昨日、運ばれた病院は、幸いにも市内で車で三十分ほどの距離にある。
遥希の車で向かっている途中、何度か小さな欠伸を噛み殺していた。
「……寝れなかった?」
「まぁ……あれから夜中も何件か走ったからね」
「……わざわざついて来なくても良かったのに」
「ええの。運んだん俺らやし気になる」
遥希は、消防署で救急救命士として二十四時間働いている。
親同士が仲良しなので、否応なしに遥希の近況も芽依子の耳に届いていた。
当然、逆もまた然りで。
(夜勤明けなんだから、寝とけばよかったのに……でも、嬉しい)
チラッと運転している遥希を盗み見る。
一度会ってしまえば、何てことは無い。
今までの時間を埋めたくて、しばらく心のシャッターを押し続けていた。
視線を感じた遥希が、柔らかな笑顔で「どしたん?」と、一瞬視線がふれあう。
「俺は、めいに会いたかってん。嬉しいで」
どう答えていいか迷った末の、精一杯の返事。
「……あたしも……」
可愛げのない返事をしてしまったと後悔する芽依子を余所に、遥希はそれすらも愛おしくてたまらないといった様子で、目元を優しく和ませた。
「ほんま、めいは、かわええな。手、繋いどく?」
「運転に集中してっ」
「はいはい」
それだけで、芽依子の胸の奥は、甘く淡く満たされていった。
昨日も見た街の景色。
流れる車窓に映る顔は、昨夜とは違って嬉しさが滲んでいた。
***
検査も無事に終わり、医師によると、「脳への異常も認められず、ただむち打ちが続く」という結果に二人は胸を撫で下ろした。
診察室を出ると、女性看護師が声をかけてきた。
「池田さん、こんにちは~。あれ?非番?」
「こんにちは。そうです」
「そういえばこの前の研修で――」
芽依子は邪魔にならないよう、ただ離れ難くて、遥希の服の裾を無意識にギュッと掴んでしまう。
それに気づいた遥希は、素早く手を取り繋ぐ。
女性と話す姿は、トラウマになったあの日を思い出して、うまく息ができない。
でも違うのは、繋がれた手から伝わる体温と石鹸の香り。
(仕事モードのはる兄も、かっこいいなぁ)
軽い嫉妬心もいなせるくらい、今の芽依子は少しだけ強くなっていた。
軽く話終えたあと、会計に向かうと混んでいる。番号札を取り、併設されているカフェで待つことにした。
「なんも無くてよかったな」
「うん」
「むち打ちとかは、後から出るから用心しいや」
甘いフェイスに反して、ブラックコーヒーを飲む遥希。
ただの仕草も、久しぶりに見ると目の毒になる。
(だめだ・・・・・・心臓が持たない)
するとカバンの中から、着信の振動音が聞こえる。
画面に表示された名前を見て、芽依子の喉がひゅっと鳴った。
背筋に冷たい汗が流れ落ち、手が寒くないのにかじかむ。
「めい?」
怪訝な顔でのぞき込むと、遥希の眉間に深い皺が寄っていく。
スマホを奪い取るも、着信は切れてその後メッセージが届いた。
遥希は深いため息で怒りを逃がし、芽依子の手を優しく包む。
「めい、俺は芽依子の味方やで」
「……はる兄……」
昨日の出来事や背中の痛みよりも、遥希に彼氏がいることを知られたほうが、ずっと痛い。
芽依子の瞳から、一つまた一つと透明な涙が頬を伝う。
慌てて拭おうとしても、両手をがっちりと包まれている。
すると遥希が、外の世界を遮断するように抱き締めた。
(はる兄の匂い・・・・・・やっぱり安心する)
すっぽりと包み込まれた腕の中で、芽依子はそっと瞳を閉じた。
「頼ってくれて、ええんやで」
「・・・・・・ありがと。でもちゃんと自分で解決する」
腕の中から一歩、名残惜しさを振り切るようにして距離を置く。
芽依子は伏せていた顔を上げ、潤んだ瞳で彼をまっすぐに見つめた。
「でも、どうしようもなくなったら、はる兄に言うね」
それが、今の芽依子にできる精一杯の歩み寄りだった。
遥希は一瞬、何かを堪えるように目を細めたけれど、すぐにいつもの柔らかな微笑みを浮かべた。
「約束な」
そう言って彼が差し出してきたのは、大きな右手の薬指。
芽依子が少しだけ躊躇いを見せると、遥希は「あ……」と呟くと、静かに指を下ろした。
代わりに芽依子の頬を優しく撫でる。
