キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
 
 
 
 
「ごちそうさま、俺洗うから」
「ありがとう!お皿だけ運ぶよ」
「うん、風呂入っといで」

数日後、楓が久しぶりに定時で帰宅することができて、二十時に一緒に夕食を終えた。
今日はスペインオムレツを副菜に、鶏胸肉のピカタをメインにしてみた。
たくさん作っておいたので、怜が昼にでも食べられるだろう。

「いつの間に沸かしてたの?」
「楓がご飯作ってる間に予約しておいた」
「シゴデキ」

怜が軽く笑って、「誰だと思ってんだよ」と言った。
一人暮らしだからどうせ適当なんだろうと思っていた怜だったが、一緒に暮らしてみて意外と楓との生活に適応してくれることが分かった。

ご飯を作るのは楓だが、その後の片付けはしてくれるし、風呂が後になることが多い怜は洗濯物も回しておいてくれる。乾燥機能も付いているので、朝起きた楓が、それを畳んで仕舞う。

休みの日に掃除機をかけていると自分の部屋は怜がついでにやっているし、ゴミをまとめておいてというとやってくれる。

きっと自分一人だとなんでもいいや、となってしまうんだろうなーと楓は思いながら湯船に浸かる。
湯の温度は熱くて、湯量は低めだ。そういえば一緒に暮らしていた時もそうだった。町田の家での三年間も、怜の湯量は低かった。


「お風呂ありがとー」
「はいよ」
「怜ちゃんのTシャツ、借りたー」
「うん、…え?」

髪の毛をタオルでわしわしと擦りながらリビングに行くと、怜はソファでくつろいでいた。声をかけると起き上がってじっとこちらを見つめた。キッチンから冷やしておいたお茶のボトルを取り出して、コップに注ぐ。

「パジャマ、部屋から持って行くの忘れちゃったの」
「……まぁいいけど」

ボトルを傾けると、トポトポと低い音を立てて冷たい麦茶がグラスに満ちていく。
冷蔵庫から出したばかりのガラスの表面には、すぐに細かい水滴がつき始めて、指で持つとその跡がくっきりと残った。
シンクを見ると綺麗になっていて、お皿も拭いて棚にしまってくれていた。

「怜ちゃんも飲む?」
「あー、ちょうだい」

ソファに寝転がった怜が、片手をソファから突き出している。
もう一つのコップにお茶を注ぎ、その手に握らせると、怜は起き上がった。

「なんで俺のTシャツはあったの?」
「朝畳んだやつなんだけど間違えてタオルのところに置いちゃってたみたいで、一枚ポツンと残ってたから」
「ふーん」

グレーのカバーがかかったソファは柔らかくて、深く沈み込むので寝転がるのが気持ちいい。楓が怜の隣に座ると、怜はTシャツの上に羽織っていたパーカーを脱いで楓の膝にかけた。

「冷えるよ、足」
「ありがと」

風呂上がりだったので冷えた室温は気持ちよかったが、確かに少し冷えている。
怜の部屋のクーラーの温度がいつも低いことを思い出して、楓は言った。

「ていうか、クーラーの温度下げすぎなんだよ、怜ちゃんは」
「俺は冷やした部屋で、布団かぶったり厚着すんのが好きなの」
「矛盾ー」
「いいの」

膝に乗せられたパーカーは、スウェット生地の柔らかな重みがあった。
怜がさっきまで着ていた体温が残っていて、洗剤の匂いとは違う、怜の匂いがふわりと漂う。膝の上が、じわりと温かかった。楓はパーカーの紐を指に絡ませた。

「こないだも、ショーパン履いてたら着替えろって言ってたけど、寝る時は私もちゃんと足とお腹にタオルケットかけてるよ?」
「あー……」
「なに?」

天井を見上げながら、怜が声を漏らした。歯切れの悪い言葉に楓が聞き直すと、怜は少し楓の方に身体を向けた。その右手には空になったグラスがあって、残った氷がぶつかって音を立てた。

「ちゃんと言っとくけど。丈が短いのとか腹が出る服は、人が来た時とか、外出る時はやめときな」
「…危ないから?」
「そう、分かってんじゃん。俺がこないだ気にしてたのは、そういうこと」

でも、三浦さんは怜ちゃんの友達で、危なくないでしょ?
それにコンビニは、いつも怜ちゃんがついて来てくれるじゃん。

心の中に浮かんだ問いは、怜の真面目な顔を見て、言うのをやめた。
黙って頷くと、怜は少しだけ口元を緩めた。

「あと、髪の毛もすぐ乾かしな。湯冷めするから」
「えー…やって」
「また?…まぁいいけど」

怜が「よいしょ」とソファから立ち上がって、洗面所に歩いていった。きっとドライヤーを持って来てくれるのだろう。
ぺたりぺたりとフローリングにスリッパの音が響いている。

別に今日は、自分でいくらでも髪の毛なんか乾かせたけど。なんとなく、怜の言葉を受けて、甘えたくなった。
変かな。別にそんなことないかな。

「はい、あっち向いて」

怜がドライヤーを持って戻ってきて、コンセントにコードを差して、スタンバイの姿勢を取った。楓は怜に背中を向けて、顎を上げて髪の毛を背中に垂らした。
入社前に心機一転、ボブに切り揃えた髪の毛は、元々の毛質はまっすぐではあるが、きちんとドライヤーをしなければ少しだけうねる。

カチリとスイッチが入る音がして、耳元に轟音と温かい風が一気に吐き出される。
さっきは飲み込んだ言葉が、なんとなく口から漏れた。

「…三浦さんは、いい人だけど?」
「いい奴かもだけど、男だから」

聞こえなくてもいいと思った言葉だったが、聞こえたらしい。
ドライヤーの低い駆動音が耳元を塞ぐ中で、怜の声が風とともに届いた。

「…ふうん」


楓がそう言うと、背中で怜が少し笑った気がした。
視線を向けようとして、やめた。
怜の指の腹が髪の間に差し込まれ、地肌を軽く叩くような規則的な動きで水分を飛ばしていく。
温かい風が首筋を抜けて、室温の冷えた空気と混ざり合っては消えていく。

「…まぁ、俺も男だけどね」

怜が静かにそう言った気がした。
耳の後ろに風が当たっていて、指がそのあたりを撫でていたので、本当にそう言ったのか分からなくて、咄嗟に聞こえないふりをした。息を、浅く吸った。

手に持ったままのグラスの結露が、ぽとんと膝の上のパーカーに落ちた。
明るいグレーの生地の一部が、吸い込まれるようにじわりと小さな円形の跡になる。ガラスコップの中を見ると氷が溶けかかっていて、急いで口に含んだ。

口に含んだ氷は、角が取れて丸くなっていて、舌の上で転がすと小さくカラリと鳴った。