見慣れない天井に、ゆっくりと意識が浮かび上がる。
(……完全に飲みすぎた……)
鉛のように重たくて起き上がれない。
ふと目線をやると、胸元に、逃がさないみたいに回された腕。
(……ここ、和巳の部屋だわ)
顔を上げると、まだ静かな寝息が聞こえる。
暫くこの腕の中に甘えていると、アラーム音と小さく身動ぐ声。
「……おはよ」
「……はよ」
あたしはゆっくりと和巳の腕をほどいて、体をおこす。
「……ベッドありがとね」
まだぼんやりとした瞳のまま、和巳も起きあがる。
「……じゃ、帰るわ」
「…………は?」
少しだけ不機嫌な声に、怯みそうになる。
でも昨夜の言葉を、取り消すなんてできない。
「昨日のこと、なかったことにするって言ったでしょ」
和巳と顔を合わせないまま、ベッドから降りる。
軽い溜め息混じりの声は、少しもあたたかくない。
「……あれ、本気で言ってんのか」
「……当たり前でしょ」
「あたし、ちゃんと終わらせるから」
「仕事もあるし、変にこじらせたくないの」
「……そうか」
「じゃ、また会社で」
一瞬だけ、振り返りそうになって――やめた。
そういってあたしは寝室から出て、玄関に急いだ。
足早に荷物を持って、和巳の家から離れていく。
(ばか和巳…………)
(ちがう……ほんとうにバカなのは)
(あたしのほうだ…………)
終わらせたいのに
キスすら出来ないなんて――
(……これで終わるわけ、ないのに)
自分の意気地無しさと意地っ張りに、ただただ腹立たしかった。
***
急いで和巳の家から戻り、手早くシャワーと着替えを済ませる。
二日酔いで、出社とか情けなさすぎる。
フロアはいつもと変わらない朝の空気が広がっていた。
キーボードの音と、低く交わされる会話。
――全部、いつも通り。
(……あたしだけ、変な感じ)
席に着いて、パソコンを立ち上げる。
画面に映る数字や文字を追いながら、無理やり意識を引き戻した。
「八千草さん」
「……あ、ごめん。なに?」
「この資料、最終確認お願いできますか?」
「いいわよ」
受け取った資料に目を落とす。
いつもなら一瞬で処理できるはずなのに、妙に時間がかかる。
(集中しなきゃ……)
そう思うほど、逆に意識が散っていく。
「――珍しいですね」
ふいに、柔らかい声が落ちてきた。
顔を上げると、少しだけ距離を詰めて立つ男。
「松原?」
「ずっと呼んでたんですが、返事がなかったんで……」
軽く笑いながら、少しだけ首をかしげている。
(……気付かなかった)
無意識に、ほんの少しだけ椅子を引いた。
「頼まれていた営業の資料を持ってきました」
「あ……ありがと」
「あと、真鍋さんから伝言です。『14時にA社のパケ資料を持って、ミーティングルームに集合』だそうです」
真鍋という響きに、一瞬だけ身構える。
でも気付かれたくなくて、スマホに目をやる。
「……え?そんなメールきてないけど?」
「鷹宮主任からので、急ぎみたいです」
こんなミスは、璋らしくない。
「了解って真鍋に伝えて。鷹宮主任にはあたしから連絡するわ」
「わかりました」
そう言ったはずの影はまだ遠のかない。
不思議に思って顔をあげると、松原の視線とぶつかった。
「――八千草さん、真鍋さんと何かありましたか」
茶化さない瞳に言われて、言葉に詰まる。
「……なにそれ」
「……いつもより元気ないみたいなんで」
「僕の気のせいですよね」と少し苦笑いしている。
(……やめてよ)
優しい顔されると、余計に取り繕えなくなる。
「別に、何もないわよ」
「……あと、私用なんですが、近々……時間もらっていいですか?」
「……珍しいわね、ほーりーも誘って飲み会?」
すると松原は、キョロキョロと見回したあと、声を落とす。
「………………あの、二人で……」
「……え?」
言い出しっぺが顔を赤らめるから、あたしまで移ってしまった。
「……あのっ……じゃ、失礼しますっ」
「えっ……ちょっと!」
呼び止めたものの、松原は振り返らず去っていった。
入れ違いでほーりーがデスクに戻ってくる。
「どうしたんですかっ?……顔赤いですよ?!」
「………………大丈夫、たぶん」
通常でも処理しきれない爆弾を落とされて、あたしは机に突っ伏してしまった。
***
14時の会議終わりのミーティングルーム。
片付け終えた資料を抱えたまま、あたしは扉のそばで足を止めた。
和巳が、璋を呼び止めたからだ。
「お前、最近変だぞ。……なんかあったのか」
「……何もない」
「嘘つけ。どうせ堀川絡みだろ」
図星なのか黙っている璋に、和巳が詰め寄る。
仕事に私情を挟むなは、確かに正論だ。
でも。
