「おは、日和」
僕の存在を認めた緋由が、振り返ってへらりと笑みを浮かべる。
「おはよ、葉口くん」
手頃な吊り革をつかみ、僕よりやや高い緋由の後頭部をぼんやり見ていると「お前なんかあった?」と僕の目を見ないまま彼が言い放った。
「なんかって、何が?」
一瞬僕の脳裏によぎった黒髪の幻影を振り払うように、平静を装ってそう問い返す。
「ぼーっとしてたけど、寝不足なん?」
「あーうん。楽しみで寝れんくて」
『校外学習が楽しみで眠れなかった』という言葉は、半分嘘で半分本当だ。ちなみに、その半分の嘘がなんなのかは、今の僕ではまだわからない。
「小学生かよ。気持ちはわかるけど」
半分嘘で半分本当である、僕の言葉をすんなり信じてくれた緋由が、車窓に目線をやる。
目線を下げた先に映った、僕のくたびれた黒いスニーカーと、緋由の白いスニーカー。
目を瞑って2つのスニーカーを視界から外すと、静かな花のような匂いが僕の鼻をふと掠めた。
何の匂いかはわからないけど、懐かしいような新しいような不思議な心地だった。



