楓の仕事が休みの日は、怜もいつも家で仕事をしているようだった。
一緒に昼ご飯を食べて、夜ご飯を作るとリビングに来る。
もしかしたら合わせてくれているのか?と気づいたのは、三回目の休みの日だった。
「めっちゃいい匂いする、今日は何?」
「ウインナーパン。ちょうど焼けたよ。かぼちゃスープもある」
「天才じゃん」
怜が部屋から出てくると、あくびをしながら楓に言った。
一区切りついたのか、ソファに座ってテレビをつけた。
無音だったリビングが、一気にお昼のバラエティの音で溢れる。
「もしかして俺に気遣ってテレビ消してた?」
「あー…うん、会議とかしてるかなって」
「俺の部屋リビングから一番遠いんだし、ほぼ聞こえないから気にしなくていいよ」
「ありがとう…」
楓が天板からお皿にパンを移していると、ピンポーンとインターフォンが鳴った。宅配かと思い楓がモニターを見に行くと、画面の奥には見知らぬ男がピースしていた。
『やっほー、蓮見、開けてー』
「あっ、楓、開けんなっ」
怜の知り合いか、と楓が開錠ボタンを押すのと、怜が「開けんなっ」と言ったのが同時だった。フローリングを素足で叩く乾いた音が室内に響いた。
楓がボタンに指を残したまま振り返ると、面倒くさそうな表情をした怜が、前髪をごしごしと乱暴にかき混ぜた。
「ご、ごめん、友達かなと思って…違った?」
「友達っていうか…まぁ、いいや」
怜がそう言ってソファに寝転がり、一瞬何かに気づいたかのようにガバッと勢いよく起き上がって楓を見た。
「楓、ちょっとその服着替えて」
「えっ?」
「いいから、今から部屋に来るの変なやつだから、長いズボン履いてきて」
「え?でも別にこれ、そんな変な部屋着じゃ…」
「いいから、もう来るから早く!」
「え、わ、わかった」
部屋を指差され、早く行けとジェスチャーを何度もしてくる怜の圧に押され、楓は部屋に戻る。今日の部屋着はセットアップのルームウェアで、半袖とショートパンツが涼しい。
白いスウェット生地の胸元には、ワンポイントの花の刺繍が施されていて、引っ越してきてから買ったものだ。
そんなことを言ったら、怜ちゃんの部屋着の方がくたびれてるじゃんか。
変なやつ、の意味がよく分からないまま、指示通りに着替えた。
ピンポーン、と今度は部屋のインターフォンが鳴り、怜が廊下を歩く音が聞こえた。
変なやつ、と言われた手前、出ていっていいのか分からず、廊下から玄関を覗いていると、玄関から声が聞こえた。
「三浦、今日はダメ」
「なんでよ、ちょっと時間空いたんだよ寝かせて、三十分でいいから」
「だめ、今日はってか、今後一切マジでだめ」
「ってかめっちゃいい匂いしねぇ?なに?なんのメシ!?!?」
「あっ、」
怜の少し焦った声と、元気なよく響く声が聞こえて、玄関を無理やり上がったらしいスーツ姿の人物と目が合った。
「女の子じゃん…かわい」
「はー、マジで帰って」
「え?蓮見の彼女?できたの?え?同棲!?」
「違う。もー…とりあえず楓も、一回おいで」
「楓ちゃんって言うの?てか何、おいでって、お前おいでとか言えんの!?」
「黙れ本当に」
怜が眉間に皺を寄せながら、スーツ姿の人物の背中を拳で押していた。
そのままリビングに二人で歩いていったので、楓もその後をついていく。
「わっ、何この匂いほんとに、美味そう、何メシ?」
「あっ、あの、ウインナーパン焼いたんですけど、食べますか?」
「えっっ!!いいんすか!!」
「うるさい、本当に黙って」
リビングに入るなりに騒いだ男性に、怜は次は蹴りを入れた。
あまり見ることのない姿に楓は驚きつつも、キッチンに行き、皿をもう一枚取り出した。
焼き上がって数分経ったパンの表面は、卵液の塗られた薄い膜が細かくひび割れ、艶やかな茶色に光っている。
