キャラメリゼ ワンルーム

 
 
 
 
「…楓」
「ん?」
「…寂しい?一週間」

怜がぽつりとそう言った。

手に持っているエコバッグのナイロン生地が、カサカサと音を立てていて、地面に落ちている葉が、風によってアスファルトを滑っていく。
せっかく、気持ちを押し殺していたのに。
あんなに私の気持ちを見透かすんだから、これも分かってたりするんじゃないの。

そう思いながらも、楓は小さく言った。

「…寂しい」

自分の声が自分じゃないみたいな気がして、恥ずかしかった。
怜は黙って聞いていた。

「…ちょっとトイレ行った時とか、寝る前とかでいいから…連絡して」
「……俺からの連絡、欲しいの?」

怜がそう言った。
二人の間には少しだけ距離が空いていて、それがもどかしい。
大通りを外れると、一気に人が少なくなって、車の音も遠ざかっていく。
街灯の間隔が広くなり、アスファルトの上に並んだ二人の影が、歩くたびに伸びては薄くなる。

「うん…」
「…わかった」
「帰ってくる時、何時になるか、教えて」
「…なんで?多分遅くなるよ?」

楓が仕事用のトートバッグを背負い直すと、横から手が伸びてきて、怜がそれを肩にかけた。

急に手元が空いて肩が軽くなって、怜に視線を向けた。
怜の背中にはリュック、手にはエコバッグに肩にはトートバッグと、カバンだらけな怜を見ると、少しだけ面白かった。

バッグを奪われた楓の左肩には、風が当たって急に冷えていく感覚だけが残る。
きっと自分のバッグくらい持つと言っても聞いてくれないだろうと思い、楓は「ありがとう」と言った。

「で、なんで?」
「…怜ちゃんが帰ってくるの、起きて待ってたいから」
「………」

仕事を遅くまで頑張っても、土曜の朝ではなく金曜の夜遅くには帰ってくると言う。
私はもう、寝てるかもしれないのに。

せめて顔は見たいと思ってそう言うと、怜が少しだけ足を止めて、楓がそれに気づいて振り返った。
少しだけ傾斜のある坂で、まっすぐこちらを向いた怜が、楓を見据えていた。

「怜ちゃん?」
「…だめでしょ、そんなこと俺に言ったら」

怜がエコバッグを持ち替えて、一歩進んで、楓の手を取った。
かさりと乾燥した手のひらは、あの日みたいだった。

「え、」

そのまま歩き出す怜はさっきよりも早足だった。
街灯の光が届かない暗い坂道に、二人の靴底がアスファルトを急ぎ足で踏み締める不規則な音が響く。
人気のないこの道は、いつもより少しだけ家までの近道で、でも人通りがないから夜は一人では通るなと怜が言っている場所だった。


「俺が楓のこと、どう思ってるか、分かってるくせに」
「あ、え、」

包まれた手は、怜の手のひら全体からの圧がかかっていて、指先が重なって少しだけ痛かった。
怜の歩幅についていくと少しだけ息が荒くなって、擦れた怜のスラックスの音と、エコバッグの中でビニール袋がガサガサと触れ合っている音がする。

「忘れてない?この間、俺が言ったこと」
「怜ちゃ…」

マンションの前に着くと、怜はエントランスのボードに、いつもよりも乱暴に鍵を差し込んだ。
一階に留まっていたエレベーターに乗り込むと、壁に背をつける楓に、怜が顔を静かに近づけた。
背中に感じる冷たい金属の壁と、額にかかる怜の吐息の温度が、真逆だった。

怜がなんだか怖くて、見たことがない顔で、真顔なのにその瞳は少しだけ潤んでいて、熱を孕んでいた。


「分かってる?女として見てるっていうのが、どういうことか」
「え、あの、」

怜の身体が近づいて、見下ろされる瞳から目が逸らせない。
密閉された箱の中は、稼働するワイヤーの低い振動音だけが床から足裏へ伝わってくる。


「俺、好きだって言ったよね」
「っ」


あの時は、暗かったし、花火の音がうるさかったし、抱きしめられながらだった。
目の前で、蛍光灯の光の中で、目を見つめられて言われるのが、こんなに違うなんて、知らなかった。

ポーン、と機械的な音が鳴って、エレベーターが到着した。
扉が開くと、怜がふいっと顔を逸らして、先にエレベーターを出ていった。
ふらつきそうになる足元のまま、楓は怜を追いかける。

「あの、ごめ、怒ってる?」
「…鍵、開けて」
「う、うん」

廊下をまっすぐに歩く怜がそう言って、楓はポケットに入れていたキーケースを取り出した。
部屋の前に着くと怜は立ち止まり、楓が鍵を開けてドアを引くと、怜が先に部屋に入った。

楓が部屋に入って玄関のドアをゆっくりと閉めると、廊下に荷物を置いた怜が、こちらを見ていた。その視線にぞくりとして、息が浅く漏れた。

「れい、ちゃん」
「…怒ってないけど、あんまり無防備でかわいいこと、言わないで」
「ごめん…そんな、つもりじゃ」

怜がゆらりと近づいて、ドアに背をつける楓の顔の横に、手をついた。
薄暗い玄関の灯りだけがこの空間を照らしていて、怜の吐息が耳を掠めていった。

「…もっと俺のこと、ちゃんと男って意識して」
「は、はい…」

思わず敬語で返事をすると、怜がふっと顔を近づけて、楓の耳元に唇を寄せた。
怜の吐息が、耳の縁を掠めた。


「…好きだよ」


はぁ、と熱い息が溢れた。
花火の夜より、ずっと、近くて。


ビリビリと脳を突き抜けていくような感触と刺激に、立っていられなくなるような衝撃を感じて、ドアに背をつけたまま、楓はずるりとその場に座り込んだ。
ドアの表面を背中が滑り、冷たい玄関の床に、楓の膝とゆるりとしたアイボリーのパンツの裾が、くしゃりと崩れ落ちた。

怜はそれを見下ろすようにして、少しだけ恥ずかしそうな、気まずそうな顔をした後、「…ほら」と手を差し出した。

フローリングに落とされた荷物の影が、玄関の黄色い常夜灯に照らされて細長く伸びている。

この手を取ってしまったら、どうなるか分からない。
そう思いながら、指先が熱を求めてそこに手を伸ばした。