玄関のドアが閉まった瞬間、静けさが広がる。
芽依子はその場に立ち尽くしたまま、呼吸を整えることすら忘れていた。
ふわり、と木の匂いがした。
ウッディで、少しだけ甘い、落ち着く香り。
(……知らない匂いなのに、安心する)
張りつめていたものが、ゆっくりほどけていく。
ここにいると大丈夫だと、空間そのものに言われているみたいで。
「ほら、上がり」
視線を落とすと、遥希が当たり前みたいにしゃがみ込んでいた。
「え、なに……」
「靴、脱ぎにくいやろ。肩に手、置き」
自然に足首に触れられて、びくっと体が跳ねる。
「っ……」
「そんな警戒せんでもええやろ」
苦笑まじりの声に、余計に意識してしまう。
言われるがまま、遥希の肩に体重を預ける。
普段見えない旋毛が、すぐそこにある。
こんな距離、昔でもなかったのに。
(ちょっとだけ……さわりたい)
指先が髪に触れようとするも、先に立ち上がってしまい、もう見えない。
芽依子は、少し物足りなさを感じてしまった。
その顔を見て少し首を傾げるも、遥希は手を伸ばす。
「めい、歩ける?」
それに返事をしようとした瞬間、ふわっと体が浮いた。
「ちょ、はる兄っ!」
片腕で軽々と抱き上げられる。
完全に支えられているわけじゃない、不安定な体勢。
それなのに――怖くない。
反射的に肩にしがみつくと、遥希の体温が近すぎて、心臓が跳ねた。
「ほら、暴れんな。危ないやろ」
言葉はそっけないのに、腕は驚くほど優しい。
落ちないように、でも締めつけすぎないように、絶妙なバランスを保っている。
「……重たいでしょ……」
「現役消防士なめんな。めっちゃ軽いわ」
「ウソでしょ……ふふっ」
思わず笑うと、遥希の胸がわずかに揺れる。
その振動が、余計に近さを実感させて――
(……やっぱり安心する)
それは、はる兄だから――という当たり前に、芽依子は指先の力を僅かに強めた。
そのまま、リビングまで運ばれた。
ソファに下ろされて、やっと家の中を見渡す余裕ができる。
遥希の部屋は、想像してたよりずっと整っていた。
無機質すぎない、でも生活感はある。
シンプルなのに、心地良くて落ち着く空間。
(……はる兄っぽい)
遊びに行ってた実家の部屋と同じ雰囲気に、芽依子は昔の感覚が甦る。
変わったはずなのに、変わっていないみたいで――。
「適当に座っとき」
キッチンに立つ遥希の背中を、ぼんやりと見つめる。
慣れた手つきでお湯を沸かして、マグを用意して、 当たり前みたいに動いている。
そのどれもが馴染みすぎていて、違和感が追いつかない。
(なんでこんなに普通なの……)
久しぶりに会ったはずなのに。
こんな距離、絶対ありえないのに。
(気にしてるのは……あたしばっかり)
芽依子は落ち着かなくて、リビングから見える外の景色に視線を泳がす。
遥希の暮らしている場所に、自分が今いるの、少し不思議な気持ち。
しばらくすると、飲み物を手にした遥希が、躊躇うことなく隣に腰かける。
差し出されたマグには、はちみつ紅茶が入ってある。
「ほら、ぬるなってるから大丈夫やで」
「ありがと……」
(覚えてたんだ……)
猫舌なのも、大好物なのも、なんでもお見通し。
甘いはちみつの香りに負けない遥希の過保護すぎる扱いに、早くも心は乱されっぱなしだ。
芽依子は誤魔化すように、早口で話しはじめた。
「あ……あのっ……お母さんたちに説明してくれて、ありがとっ」
「ええよ、俺も、芙美ちゃんや智さんたちには、ええ加減なことしたくないしな」
芽依子の部屋の荷物を取りに行ったあと、実家に寄った二人は、芙美に事のあらましを説明した。
『はる君なら安心よ!お父さんにはあたしが伝えとくわね』
『むしろ、そんなDVサイコパス男とは早く別れなさい!』
芙美は遥希との同居に関して快諾し、何ならもっと早くに提案すべきだったという始末。
芽依子は、念のため、父――智にもメッセージを送っておいた。
すると、先ほどここに向かう途中に『了解。はる君なら安心だ』と返信が届いた。
両親の太鼓判をもらったことで、ますます逃げ道が無くなった。
遥希への信頼と信用度が高すぎて、有り難いような、なんというか。
「どしたん?おもろい顔して」
「……はる兄ってほんとに甘いよね。……過保護」
「めい限定な。今頃気づいたん?」
ニヒルな笑みを浮かべる遥希に、ほんの少しだけ怖さを感じる。
ただそれも、妹枠ゆえの過保護からだからだろうか。
