キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
「いやー、お前が怜ちゃんね、はー、怜ちゃん。俺も呼んでいい?」
「出てけ」
「やっちょっと待って、てかこのかぼちゃスープうまぁ、どこの?」
「あ、手作りです。ポタージュメーカーがあって」
「店じゃん…楓ちゃんお嫁においでよ」
「ほんと帰れって、マジで」

三浦は、怜ちゃん、という呼び名にひとしきり笑ってから、それが気に入ったのか何度も繰り返した。
隣に座っている怜は、三浦の方に顔を向けることなく、黙々とパンを口に運んでいる。手元の皿の端に残ったパンのくずを、指先で少しだけ集めるようにして、視線を落としたまま黙っていた。

「ねえ、パンのおかわりってまだあったりする?」
「ありますよ!いくつ食べます?」
「図々しすぎない?お前」
「ひとつ下さい!」

楓が「分かりました」と言って席を立ってキッチンに回ると、怜が「こき使うな」と三浦に言っているのが聞こえた。
そんなことを言ったって、お客さんなんだから私が動くでしょ。と思いながらも、楓は口に入ったままのパンを噛み続ける。

ケーキクーラーに乗せたままだったパンをひとつトングで掴み、三浦の皿に乗せると、人懐っこい笑顔で「ありがとう楓ちゃん」と言われ、楓も笑顔を返す。

「楓、俺も食べたい」
「分かった、ひとつでいい?」
「うん」

怜の言葉に楓が再びキッチンに回る。小さめのパンだし、二つじゃ足らなかったか。こういうのも考えてレシピって製作していかないといけないよなぁ。と思いながら、キッチンに突き出された怜の皿に、パンをひとつ乗せた。

「…マジで違うね、蓮見」
「はぁ?」
「女の子にそんな態度取ってんの見たことない」
「……妹だから。家族は違うだろ」
「でももう違うじゃん。合コンとかキャバクラでのお前を見せてやりたいよ」
「三浦っ」

怜が今日大きな声を出したのは二度目で、それに楓も三浦も驚いたかのように、しばらく誰も言葉を発さなかった。

口の中に、焼けたケチャップの甘味が残ったままで、ああコーヒーメーカーのスイッチをそういえば入れていたんだった、と楓が反対側の食器棚の方に身体を向けると、怜が静かに言った。

「…俺も今日は一時からミーティングあるから、三浦も食べたら帰って」
「そうなの?ほんじゃ、まぁ睡眠よりいいもの見せてもらったから、カフェで仕事するわ」

別にここにいてもらっても構わないと思ったけれど、怜がそれを望んでいない気がして、口にしなかった。怜が皿に残っていたトマトにぷすりとフォークを刺したのを視界の端にとらえて、楓はマグカップを取り出した。

「ごちそうさまでした!楓ちゃん美味しかった、マジで店レベル」
「いえっ、全然です、あ、置いておいてください!コーヒーもありますよ」

皿を持って立ちあがろうとした三浦にそう言うと、楓に爽やかな笑顔を見せた。

「ほんと?何から何までありがとね、また来てもいい?」
「はい、私お休みの日はよく何か作ってるので、ぜひ」
「もう来るな」

怜がそう言ったが、きっと三浦はまた来るんだろう。
美味しいと笑顔でたくさん食べてくれるのは嬉しく、作り甲斐もある。

怜から受け取ったコーヒーをゆっくりと飲み切ると、そのまま手を振って「バイバーイ」と言ってリビングから去ろうとした。楓が三浦を送ろうとすると、怜が立ち上がった。

「俺がドア閉めてくるから、楓は続き食べてな」
「あ、うん…」

そう言って肩に置かれた怜の手からは、少しだけケチャップの香ばしい香りがした。
なんとなく、沈んだ気持ちがあることに気づいて、それの理由を探す。
パンは上手く焼けた、美味しいって言ってもらえた、なのになんで私、少し悲しい気持ちになってるんだろう?

ぼんやりとそう思いながら怜の背中を見つめていると、玄関の方から聞こえた、怜の声。

「恨むよ。楓には余計なこと言わないで」

戻ろうとしていた身体が、止まる。

ああ、キャバクラとか、合コンのこと?
気にしないよ。だってそんなの、社会人になったら普通にあることでしょう?

けど、それをそんなにも私に知られたくないんだ。
私は、怜ちゃんになんでも話してたのに。

玄関の重い扉が閉まり、金属質のラッチがはまるカチリという音がリビングまで響いた。その直後に、鍵が回る小さな回転音が続いて、室内は急に静かになった。
慌ててダイニングに戻って座り、途中だったパンをかじると、怜がため息をつきながら戻ってきた。

「ごめん、騒がしくて」
「…ううん」

首を振って怜を見ると、いつも通りの、少し気だるげで穏やかな顔をしていた。
三浦と自分の空になった皿を持って、シンクに置く姿をなんとなく見つめてから、視線を戻した。

「よく、来るの?」
「あー…たまに。寝に来たり、泊まったりとかしてたよ」
「仲良しなんだね」
「仲良しっていうか…一方的に、急にあいつが来るだけで…」

今まで自分が見てきた怜は、本当に一部分でしかなかったんだなと思った。
友達に、自分より乱雑な言葉を使って、キャバクラとか合コンに行って、女の人とも遊ぶんだろう。そりゃそうだ、怜は仕事ができるから、きっとモテるだろう。

シンクに立って怜が水を流すと、ステンレスに当たるパシャパシャという音がリビングに広がった。
泡のついたスポンジで皿をなでるたび、水気が切れてキュッという摩擦音がし、洗われた皿が水切りかごに置かれていく。

パンを口に詰め込んで、自分のお皿も一緒に洗ってもらおうと、怜を見た。

背は高いのに、どこか線が細い。

白いTシャツから覗く腕も、骨ばっていて無駄な筋肉がついていない。
黒髪はきちんと整えているわけじゃないのに、自然に落ちて額にかかっている。
水音の中で、怜だけが静かだった。

「ん?食べ終わった?皿貸して」

楓の視線に気づいて、怜が顔を上げた。
泡が少しだけついたままの指が、こちらに向いた。

「あ…うん、お願いしていい?ついでに天板も」
「うん」

皿を渡すと、怜がそれを優しく取った。
スープの器が、プレートの上でカタリと揺れて、シンクに吸い込まれていった。

自分の知らない怜を知っている三浦が、羨ましいと言ったら、怜はきっとまたため息をつくだろう。そう思って、楓は自分のマグカップに注いだコーヒーをこくりと流し込んだ。

酸味が少なくてフルーティですよ、とコーヒーショップの店員に勧められて買った豆の味は、よく分からないまま少しの苦味だけを置いて喉を通過していった。