トングの先で挟むと、パリリと表面が鳴り、指先に弾力のある柔らかな反発が伝わった。 スープからは、かぼちゃの繊維が溶け込んだ重たい湯気が、ゆっくりと垂直に立ち上っている。
お客さんが来たなら、せっかくだからサラダも乗せてワンプレートにしようかな、と冷蔵庫を開けた楓の元に、怜がゆっくりとやってきて、楓の耳元に顔を寄せた。
「俺、下だけ変えてきてって言ったでしょ」
「だってあれはセットアップなんだもん、下を長いのにしろって言ったから変えたじゃん」
耳元に、低い呼吸がかかった。
少し背中を曲げた怜が小声でボソボソと文句を言ってくるので、楓が同じように小声で返すと、怜はため息をついた。
怜の視線が、楓の着替えたTシャツに落ちた。
「上までなんでそんなやつに変えたんだよ。短い、腹が見えるじゃん」
「怜ちゃんなんなの?そんなおじさんみたいなこと言って」
「おじっ、」
怜がそこで言葉を止めると、キッチンの向こう側から「ねぇ俺を置いてイチャイチャしないでー」と言葉が投げかけられ、怜はまたため息をついて「してねーよ」と言いながらリビングに戻っていった。
冷蔵庫からサニーレタスとトマトを取り出すと、怜が楓に向かって言った。
「これ、俺の前職の同期。三浦《みうら》 悠介《ゆうすけ》」
「どうも、楓ちゃん。三浦です」
「楓ちゃん、じゃない。勝手に呼ぶな」
「あ、藤村楓です。えっと……妹です?」
楓がレタスを手に持ったままそう言うと、「妹!?俺そんなん聞いたことねぇ!」と三浦が吠えるように言った。元気な人だな、と思わず笑みが溢れる。
レタスを簡単にちぎって洗っていると、二人がソファのところで話している内容が聞こえてくる。
「いつから住んでんの?」
「二週間くらい前から」
「妹なのになんで苗字ちげーの?」
「よく聞いてんな。親が離婚したからだよ」
「似てなくね?結構歳離れてね?」
「…血は繋がってないから。連れ子同士なんだよ」
「はぁ!?!?」
「うるさ、あーだからお前には言いたくなかった、もうほんとに今日は帰れ」
「帰るわけねーじゃん!!!」
キッチンにいる楓まで筒抜けだった会話だが、その後三浦が声をひそめたので、何を話しているのか分からなかった。
少しだけ気になって、ミニトマトを洗う手が滑って、シンクにコトン、と小さな球体が転がり落ちていった。
「あ、」
慌ててそれを拾って再度洗い、スープと一緒にダイニングに持って行くと、楓の動きを見た三浦が勢いよくこちらにやってきた。
「ほんとに俺の分もいいの?ありがとね!」
「全然、たくさん焼いたのでぜひ」
テーブルの上にはまだ温かいパンがプレートの上で艶々と光っている。
パセリを焼いた後に散らしたのは正解だった、色が落ちなくて綺麗だ。
そう思いながら楓が椅子に座ると、怜も渋々楓の隣に座った。
「いただきます!!」
「静かに食ってすぐ帰って」
「いや俺、次の打ち合わせ中目黒だから、ちょっと寝かせて欲しかったんだけど。昨日も夜遅くてさぁ、マジでしんどい、マネージャー」
そう言ってパンに大口でかぶりつき、「美味ぁ!」と目を見開いて言った三浦に、楓は思わず笑う。怜とは対照的な大きなリアクションは面白く、新鮮だ。
「怜ちゃんが前いた会社にお勤めなんですね」
「怜ちゃん?????」
「楓…」
さっき、声をひそめて何を話していたんだろう。
怜ちゃんは、私のことをなんて三浦さんに言ったんだろう。
そんなことを考えながら返事をしていたら、するりと口からこぼれた名前に、三浦が手を止めて反応し、怜は半分諦めたような声で楓の名前を呼んだ。
もしかして、言っちゃいけなかった?
そう思いながら飲み込んだパンは、塊のまま食道を通っていった。