芽依子はその場に立ち尽くしたまま、呼吸を整えることすら忘れていた。
ふわり、と木の匂いがした。
ウッディで、少しだけ甘い、落ち着く香り。
(……知らない匂いなのに、安心する)
張りつめていたものが、ゆっくりほどけていく。
ここにいると大丈夫だと、空間そのものに言われているみたいで。
「ほら、上がり」
視線を落とすと、遥希が当たり前みたいにしゃがみ込んでいた。
「え、なに……」
「靴、脱ぎにくいやろ。肩に手、置き」
自然に足首に触れられて、びくっと体が跳ねる。
「っ……」
「そんな警戒せんでもええやろ」
苦笑まじりの声に、余計に意識してしまう。
言われるがまま、遥希の肩に体重を預ける。
普段見えない旋毛が、すぐそこにある。
こんな距離、昔でもなかったのに。
(ちょっとだけ……さわりたい)
指先が髪に触れようとするも、先に立ち上がってしまい、もう見えない。
芽依子は、少し物足りなさを感じてしまった。
その顔を見て少し首を傾げるも、遥希は手を伸ばす。
「めい、歩ける?」
それに返事をしようとした瞬間、ふわっと体が浮いた。
「ちょ、はる兄っ!」
片腕で軽々と抱き上げられる。
完全に支えられているわけじゃない、不安定な体勢。
それなのに――怖くない。
反射的に肩にしがみつくと、遥希の体温が近すぎて、心臓が跳ねた。
「ほら、暴れんな。危ないやろ」
言葉はそっけないのに、腕は驚くほど優しい。
落ちないように、でも締めつけすぎないように、絶妙なバランスを保っている。
「……重たいでしょ……」
「現役消防士なめんな。めっちゃ軽いわ」
「ウソでしょ……ふふっ」
思わず笑うと、遥希の胸がわずかに揺れる。
その振動が、余計に近さを実感させて――
(……やっぱり安心する)
それは、はる兄だから――という当たり前に、芽依子は指先の力を僅かに強めた。
そのまま、リビングまで運ばれた。
ソファに下ろされて、やっと家の中を見渡す余裕ができる。
遥希の部屋は、想像してたよりずっと整っていた。
無機質すぎない、でも生活感はある。
シンプルなのに、心地良くて落ち着く空間。
(……はる兄っぽい)
遊びに行ってた実家の部屋と同じ雰囲気に、芽依子は昔の感覚が甦る。
変わったはずなのに、変わっていないみたいで――。
「適当に座っとき」
キッチンに立つ遥希の背中を、ぼんやりと見つめる。
慣れた手つきでお湯を沸かして、マグを用意して、 当たり前みたいに動いている。
そのどれもが馴染みすぎていて、違和感が追いつかない。
(なんでこんなに普通なの……)
久しぶりに会ったはずなのに。
こんな距離、絶対ありえないのに。
(気にしてるのは……あたしばっかり)
芽依子は落ち着かなくて、リビングから見える外の景色に視線を泳がす。
遥希の暮らしている場所に、自分が今いるの、少し不思議な気持ち。
しばらくすると、飲み物を手にした遥希が、躊躇うことなく隣に腰かける。
差し出されたマグには、はちみつ紅茶が入ってある。
「ほら、ぬるなってるから大丈夫やで」
「ありがと……」
(覚えてたんだ……)
猫舌なのも、大好物なのも、なんでもお見通し。
甘いはちみつの香りに負けない遥希の過保護すぎる扱いに、早くも心は乱されっぱなしだ。
芽依子は誤魔化すように、早口で話しはじめた。
「あ……あのっ……お母さんたちに説明してくれて、ありがとっ」
「ええよ、俺も、芙美ちゃんや智さんたちには、ええ加減なことしたくないしな」
芽依子の部屋の荷物を取りに行ったあと、実家に寄った二人は、芙美に事のあらましを説明した。
『はる君なら安心よ!お父さんにはあたしが伝えとくわね』
『むしろ、そんなDVサイコパス男とは早く別れなさい!』
芙美は遥希との同居に関して快諾し、何ならもっと早くに提案すべきだったという始末。
芽依子は、念のため、父――智にもメッセージを送っておいた。
すると、先ほどここに向かう途中に『了解。はる君なら安心だ』と返信が届いた。
両親の太鼓判をもらったことで、ますます逃げ道が無くなった。
遥希への信頼と信用度が高すぎて、有り難いような、なんというか。
「どしたん?おもろい顔して」
「……はる兄ってほんとに甘いよね。……過保護」
「めい限定な。今頃気づいたん?」
ニヒルな笑みを浮かべる遥希に、ほんの少しだけ怖さを感じる。
ただそれも、妹枠ゆえの過保護からだからだろうか。



