キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
 
 
これは、どういう関係性になったんだろう?



「れ、怜ちゃん」

思わずどもった口元を、隠すようにして手を当てた。
いつものように怜を起こすのも、自分の支度を終えてからにしたのは出来るだけ顔を合わせたくなかったからだ。

昨日ソファで話してから、まともに怜の顔を見ることができない。

だって、それは、

「…おはよ」
「お、おはよ」

怜が眉を顰めながら目を開けて、楓を見た。
同時にするりと伸びてきた腕に手を取られ、指先をきゅっと数本の指で握られる。

「れ、」
「もういくの…?はやくね…?」

怜の声と指先が、心を締め付けるように響いて、思わず身体が固まった。
かさりと少しだけ冷たい指先が、楓の指を引っ張るようにして握っている。
布団から身体を起こした怜が、目を擦って、楓を見た。

寝癖がついたままの髪の毛で、ぼそりと呟くように怜が言った。

「おいで」
「っ」


なんて、柔らかい声で、呼ぶの。

身体の熱が一気に上昇した気がした。
また、昨日の時のようにいっぱいいっぱいになってしまったらどうしよう。

そう思って、「きょ、今日は、早く行かなきゃいけないから!」とその手を振り解くようにして怜の部屋を出た。





そうして二日間、仕事の時間をずらして、怜の方をあまり見ないようにして、ことごとく避けた。その二日目の夜。
仕事から帰ってきて部屋に篭り、そろりと誰もいないリビングで夕食の準備をしていた楓の背後から、低い声が響く。

「楓」
「ぎゃあ!」
「……」
「れ、怜ちゃん…いつもこの時間は、ミーティングじゃん…」

飛び上がった楓がしどろもどろに言葉を漏らすと、怜は軽くため息を吐いた。
その顔は真っ直ぐに楓を見下ろしている。

「リスケ」

短く吐き出された言葉に、本能的にやばい、と感じた楓がじり、と後ろに下がると、怜もその分距離を縮めた。

「俺がいつもこの時間ミーティングなの分かってて、狙ってキッチンに来たの?」
「……」
「どんだけ顔合わせんの嫌なんだよ」
「い、いやとかじゃ…」

怜がじり、と距離を更に縮めて、楓の背中が壁にぴたりと吸い付くように立った。
身体の左側では、汁物用に沸騰させたお湯がグツグツと音を立てていた。

「恥ずかしがるのも結構だけど、流石に俺もね」
「れ、」
「ここまで露骨だとね、ちょっと言いたくなるっていうか」
「あの、」
「むかつくっていうか」

射抜くように見下ろしてくる瞳は、いつもより少しだけ冷たい。
中央で分けられた怜の前髪が、さらりと目にかかっていて、それが余計に楓の冷や汗を助長させている。

「ご、ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃないんだけどね」

怜がふっと笑った。
それに少しだけ楓が安心したように息を漏らす。

「なにホッとしてんの」

怜がふと隣の鍋に視線を送って手を伸ばし、口角をきゅ、とあげながら鍋の火を消した。
あ、もしかしたらこれは、長くなるかもしれない。
やっぱり、怒っているのかもしれない。

「な、なんで消したの」
「んー?」

楓はとりあえず怜と距離を取るべく、壁からシンクの方に移動をしようと思い、怜の隣をすり抜ける。
その後話も続けるつもりだったが、すり抜ける瞬間に手首を掴まれる。

「え、」
「また逃げるの?」
「逃げないよ、お、怒んないで、ごめんって」

怜は口元を緩めながら「怒ってないよ」と言った。
嘘だ、さっきむかつくって言ったじゃん。楓はそう思うも、火に油を注ぐことになりそうで口を噤む。

「ちょ、ちょっと一旦、落ち着こ」
「落ち着いてないのは楓だと思うけど」
「そういう意味ではなく」
「ね、あの、ちょっと、エプロンを部屋から取ってきます私」
「すぐ隣の棚にあるけど」

じりじりと近づかれて、いつの間にかキッチンからはみ出てリビングの入り口まで後退りしていた。後ろに回した手がドアノブに触れる。

逃げない、逃げてるつもりなんかない。
だって、だって怜ちゃんの顔を見ると、心臓がきゅうってなってたまらなくなるんだもん。また耳触られたり、キスされるんじゃないかって思うとパニックになるんだもん。

分かってる、初めてでもなんでもないくせにって思ってるんでしょ。
でも、怜ちゃんに対して感じる気持ちは全部初めてなんだよ。

だから、だからちょっと待って欲しいだけなの。


怜ちゃんばっかり余裕でずるいじゃん。
どうせ私ばっかり、こんなにいっぱいいっぱいなんだから。


「ごめん!」

そう思うと、逃げてもいいんじゃないか、なんて気持ちが湧いてきて、楓は一気にドアを開けて自分の部屋に逃げ込んだ。

バタンとドアを閉めて壁にもたれかかり、少しだけ息を吐く。
閉め切られた自室には、リビングのテレビの音もキッチンの気配も届かない。

だって、怜ちゃんがあんなふうに追い詰めてくるから、だって、だって。

「逃げんな」

そう思っているとドアがガチャリと開いて、怜が部屋に入ってきた。

「ぎゃー!」

鍵はついていないので入ること自体は可能だが、引っ越し以来怜がこの部屋に入ってきたことは一度もなかった。
だからなんとなく、安全地帯のように思っていただけに、まさか部屋に入ってくるとは思ってもいなかった。

