今夜は君の夜屑

  
 
 
 
「ラストオーダーだって」
「詩乃ちゃん、なんか最後に頼む?」


吉野は眠そうにぼうっとしていて口数も少なくなっている。
橋立は最初と何も変わらない顔で、テキパキと詩乃に聞いてくる。
橘の頬も赤く、詩乃も自分の顔が熱っているのは分かるが、最後は烏龍茶か、ウーロンハイをもう一杯頼むか悩みどころだ、と思う。

「お茶にしとけば」
「えー」
「飲み過ぎになるよ」
「まぁ、そうだよね」

橘が詩乃の方に身体を傾けるようにして、そう言った。
確かに、まだ気持ちがはっきりしているうちに終わらせなければ。
嫌というほど学んだばかりじゃないか。



橘の言葉通りに、少し温かめに注文した烏龍茶を飲み干し、スマホで時間を確認した。これできっとお開きだろう。

「吉野、大丈夫?」
「だいじょうぶ」
「昔から弱いよね」
「俺どっちみち途中まで一緒だから、面倒見るよ」

ありがとう、と橘が橋立にそう言った。
そういえば、橘もいつもよりあまり飲んでなかったような気がする。そう思って詩乃は隣の橘の顔を見上げた。

少し頬は赤いが、いつもはもうちょっと飲んでいるはずだ。
橘も少し控えめにすることにしたのだろうか。

お会計を終えて、店の外に出た。
駅直結のビルとはいえ、いくつかの通路を経由しないといけないので改札までは少し距離がある。
五月の夜風はまだ少しひんやりしているのに、熱った身体にはそれがとても心地よかった。

今にも眠ってしまいそうな吉野に橋立が寄り添いながら、四人で歩き出した。

「詩乃ちゃんはもっと飲めるよね?」
「うん、時間かけてチビチビ飲むともうちょっといけるかな」
「そうだよね、でも顔赤いし酔ってるね」

少し強い風が吹いて、酔いを少しだけ流していった。
橋立も橘も背が高くて、間に挟まれている詩乃は少し見上げるような格好になる。

「詩乃ちゃんと橘、近いよね?送ってったら?」
「うん、いいよ」
「え」
「結構近いの?」
「俺の家が、新田の最寄りの二つ先かな」
「危ないし、家まで送ってあげたら?」
「いいよ」

提案も了承もしていないのに、両脇で話が勝手に進んでいく。
詩乃は二人の顔を交互に見つめることしかできなかった。

「いいって、大丈夫だから!」
「俺、女の子の大丈夫は当てにしないんだー」
「ハシケン、それは俺も分かるわ」

待ってよ、橘まで同意しないでよ。そう思うも決定事項のように話が進められていく。焦った顔をする詩乃を見て、とりあえず駅までは送るから、そう言った橘の言葉に、詩乃は渋々頷くことになった。

「なんか二人、やっぱり前よりも仲良いね?」
「割と過去の恋愛話なんかも話しちゃってるしな」

きっとハシケンの言葉に動揺したのは私だけだ。
何も言葉を発せなかった詩乃を他所に、何でもないかのように橘は会話を続けていく。

「珍しいよねー、橘がそこまで仲良くなるの」
「酒の好みも合うし、家も近いし、同じフロアだしなー」

だから、きっと、ちょうどいいのだろう。
言葉の続きは、きっとそういうことだ。
詩乃はぼんやりと、二人の会話を頭の中で繰り返した。

ビルの中に入ると急に全方向から照らされるLEDの白い光に目が眩みそうになった。
影のない明るさが、重ねてきた夜をなかったことのように洗い流していく気がして、詩乃は思わず目を細めた。

隅にあるエレベーターに四人で乗り込むと、橋立が一階のボタンを押した。


「最近は彼女いないの?」
「いないねー、忙しいし」
「モテるのにね」
「会社では、ないって……」
「大学でも違う学部の子としか付き合わなかったもんね」
「…あ、まぁ……」

エレベーターが一階に到着した。
軽快な音がそれを知らせ、扉が開くと橋立は寝てしまいそうな吉野の肩を持った。
橘がドアの開ボタンを押していて、詩乃はありがとうと言いながら一番にそこから出た。


「じゃあ橘、詩乃ちゃん、また会社でねー」
「じゃあね…」

橘と詩乃は地下鉄なので、改札が違う。
エレベーターを出たところで、橋立がいつもと変わらない顔をして手を振った。
ぼんやりしていた吉野も話は聞いていたようで、閉じかけの目で詩乃に手を振った。

「じゃあいくか」
「うん」

それを見送って、改札に向かう橘の歩幅はいつもより小さい。
前を歩くことが多いはずなのに、今日は詩乃に合わせているようだ。

そうだよね、同じテリトリーの中にいる女の子には手を出さない、それは前から橘が言っていたことで知っていた。

気まずくなったり自分が過ごしづらくなることが嫌だからなんでしょ。
そんなこととっくに知ってるから、わざわざ私がいるところで、念押しみたいに言わなくてもいいんじゃないの。

「ちゃんと送るから」
「いいって言ってるのに」
「危ないでしょ」

今まで二人で飲んだ時は、駅で解散だったじゃん。
同じ会社で、同じテリトリーにどっぷり所属している私のこと、一ミリも疑われたくなくて、否定したいくせに、なんで急にそんなこと言うの。

「面倒でしょ」
「別にそんなことないし、新田酔ってるし」
「酔ってないって」


改札でスマホをかざした。
ピッ、という機械的な電子音が流れ、それをポケットにしまうことすら面倒臭いような気持ちになる。乾いた電子音が、自分たちの間に引かれた境界線を宣告するようで、耳に障った。

いつも前を歩いていく男が、今日は後ろからついてくる。
背中越しに、橘のゆっくりとした足音が重なる。

どうせ、前より意識してるのは私だけだよ。