、一日出かけない?」
「えっ!」
思わず声を上げると、怜が髪の毛をくしゃりとかき上げ、顔を半分隠しながら言った。
「…全然、あれなら実家帰ってもいいし…夜だけとかでもいいんだけど」
「え、だって怜ちゃん仕事じゃないの?金曜日だよ?」
「俺はまぁ、調整できるし休む」
遠慮がちに言う怜が、少しだけ可愛く思えた。
そんな怜の様子に、胸の高まりを感じながら、楓が返事をした。
「嬉しい!いいの?お出かけしたい!」
「…いいの?」
「怜ちゃんがお祝いしてくれるってことでしょ?」
「まぁ…」
「ありがとう!休み希望出しておいて良かったー!」
今まで、誕生日プレゼントはお互いにあげていたし、家族で当日を過ごすこともあった。でも怜と二人きりで過ごす誕生日は、初めてだ。
「…じゃあ、空けておいて」
「ね、それは、彼氏だから?」
怜が口角をきゅ、と上げて柔らかく笑った。
楓が思いついた疑問を素直に口にすると、怜は眉を顰めて視線を逸らした。
「…そうだけど。わざわざ言うなよ」
「んふ、嬉しい」
「…そんな大したことできないから、期待はしないでね」
「えーもうすでに嬉しいから大丈夫だよー」
楓がそう言うと、怜の手が頭に乗って、くしゃりと髪の毛を揉むように撫でた。
その手つきが優しくて、今から誕生日が楽しみで笑みが溢れた。
「ねぇ、怜ちゃん」
「ん?」
「昨日、三浦さんにも報告できたし…職場の人にも報告していい?」
風呂が沸くのを待っている間、怜と楓はソファで並んでテレビを見ていた。
バラエティのCMが流れたタイミングで楓が怜に聞いた。
いいよ、と言ってくれると思っていたのだが、怜が黙って何も言わなかったので、楓がちらりと怜の顔を見た。
「…それはさ…どこまで話してんの?」
「どこまでって?」
「兄妹だってこととか…俺らの親の話とか」
怜は心なしか眉に力が入って、何かを考え込むような顔をしていて、想像と違う反応に楓は戸惑う。
「親のことは詳しくは話してないけど…兄妹ってことは知ってる人がほとんどかな?」
「ほとんどなのか…」
「…なんで?ダメだった?」
もしかして、言ったら良くなかったのだろうか。
身体の向きを変えて怜に向き合うと、怜がふう、と息を吐いて、楓の頭に手を乗せた。
「どこまで話してる?出かけたり、俺が色々言ったことも知ってんの?」
「…うん…ごめん、話聞いてもらってて…」
あまり良くない反応に、思わず謝罪の言葉が漏れる。
自分の口から話したのは桃香と藤子、品川だけだが、桃香がスタジオで所構わずその話題を振ってくることがあった。休憩室で他のスタッフがいる時も怜の話が出ることがあった。
直接話していないし聞かれていなくても、知っているスタッフは他にもいるはずだ。
「いや、楓が悪いんじゃないよ。元はと言えば、俺の態度が原因だし」
「……他で、自分の話されてるの、いい気しないよね…?ごめん」
「いや、それはまぁ良くて」
怜が楓の頭に乗せた手を、ゆらゆらと動かしながら言った。
その動きに合わせて頭が少しだけ揺れて、怜と目が合った。
口元に微かな笑みはあるのに、その顔には何か迷いがあるようだった。
「あんまり、兄妹ってことは、外で言わない方がいい」
怜が言った言葉が、少しだけ理解できなかった。
頭の中でその言葉が、ぐるぐると回っているようだ。
「な、んで?」
「うーん…説明が難しいでしょ、俺たちの関係って。だから…」
「だって、怜ちゃんはお兄ちゃんじゃん。彼氏になったけど、今でもお兄ちゃんでしょ」
怜の言葉を遮って、楓は言った。
頭に置かれたままの手の動きが、一瞬だけ止まって、ゆっくりと再開される。
「そうだよ。ただ、そこを否定してるんじゃなくて、他の人からの見え方の話」
「見え方って、何?妹と付き合ってるのが恥ずかしいってこと?」
楓の言葉に、怜がふう、と息を漏らし、身体の向きを変えた。
なにそれ、何でため息みたいな、そんな態度とるの。
「違うよ。楓ちょっと聞いて」
「イヤだ」
一瞬だけ見えた怜の顔が、仕方なさそうに見えて、それがすごく悲しかった。
それが余計に意地を張らせた。
とっくにCMは終わっていて、バラエティの笑い声が遠くで聞こえた。
さっきと同じボリュームのはずなのに、やけに耳障りだ。
「なんて言えばいいかな……言う人を、選んでって話だよ」
「怜ちゃんは、……私と…妹と住んでるとか、今までの気持ちとか……付き合ってるって、誰に言ってるの」
怜はしばらく黙って、静かに言った。
頭に置かれたままの手は、もう動いていなかった。
「…三浦しか知らない。これから誰かに、楓を妹って、言う気はない」
怜の言葉が空気に溶けていった。
張り詰めていたものが、その言葉で決壊した気がした。
込み上げるものを隠したくて、下を向いた。
髪の毛が顔の横にだらりと降りて、視界が一気に暗くなった。
「…恥ずかしいから?」
「違う、そうじゃなくて。楓、あのね、」
なんで、そんな兄妹を否定するみたいなことを言うの。
咄嗟に溢れた気持ちが、脳みその面積を一気に狭くさせる。
「妹だから?歳の差があるから?…私が…子どもっぽいから?」
「楓」
怜の声色が落ち着いていて、それが余計に楓の頭に血を上らせた。
だって、そんな、諭すような声出さないで。
どうしようかなって、なんて話せば分かってくれるかなって、そんな気持ちが溢れているんだもん。
「…じゃあなんで…好きって、言ったの……」
自分の言った言葉の意味など、分かっていなかった。
同じ温度にすらなってもらえないことが、怜との圧倒的な差に思えた。
主張も態度も、全てが子どもっぽいことを自分で証明してしまっている気がして、引き返せなくなった。
怜から距離を取ると、怜の手もするりと呆気なく離れていった。
ぺた、と怜の膝に落ちた手のひらが、視界の端に映った。
「かえで」
何で、怜ちゃんがそんな声を出すの。
もしかしたら怜を傷つけたのかもしれないと思った。
それでも、自分が傷ついたという事実の方が重く感じてしまって、後戻りができなくなって、勢いよくリビングを出た。
部屋に戻ろうと思って、いつかのことを思い出して洗面所に入った。
ドアを閉めてしまえば、怜は入ってこられない。
こんな時にそんな知恵が回る自分が心底嫌になった。
脱ぎ捨てた服を洗濯機に投げ入れて、風呂の扉を開けた。
もわりと顔にまとわりつく湯気を振り払うように、風呂に入った。
怜にひどい言葉を吐いたのは、初めてだったと気づいた。



