キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
  
 
 
今日は日帰りだし、そんなに遅くならないと思うけど、楓は明日仕事なんだから、無理に待ってなくていいからね。遅くなったとしても先に寝てなよ。



そう言い残して、朝早く出勤していった怜の片手には、楓が作ったおにぎりが二つ握られていた。
楓が「新幹線で食べて」と用意したもので、怜は慌ただしく準備しながら受け取った。
中にウインナー埋め込んであるよ、と言った楓に、「男子中学生かよ」と怜は笑った。

ガチャンとドアが閉まって、革靴がコツコツと速いリズムで遠ざかっていった。
見送ることよりも見送られることの方が多い日常で、怜が去っていったリビングはいつも少しだけ寂しい。


怜を好きだと自覚したはいいものの、どのようにして伝えるべきか分からない。

どうしてもあの時の花火大会のことを思い出してしまう。
何か劇的なシチュエーションを用意したほうがいいのかなどと考えたり、でもあれは怜もそんなつもりがあったわけじゃないだろうなとも思う。

怜は、きっと楓の気持ちが整理されるのを、ずっと待ってくれている。
押し付けがましくもなく、過剰に近づいてくることもなく、楓が泣いてからは少しだけ線を引いているのが分かる。

「…準備しよっと」

それに早く応えたい気持ちは山々だが、スマートにできる自信が全くない。
楓はそれを考えながら仕事の支度をした。
いつも耳に入る怜の生活音が聞こえなくて、準備も早く終えた。
怜の起きる時間に合わせて早起きしたので、出勤にはまだ早かったが、歩いて向かおうと家を出た。








「……初恋なんか?」

職場の休憩室で、桃香がコンビニのフラッペをズコーっと啜りながら、呆れた顔で言った。
おかしい、数日前も桃香に呆れられたばかりなのに。

「だって…花火大会だったんですよ!?」
「知らないよ、楓ちゃんは花火があったからお兄ちゃんを好きになったの?違うでしょ」
「違いますけど…」

隣では自作のお弁当を食べている品川が、ニコニコとこちらを見ていて何だかそれもいたたまれない。
楓は目の前のタッパーからウインナーを一本取って齧った。

「今までどうやって付き合ってきたの?」
「あ、聞きたい聞きたい、楓ちゃんの恋愛遍歴。今まで何人いたの彼氏」

品川の問いに、どうでも良さそうな顔をしていた桃香が前のめりになった。
楓は記憶を辿りながら言葉を絞り出す。

「えーっと…中学はいなかったですし、高校では、三人くらい…?でも全員短かったですね…」
「一年ないくらい?」
「そうですね…三ヶ月とか半年ちょっと…」
「ありがちー」

全員なんとなく告白されて、流されるように付き合って、何だかよく分からないうちに別れた。
好きではあったと思うが、あまり頻繁に連絡を取って毎日一緒にいたいと思うほど、楓がのめり込まなかった。

「お兄ちゃんと一緒に住み始めたのは?その時は全然恋愛対象じゃなかったの?」
「高校生からですけど、家族になったのが嬉しくて、早く家に帰りたかったのは覚えてますけど、恋愛とかじゃなかったですね」

怜のおにぎりを握った時に一緒に適当に作った卵焼きは、白だしを入れすぎて少しだけ塩辛かった。
三切れを連続で口に運んで、楓は答えた。

「大学では?」
「三人かな…大学二年の時に付き合った人だけ長かったですねー…えっと…一年半くらいかな?」

そういえばその時の人に、別れ際に、何か言われたんだった。
いつか分かる、そんな内容だった気がする。
その顔を思い出しているところに、桃香が眉を顰めながら口を開いたことで、思考が止まる。

「全員向こうから告白されてるの?」
「えー…?どうだったかな?告白っていうか何となく…みたいなのも多かったような…」
「はぁ、それは男から好意がないとそうなんないから。男が女を流してそういう雰囲気に持ってってるだけで、実際は告白されてんのと何も変わんないから」
「そうなんですか?」

桃香がプラスチックのカップに残っているフラッペをズズズと吸い切って呆れたような顔をして品川を見た。
品川は食べ終えた弁当箱に蓋をしながら「楓ちゃんって年上に好かれそうよね」と言った。

