キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
 
 
 
「怜ちゃん」
「ん?」

休みの日の朝、洗面所で歯磨きをしている怜の元に行った。
口の端に白い泡をつけている姿に、不覚にも可愛いと思って楓は視線を逸らす。

「今日、仕事しなきゃの日?」
「いや?日曜だし、全然そんなことないよ。なんで?」
「…お出かけ、しないかなぁって」

洗面所の壁を見つめながら楓がそう言うと、一瞬だけ動きを止めた怜がふっと笑って楓を見た。

「楓からそんなこと言うの、珍しいじゃん。どこ行きたいの?」
「…前、服見ようって話してたでしょ。今日から十一月になったし、もう秋服っていうか冬服だけど…服見に行かないかなと思って…」

怜は洗面台で口を濯ぎながら聞いている。
流れた前髪で顔は覆われていて、横からでは表情が見えない。
自分の声がしどろもどろなのが分かって、余計恥ずかしくなって視線を逸らす。

「いいよ、服ね」
「うん…」
「なんで誘ってくれたの?」

怜が口元をタオルで拭きながら少しだけ眉を上げて、機嫌が良さそうに言った。
言わされようとしているのは分かっている。それを言うのは癪ではあるけれど、こんなことも言えなくて告白など出来るはずがない。

「っ、デートだよ!ちゃんとかっこいい服着てよっ!」

勢いに任せてそう言って、楓は自分の部屋に逃げ込んだ。なんて可愛くない言い方をしてしまったんだ、とベッドに身体を投げ込んだ。


支度を済ませてリビングに行くと、同じく支度を済ませた怜がソファに寝転びながらスマホを触っていた。

「楓」
「…なに」

さっきのデート発言を揶揄われるかなと思いながら返事をすると、スマホの画面を見ながら怜が言った。

「前みたいに新宿行くよね?今クッキー展やってるって」
「えっ!行きたい!」

思わず食い気味に返事をしてしまい、我に返って怜を見ると、口角を上げて楽しそうに肩を揺らして笑っていた。食い意地があると思われたかな、と思うと同時に、恥ずかしい気持ちになる。

「…怜ちゃんが教えてくれたんじゃん」
「っふ、ううん、ごめん笑って。ここ最初に行く?後で行く?」
「……最後にする。怜ちゃんそこでなんか買ってよ」
「別にいいけど。そういうのは買うもの決めてから言えよ」

怜の言葉に確かに、と思いながら、楓は気まずさを誤魔化すために冷蔵庫を開けた。
思いつきだったから何も考えていなかったけれど、朝から出かけるんだし、夜は家でいいかな。そう思いながら食材を眺める。

「外でご飯食べて帰ってくる?」
「どっちがいい?」
「俺はどっちでもいいけど…じゃあ、夜は楓のご飯がいい」

いい?とソファから聞いてくる怜に、楓は冷蔵庫を閉めて頷いた。
美味しいお店もたくさんあって、きっと高いお店にも行ったことあるだろうに、楓のご飯がいいと何気なく当然のように言ってくれる怜が、とても好きだ。

「…全然、いいけど」

ああ、帰ってきたら何を作ろう。












「前行ったのと同じ店見るの?」
「ううん、今日はルミネ二の方に行きたい」

駅の改札を出ると、日曜なだけあって人通りは多かった。
立ち止まっているとぶつかられそうな人波の中で、怜がさりげなく楓を改札の隅へ誘導した。

それに気づいてしまう自分がいて、きっと昔は気にも留めていなかっただろうなと思った。

「じゃあ、こっち」

怜がそう言って手を繋いで歩き出した。
家から駅までの道のりでも、電車の中でも手が繋がれなくて、それに少しだけもどかしさを感じていたことは、きっと伝わっていないはずなのに。

人が多くて良かった。縦になって歩かないといけないこの人混みの中では、上がってしまう口角を見られたくはない。





「どう?」
「普通に可愛いけど、さっき着てた白のニットとの違いが分かんない」
「厚さが全然違うの!編み目も入ってるじゃん」
「赤とかにしたら。分かりやすいし持ってないでしょ」
「分かりやすいって何?」

