今夜は君の夜屑

  
 
 
 
 
 
そんなに弾まない会話を誤魔化すかのように、アルコールを沢山頼んだ。
ワインカクテルや、自家製レモネードのカクテルなど、珍しいメニューが多かったのも、詩乃にとってはありがたかった。

橘も同じように、スクリュードライバーやテキーラトニックなどのお酒を頼んでいたので、もしかしたら同じ気持ちかもしれなかった。

お酒が進むとぽつぽつと会話が進むようになり、それでも上辺だけのような気がしたが、次第にアルコールがその違和感を埋めていった。



そうして案の定、ふわふわとした気分になった詩乃は、目の前の橘を見つめた。
カクテルって、普段はそこまで頼まないけれど、ビールよりも度数が強いんじゃなかったっけ。そんなことを思うも、調べようなどという気は起きない。

何度かトイレに入る橘も、きっと同じようなものなのだろう。


「…今日は、さ」
「…ん?」

橘は、頬杖をついて、視線を窓側のテラスに向けて言った。
テラスで食事をしていた人たちは、とっくにもういなくなっていた。


「…もう帰るの?」

ああ、結局、また同じ流れになるのか。



期待していないつもりだったのに、気持ちがひどく沈んでいくのを感じた。

自分がそうだったように、何かを言いたくて言えなかった。
その勢いをつけるためのお酒なのかなと思いたくて、この空間を、耐えたのに。

少し歩いたところにホテルがあるのは、知っている。
だってもう、この駅周辺のホテルなんて、いくつか一緒に行ったから。


もう、どうでもいいか。

「…いいよ」


橘は詩乃を見ていた。
それは視界の端に映っていたけれど、詩乃は見なかった。

「俺が出すから、飲んでて」
「…ありがとう」

前のように軽口を叩くこともできない。
そこで払う払わないの押し問答をすることも嫌で、素直に厚意に甘えた。

そうして店を出たのは、二十三時だった。
まだ終電は残っている。カクテルの甘い余韻が喉に残っているのに、思考だけが冬の空気のように澄み渡っていく。

「いこ」

橘が、詩乃の手を取った。
いつもより早歩きな気がした。
そんなに急がなくても、逃げたりしないのに。詩乃はそう思いながらも、黙ってそれに従った。

なんだか泣いてしまいそうだな、と思った。
虚しい気持ちを抱えてまでなお、橘といる理由を探すも、好きだから以外になかった。むしろそれしか、支えているものはなかった。そんな自分がひどく滑稽に思えた。

詩乃のベージュのジャケットが、歩くたびにひらりと揺れる。
普段はパンツスタイルで済ますことが多い出社服だけど、今日アイボリーのシフォンスカートを履いてきたのは橘と約束があったからなのに。

「…早いよ」
「ごめん…」

言葉が届いてもなお、少しだけしか歩みは緩まなかった。
それが橘の答えなんだと思うと、虚しかった。

橘が、絡んだ指先を撫でるように擦った。
その指先だけが優しくて、それだけでそこの温度が高くなったような気がしてしまう私は、もうきっと末期だ。








どさり、と黒いリュックをおろした橘は、詩乃のトートバッグもするりと腕から抜いて、隣に置いた。

「ちょっ」
「ごめん」

橘は、詩乃の腕を掴んで、少し強く押した。
詩乃の膝の裏に、ベッドのマットレスがぶつかって、それでも止まらなかった力のせいで、背中からベッドに緩やかに倒れた。

ぼふりと鈍い音がして、詩乃の視界は天井と橘のみになる。
ここは天井に鏡がついていないようで、悪趣味なセンスではないことに安心する。

詩乃に跨るようにして、膝立ちで詩乃を見下ろした橘の表情は、いつもと変わらなかった。橘はジャケットを雑に脱いで、ベッドの脇に無造作に投げるように落とした。

「待っ、急に、」
「ごめん」

橘が詩乃の腕を優しく取って、ジャケットを脱がせた。
それをベッドの上に置くと、詩乃の指の間に、自分の指を絡ませた。
その手が詩乃の顔の横に置かれ、詩乃は思わずそちらに視線を送る。

「ごめんね」

顔が横向きになっている詩乃の無防備な耳に、橘が柔らかく噛み付いた。
吐息が熱い。

「なんっ、んん」

なんでそんなに謝るの。その言葉は言わせてもらえなかった。
詩乃が顔を正面に向けた途端、橘の唇が詩乃の唇を塞ぐ。


「もう、限界」

何が限界なのかと、問いかける余裕はなかった。
唇を塞がれ、それに応えることで精一杯になる。

限界なのは性欲なのか、違う何かなのか。頭の中で考えて、性欲以外の何物でもないような気がして、詩乃の中のアルコールが溶けていく。

身体をよじるたびに、シフォンスカートが無造作な動きの中で、音を立てて波打つ。
ジャケットを脱がされた上半身が、少しだけ冷えていく。

「なんで、そんな格好してんの」
「っは、なんでって、」
「そんなピッタリしたニット、会社に着てきたらだめでしょ」
「んんっ、な、ん」

橘が、詩乃の濃いブラウンのサマーニットの裾を、ぺらりとめくった。
腹部が少しだけ外気に晒され、空気に触れていく。

「おまけにノースリーブだし」
「ちが、これはいま、橘が、っん」

そこまで身体のラインが出るニットではない。
ぴたりと張りついて見えるのは、きっと今横たわっているせいで、生地が重力に従っているからだ。
それにこれは、フレンチスリーブだし、会社ではジャケット脱がなかったし、なんてそんな言い訳を言わせてもくれない。


「いい?」

何がいいのか、何の了承を取りたかったのか。
橘は少し焦ったような、怒ったような表情をしていた。
詩乃は頷くのに精一杯で、何の余裕も残っていなかった。

丁寧に整えてきたはずの自分が、橘の指先一つでいとも簡単に乱されていく。

橘が、枕元に手を伸ばして、部屋の電気を消した。
パチン、という軽い音と共に、部屋の輪郭が闇に溶けた。

ベッドサイドのライトと、入り口の明かりだけになった部屋で、詩乃は身を任せるように瞼を閉じた。