「な、なんで入って」
「今まではね、そりゃ兄としては妹の部屋に勝手に入れないでしょ」
「い…今まではって…」

六畳もない楓の部屋は、リビングより狭くて逃げ場がない。
怜がドアを背中で閉めて、ふうと息を吐いた。
どこか楽しそうにしていて、楓は視線を泳がせる。

「恥ずかしがってんのも可愛いし、まぁそれはそれでって思ってたけど、そろそろ俺も限界なんだよね」
「う…」
「普通に楓が足りないんだけど?」
「だから…そういうのがさ…」

楓がそう言いながらその場にしゃがみ込む。
膝に顔を埋めていると、怜がふっと笑ったのが分かった。

「どこまでならいいの?」
「え?」

楓が顔を上げると、怜が笑っていた。

「待つよ、俺は。大人だからね」

怜はいつもみたいな仕方なさそうな笑みを浮かべて、口角をきゅっとあげていた。
それをしゃがみながら見上げた楓は、唇を噛む。


ほら、やっぱり許してくれるんだ、怜ちゃんは。
だから私はもっと、

「…兄だからじゃ、ないんだ」

もっともっと、甘えてしまいたくなる。


楓の言葉に怜は視線を逸らしてふっと笑い、髪の毛をくしゃりとかき上げて楓と同じようにしゃがんだ。


「大事な妹でもあるけど…正直、今は目の前の、好きな子を抱きしめたいかな」


怜がそう言って、首を少し傾けた。
その瞳が優しくて、きっとこの人はいつまでも待ってくれるんだろうと確信を持てるような顔で、私はそんな怜ちゃんが、たまらなく好きで。


「…ぎゅって、するだけにして」


楓がそう言うと、怜は「はいはい」と笑って、しゃがんだまま手を広げた。
そろりと近づいてその腕の中に入ると、ゆっくりと手のひらが背中に回った。

怜の手が、優しく背中を撫でるように滑っていく。
もう片方の手では頭に添えられていて、それがとても心地よい。

「…ねぇ怜ちゃん」
「ん?」
「私って、怜ちゃんの…か…彼女、なの…?」

顔が見えていない今なら聞けると思った。

「楓は、どうしたい?」
「え…わ、私が言うの…?」
「ふ、じゃあ俺が言おうか」

怜が少しだけ顔を離して、楓を見た。
目線が近くで交差して、蛍光灯の影で怜の瞳がゆらりと煌めいているように見えた。
ああやばい、もう、なんだか泣きそうだ。


「俺を、彼氏にしてくれる?」
「……うん…」


楓が返事をすると、怜がぎゅう、と背中に回した手の力を強くした。
それに寄りかかりたくて楓が体重をかけると、「わ」と声を漏らした怜が、ぺたんと床にお尻をつけた。
しまった、重かったかなと思って怜の顔を見上げると、その顔が優しく微笑んでいて、胸が詰まって、声が出せなかった。

「わ…わたしが、彼女で、いいの」
「なにそれ?彼女になってくれるんじゃないの?」

怜が床にお尻をつけたまま、足を広げた。
楓はその間の空間に入り、足を崩して座った。

「な、なる。怜ちゃんの彼女」
「うん。…妹って気持ちも、ちゃんとあるから。そこは安心して」
「は、はい」
「不安になった?ごめんな。こないだは楓も緊張してたし、俺も頭回ってなかったし、あんまり話を進めすぎてもなって思って言わなかった」

そんなことまで、考えていてくれたんだ。

頭を寄せた胸元からは、怜の体温と鼓動がゆっくり伝わってくる。
背中に回った腕が、優しく身体を包んでいく。
上から落ちてくる吐息が柔らかくて、安心して、楓は頭を預けた。


頼れるお兄ちゃんなのに、かっこよくて仕事ができて、優しい彼氏でもあって、
それって、


「さいきょうの彼氏じゃん…」


頭の上で、怜が微かに笑った音がした。
顔を見ようと頭を動かすと、ぐっと力を込められて、見ることができなかった。


仕方なく頭を預けて、いつもの部屋着にしているTシャツに頬をすり、と擦り付けた。

「…あんまりかわいいこと、言うな」


ああ、だから顔見せてくれなかったんだ。
そう思って楓が笑うと、怜が楓の髪の毛をくしゃりとかき混ぜるように撫でた。

いつもなら文句を言う撫で方だったが、それも愛おしくて嬉しくて、楓はしばらく怜の腕の中で、上下するその柔らかい鼓動を感じていた。