「そうかも?何で分かるんですか?」
「年上の男は好きよぉ、こういう子。明るくて無邪気で可愛いの。流せちゃいそうよね」
「そうだ、もうお兄ちゃんも流しちゃえ。何となくくっついて、なんかこう、いい雰囲気にしてしまえ」
「そんなの無理ですよ〜〜〜〜!」
「今まで自分がされてきたことだ!やるんだ楓ー!」

楽しくなったような桃香がケラケラと笑いながら、コンビニで買ったゴミをビニール袋に片付けながら言った。
桃香さんたちはどっちがどう告白したのか聞きたかったのに、またしても聞けずじまいだった。
騒ぐ桃香をじとりと見ながら、楓は弁当箱の蓋を閉めた。















ふわっと顔に影がかかった気がして、楓が目を開けると怜が顔を覗き込んでいた。

「ごめん、起こした」
「ん…おかえり…」
「ただいま。待っててくれたの?」
「まってた…」

怜がふ、と笑った。
目尻が下がって、それがすごく優しい顔で、もっと見たくて目を擦っていると怜が離れていった。

ソファで横になってテレビを見ていたら寝てしまっていたらしい。
身体を起こしてリビングの時計を見ると、十二時を少し過ぎていた。

「遅かったね…」
「うん、最後だからって食事会みたいなのに付き合わされてさ、新幹線の最終にギリ間に合った」

リビングでコップにお茶を注ぐ怜のそばに近寄ると、ほんのりと苦い匂いがした。
あんまり馴染みがなくて、好きではない匂いだった。

「たばこ…」
「ああごめん、吸う人が結構いてさ。臭い?すぐ風呂入る」
「うん…」
「また沸かしてくれてる?」

楓がこくりと頷くと、怜は「ありがと、部屋でゆっくり寝な」と頭にぽんと手を置いてから、洗面所に向かっていった。

何だろう、帰ってきてくれたことにすごく安心する。
朝のおにぎりは、ちゃんと食べれただろうか。新幹線に乗るまでに潰れなかったかな。

そう思って怜の後を追うと、洗面所でワイシャツを脱いだ怜が、振り返って楓を見た。

「どうした?歯磨く?」
「ううん」

寝起きだったからだろうか。
昼間に言われた桃香のセリフが、突然頭に浮かんだのは。

——『何となくくっついて、なんかこう、いい雰囲気にしてしまえ』


「…おかえり」


ぴたりとした半袖の白いシャツからは、厚みのある二の腕が覗いていて、そこにすり、と顔を寄せて腕を絡めた。

蛍光灯の下で、怜の綿の半袖シャツから伸びる肌の熱が、楓の頬に伝わってくる。
怜の二の腕の筋肉が、絡められた楓の腕の重みで、一瞬だけ引き絞られるようにして、完全にその動きを止めた。

「かえ…」
「おかえりって、言ってなかったなと思って」

怜の身体からは、シャツを脱いだのに、微かに煙草の香りが漂っていて、早くその香りを落として欲しかった。いつもの怜に戻って欲しい。

いい雰囲気に流すことなんて想像もできないけれど、少しだけ積極的に攻めるくらいは、できる。

「…えっと」
「おやすみ、寝る」

楓はそう言うと腕から離れて、洗面所を出た。

「はい…」

後ろから怜の声が聞こえてきて、熱い顔を誤魔化すように部屋のドアを閉めた。

ちゃんと言う、次にもしそういう雰囲気になったら、ちゃんと自分で言う、でもどうやってそういう雰囲気って作るのかやっぱり分からない。

「あ〜〜〜〜」

ベッドに身体を勢いよく預けながら楓は思わず声を漏らした。
勢いよく倒れ込んだシーツの奥から、柔軟剤の乾いた綿の匂いが鼻先をかすめていく。

恥ずかしかった、世の中の人ってどうやって気持ちを伝えているんだ、私には難しい、今まで受け身ばかりの恋愛をしてきた経験の無さが出ている。




枕に顔を埋めてじたばたする楓の一方、洗面所の怜は立ち尽くしたままだった。


「なんなの…最近…おかえりって、最初に言ってたし…」


楓がいなくなってから、思わず額に手のひらをぐりぐりと押し当てた。そのままずるりとしゃがみ込んだ。

「あーもう……かわいい……」

情けない独り言が微かに漏れて、我に返って慌ててシャツを洗濯機に放り込んだ。
とりあえず、早く風呂に入って、この匂いと甘さから逃れなければ。