それだけで、たまらなく胸の奥が締めつけられて苦しかった。
遥希の車で向かっている途中、何度か小さな欠伸を噛み殺していた。
「……寝れなかった?」
「まぁ……あれから夜中も何件か走ったからね」
「……わざわざついて来なくても良かったのに」
「ええの。運んだん俺らやし気になる」
遥希は、消防署で救急救命士として二十四時間働いている。
親同士が仲良しなので、否応なしに遥希の近況も芽依子の耳に届いていた。
当然、逆もまた然りで。
(夜勤明けなんだから、寝とけばよかったのに……でも、嬉しい)
チラッと運転している遥希を盗み見る。
一度会ってしまえば、何てことは無い。
今までの時間を埋めたくて、しばらく心のシャッターを押し続けていた。
視線を感じた遥希が、柔らかな笑顔で「どしたん?」と、一瞬視線がふれあう。
「俺は、めいに会いたかってん。嬉しいで」
どう答えていいか迷った末の、精一杯の返事。
「……あたしも……」
可愛げのない返事をしてしまったと後悔する芽依子を余所に、遥希はそれすらも愛おしくてたまらないといった様子で、目元を優しく和ませた。
「ほんま、めいは、かわええな。手、繋いどく?」
「運転に集中してっ」
「はいはい」
それだけで、芽依子の胸の奥は、甘く淡く満たされていった。
昨日も見た街の景色。
流れる車窓に映る顔は、昨夜とは違って嬉しさが滲んでいた。
***
検査も無事に終わり、医師によると、「脳への異常も認められず、ただむち打ちが続く」という結果に二人は胸を撫で下ろした。
診察室を出ると、女性看護師が声をかけてきた。
「池田さん、こんにちは~。あれ?非番?」
「こんにちは。そうです」
「そういえばこの前の研修で――」
芽依子は邪魔にならないよう、ただ離れ難くて、遥希の服の裾を無意識にギュッと掴んでしまう。
それに気づいた遥希は、素早く手を取り繋ぐ。
女性と話す姿は、トラウマになったあの日を思い出して、うまく息ができない。
でも違うのは、繋がれた手から伝わる体温と石鹸の香り。
(仕事モードのはる兄も、かっこいいなぁ)
軽い嫉妬心もいなせるくらい、今の芽依子は少しだけ強くなっていた。
軽く話終えたあと、会計に向かうと混んでいる。番号札を取り、併設されているカフェで待つことにした。
「なんも無くてよかったな」
「うん」
「むち打ちとかは、後から出るから用心しいや」
甘いフェイスに反して、ブラックコーヒーを飲む遥希。
ただの仕草も、久しぶりに見ると目の毒になる。
(だめだ・・・・・・心臓が持たない)
するとカバンの中から、着信の振動音が聞こえる。
画面に表示された名前を見て、芽依子の喉がひゅっと鳴った。
背筋に冷たい汗が流れ落ち、手が寒くないのにかじかむ。
「めい?」
怪訝な顔でのぞき込むと、遥希の眉間に深い皺が寄っていく。
スマホを奪い取るも、着信は切れてその後メッセージが届いた。
遥希は深いため息で怒りを逃がし、芽依子の手を優しく包む。
「めい、俺は芽依子の味方やで」
「……はる兄……」
昨日の出来事や背中の痛みよりも、遥希に彼氏がいることを知られたほうが、ずっと痛い。
芽依子の瞳から、一つまた一つと透明な涙が頬を伝う。
慌てて拭おうとしても、両手をがっちりと包まれている。
すると遥希が、外の世界を遮断するように抱き締めた。
(はる兄の匂い・・・・・・やっぱり安心する)
すっぽりと包み込まれた腕の中で、芽依子はそっと瞳を閉じた。
「頼ってくれて、ええんやで」
「・・・・・・ありがと。でもちゃんと自分で解決する」
腕の中から一歩、名残惜しさを振り切るようにして距離を置く。
芽依子は伏せていた顔を上げ、潤んだ瞳で彼をまっすぐに見つめた。
「でも、どうしようもなくなったら、はる兄に言うね」
それが、今の芽依子にできる精一杯の歩み寄りだった。
遥希は一瞬、何かを堪えるように目を細めたけれど、すぐにいつもの柔らかな微笑みを浮かべた。
「約束な」
そう言って彼が差し出してきたのは、大きな右手の薬指。
芽依子が少しだけ躊躇いを見せると、遥希は「あ……」と呟くと、静かに指を下ろした。
代わりに芽依子の頬を優しく撫でる。
それだけで、たまらなく胸の奥が締めつけられて苦しかった。