白い照明が明るく全体を照らしていて、ニットフェアと描かれた赤いPOPが吊り下げられている店内に、楓の不服な声が溢れた。

試着室で眉を顰める楓に、「ちょっと待ってて」と言って怜が何気なく持ってきた赤いニットを手渡される。

「赤なんてはっきりした色、似合わないよぉ」
「そんなことないって、一回着てみて」
「…着るだけね」

かなりパキッとした赤色のニットを渡されて、そういえばクローゼットの中身はいつも似たような色だったと思い当たった。
試着室のカーテンを閉じて、ゴソゴソと着替えてみると、鏡に映る自分は思ったよりも変ではなかった。

「いいかも…」
「ほら、いいじゃん。こういうパキッとしたの大人っぽくて可愛いよ」
「……うん」
「ふ、勇気出ないなら俺が買ってあげよっか?」
「いい、自分で買う」

シンプルな色やパステルカラーを好んでいた楓だったが、色の濃いものは似合わないというのは思い込みだったのかもしれない。怜の指摘が合っていたことが少しだけ悔しくて、楓はカーテンを勢いよく閉めた。

この赤いニットを買ったら、怜の隣に並んでいても子どもっぽく見られないだろうか。
妹に、見られないだろうか。

少しだけ大人っぽくて落ち着く、香水のような店内の香りが試着室でニットを脱いだ楓の鼻に届く。

今日の服を白いゆるりとしたラインのニットにしたのも、黒地に細かな幾何学模様が散りばめられた膝下丈のスカートにしたのも、怜の隣に並んでおかしくないと思われたかったからなのに。

前よりも価格も年齢層も上の、少しだけ背伸びしたお店に入ったのに。
何もかも怜のことを思い浮かべている自分が恥ずかしくなって、急いで元の服に着替えた。


「買えた?」

店の外で立っていた怜が、ショップの紙袋をひょい、と楓の手から取ってそう言った。
「うん、ありがと」と言いながら楓が隣に並ぶと、再び手が繋がれた。

怜がスマホの画面を見ながら「そろそろ昼食べる?」と聞いて、楓が頷くと、エスカレーターの表示の方に歩いて行く。

「怜ちゃんは、大人っぽい格好が好きなの?」
「え?」
「赤いニットが好きなの?」

紙袋を何個も提げた女性客が行き交って、買い物客の話し声とヒールの足音が絶えない。広くはない通路をすり抜けていくようにして、怜がゆっくりと歩いてくれる。

「別に好きとかないけど?」
「だってさっき、大人っぽいよって言ったから」
「ああ、似合うなーと思ったし、大人っぽいって言ったら楓が買う気になるかなって」
「え、誘導された!」

怜は楽しそうにくしゃりと笑って、「別に嘘はついてないし」と言った。
二階から一階にエスカレーターで降りて、「何食べたい?」と言った怜を少しだけ困らせたくて「タイ料理」と言うと、怜は「また難しいのを…」と言いながら建物の端に寄ってスマホを取り出した。

「…今日の服は?」
「ん?」

スマホの画面を見つめている怜にそう言うと、一瞬真顔になった後、ふっと口元を緩めた。

「かわいいよ、楓は何着てても」
「っ」
「別に服なんて装飾品だからね。個人的には赤ニットより今日の白いニットの方が好みだけど」

思ってもみない言葉が返ってきて固まる楓に、怜は楽しそうに口を歪めながらスマホに視線を移した。

「男はみんな好きなんじゃない、その白のふわふわ」
「…良かったです」
「デートだもんね?意識して選んでくれたの?」

怜の言葉に楓は思わず黙る。耳が、熱くなった。
朝に仕掛けたつもりの言葉が、自分の首を絞めている。

「…うるさい、早くご飯食べに行こ」
「はいはい、今調べてるから待って」

悔し紛れにそう言った言葉は涼しげにかわされた。
少し冷たい風が、高層ビルの間を抜けては頬を撫でていく。

ガラス張りのビルの壁面が秋の日差しを反射していて、そこに映る怜の姿を見ながら、楓は唇を噛んだ。


悔しい、絶対に遊ばれている。
いつも余裕そうで、涼しい顔をしているこの人に、勝てる気がしない。
それなのに胸がぎゅっとして、とても楽しい。