「詩乃ちゃん!久しぶりー」
「ハシケンも吉野《よしの》くんも!久しぶり」
「え?吉野も詩乃ちゃんって呼んでんの?」
「サークルではみんな女の子はちゃん付けだったよ」
居酒屋が多く集まっている駅だった。
土曜日の駅は人で溢れかえっていて、駅から直結のビルを渡り歩いて、三階の和食バルの奥に、三人はすでに揃っていて、橋立が詩乃に手を振っていた。
「詩乃ちゃん、痩せたね」
「ありがとうハシケン、そういうところ大好き」
「出たよ、調子いい」
「なんで?思ったこと言っただけだよ」
橘の隣が空いていたので、詩乃はそこに座った。
別に誰も何も思っていないはずなのに、頭の中で言い訳のような理由を並べ立てている自分がいた。
「詩乃ちゃん、何飲む?」
「じゃあビールで」
詩乃の言葉に、吉野がすいません、とちょうど通りかかった店員に手をあげた。
すぐに注文を取りに来た店員に詩乃の注文のみを伝えてくれた。どうやら三人はもう頼んでいるようだった。
「料理、適当に頼んであるからね」
「ありがとうハシケン」
目の前に座っている橋立に、詩乃は笑いながら言った。
気さくでノリが良く、朗らかな性格はみんなに好まれるもので、それは今の会社でも同じように思う。
「今度は同期飲みもしようねー」
「ハシケンいつも幹事してくれてるよね、ありがと」
「苦じゃないからいいんだよ」
「顔広いもんね、大学でもそうだったし」
「そんなことないよ」
橘の言葉に、そんな感じがするな、と思っていると四人分のビールがちょうど運ばれてきて、橋立の言葉で乾杯とグラスを合わせた。ぐいと飲んだそれは、一週間ぶりでもちゃんと美味しい。
駅ビルの中とは思えないほど落ち着いた照明の、大人向けの和食居酒屋だった。
アラカルトで頼んでおいてくれていたメニューはどれも美味しかったし、そこに詩乃が好きなポテサラも入っていて、橘が頼んでいてくれたのかなとふと思った。
「三人は結構会うの?」
「俺は人事だから階が違うし、会社で会うことあんまりないかな」
吉野が目の前の枝豆を摘みながら疑問を投げかけ、橋立がそれに返した。
確かにハシケンと会社で会ったことはあんまりないなー、と思いながら、詩乃は焼き鳥を頬張る。
それを見ていたらしい橘が、串入れを黙って詩乃の前に置いた。
「俺と新田は同じフロアだし、営業と広報だから、ちょこちょこ」
「プライベートでは?」
「っ、たまに二人で飲むかな」
「ふーん、いいなあ」
橘が一瞬言葉に詰まったことは、当然分かった。
きっと頭によぎったのは、あのことだからだ。
吉野は気に留めてない様子で、詩乃は一瞬止まった息を長く吐いた。
「橘が女の子と飲むの、珍しいよね」
「あー確かに、そういうの避けてたよね」
「前に彼女と別れた時に愚痴聞いてもらってからかな。話聞くの上手いんだよね、新田」
「あー、あの嫉妬深かった子だ」
「そうそう」
内容的に少しだけヒヤリとするも、詩乃は軽く頷きながら、目の前の皿から最後のだし巻き卵を自分の取り皿に移した。
自分の名前が出たので橘に視線を移すが、動揺は見えない。詩乃は皿の淵の卵に箸を入れることに集中した。溢れ出た出汁が小皿の底に広がる様子を、詩乃はまるで世界で一番重要なことのように見つめ続けた。
「大学でもそれなりにモテてたけど、会社ではどうなの?」
「そりゃ橘、顔がいいからモテてるよね」
「別に、たまに飯誘われたりするくらいだけど」
「断ってるの?」
「会社で変なことになったら嫌じゃん」
詩乃は会話に入らず、聞いている雰囲気を出しながら二杯目で頼んでいたハイボールをちびちびと口に運ぶ。
「詩乃ちゃん、女の子から嫉妬されたりしないの?」
「あー…」
吉野から視線と話題を振られ、詩乃は口の中に残っていた液体を流し込んだ。
研修の班が一緒で、仕事でも関わることがあったから仲良くなったが、それを知らない人も当然いる。
今まで聞かれることも確かにあった。
「確かに、なんか言われたことあるの?」
「うーん、聞かれることもあるけど、彼氏いるからって言うと、」
「えっ、彼氏いんの!?」
橋立の言葉に返事をしていると、途中で少し大きな声が割り込んで、言葉が止まった。
橘だった。
わかりやすく、しまった、という顔をしている。
「最後まで聞いてよ、彼氏いるからって言って誤魔化してるの」
「うん、ご、ごめん」
「なんで橘が焦るの?」
「いや、彼氏いたなら飲みとか誘ったの、よくなかったかなって」
「でも同期だしね、俺も仕事帰りに同期と飲むことくらいあるし」
「だ、だよね」
確かに今の文脈では、誤解される言い方だった。
あの状況で焦っても仕方ないか、そんなことを思いながらも詩乃は橘の方は見ることが出来ない。目の前の橋立からは視線が注がれている気がして、橋立の方にも顔が向けられない。
皿を片付けたいふりをして、枝豆の皿を重ねることにだけ意識を向けていると、ちょうど締めにと橋立が頼んでいた釜飯が到着し、話題も視線もそこで止まったことがありがたかった。
釜飯から立ち昇る真っ白な湯気が、二人の間に漂う妙な空気を一瞬だけ覆い隠してくれた。
それからは、詩乃も橘の方を見られなかったし、橘からも視線は来なかった。
左側に感じる橘の腕は、机の上に乗せられてさっきよりも距離ができた。
簾越しに漏れる隣の客の笑い声が、不自然な空白を際立たせているようで、詩乃は冷めたハイボールのグラスを強く握った。
それに気づいているのが、自分だけなのかどうか、詩乃には分からなかった。