「……確かに和巳の言う通りよね」
「あたしの関西出向を知っても……平気だしね」
「え?」
璋の驚く視線が刺さるも、気にしない。
あたしはまっすぐに、和巳を見る。
あたしは資料を抱え直し、わざと平静を装った。
「ついでに言うと、松原にデート誘われたから」
「じゃ!お疲れっ!」
言い捨てて、ミーティングルームを後にする。
ちょっとは動揺したらいいのよ。
(……和巳、いつもと同じ……クールなままだった)
こんな子供じみたこと、”広報課のエース”のすることじゃない。
でも、今までどう接していたのか、分からなくなっていた。
(……仕事に集中しろ、雪乃)
璋の二の舞だけにはならないよう、いつも以上に神経を尖らせて業務に取りかかった。
(……完全に飲みすぎた……)
鉛のように重たくて起き上がれない。
ふと目線をやると、胸元に、逃がさないみたいに回された腕。
(……ここ、和巳の部屋だわ)
顔を上げると、まだ静かな寝息が聞こえる。
暫くこの腕の中に甘えていると、アラーム音と小さく身動ぐ声。
「……おはよ」
「……はよ」
あたしはゆっくりと和巳の腕をほどいて、体をおこす。
「……ベッドありがとね」
まだぼんやりとした瞳のまま、和巳も起きあがる。
「……じゃ、帰るわ」
「…………は?」
少しだけ不機嫌な声に、怯みそうになる。
でも昨夜の言葉を、取り消すなんてできない。
「昨日のこと、なかったことにするって言ったでしょ」
和巳と顔を合わせないまま、ベッドから降りる。
軽い溜め息混じりの声は、少しもあたたかくない。
「……あれ、本気で言ってんのか」
「……当たり前でしょ」
「あたし、ちゃんと終わらせるから」
「仕事もあるし、変にこじらせたくないの」
「……そうか」
「じゃ、また会社で」
一瞬だけ、振り返りそうになって――やめた。
そういってあたしは寝室から出て、玄関に急いだ。
足早に荷物を持って、和巳の家から離れていく。
(ばか和巳…………)
(ちがう……ほんとうにバカなのは)
(あたしのほうだ…………)
終わらせたいのに
キスすら出来ないなんて――
(……これで終わるわけ、ないのに)
自分の意気地無しさと意地っ張りに、ただただ腹立たしかった。
***
急いで和巳の家から戻り、手早くシャワーと着替えを済ませる。
二日酔いで、出社とか情けなさすぎる。
フロアはいつもと変わらない朝の空気が広がっていた。
キーボードの音と、低く交わされる会話。
――全部、いつも通り。
(……あたしだけ、変な感じ)
席に着いて、パソコンを立ち上げる。
画面に映る数字や文字を追いながら、無理やり意識を引き戻した。
「八千草さん」
「……あ、ごめん。なに?」
「この資料、最終確認お願いできますか?」
「いいわよ」
受け取った資料に目を落とす。
いつもなら一瞬で処理できるはずなのに、妙に時間がかかる。
(集中しなきゃ……)
そう思うほど、逆に意識が散っていく。
「――珍しいですね」
ふいに、柔らかい声が落ちてきた。
顔を上げると、少しだけ距離を詰めて立つ男。
「松原?」
「ずっと呼んでたんですが、返事がなかったんで……」
軽く笑いながら、少しだけ首をかしげている。
(……気付かなかった)
無意識に、ほんの少しだけ椅子を引いた。
「頼まれていた営業の資料を持ってきました」
「あ……ありがと」
「あと、真鍋さんから伝言です。『14時にA社のパケ資料を持って、ミーティングルームに集合』だそうです」
真鍋という響きに、一瞬だけ身構える。
でも気付かれたくなくて、スマホに目をやる。
「……え?そんなメールきてないけど?」
「鷹宮主任からので、急ぎみたいです」
こんなミスは、璋らしくない。
「了解って真鍋に伝えて。鷹宮主任にはあたしから連絡するわ」
「わかりました」
そう言ったはずの影はまだ遠のかない。
不思議に思って顔をあげると、松原の視線とぶつかった。
「――八千草さん、真鍋さんと何かありましたか」
茶化さない瞳に言われて、言葉に詰まる。
「……なにそれ」
「……いつもより元気ないみたいなんで」
「僕の気のせいですよね」と少し苦笑いしている。
(……やめてよ)
優しい顔されると、余計に取り繕えなくなる。
「別に、何もないわよ」
「……あと、私用なんですが、近々……時間もらっていいですか?」
「……珍しいわね、ほーりーも誘って飲み会?」
すると松原は、キョロキョロと見回したあと、声を落とす。
「………………あの、二人で……」
「……え?」
言い出しっぺが顔を赤らめるから、あたしまで移ってしまった。
「……あのっ……じゃ、失礼しますっ」
「えっ……ちょっと!」
呼び止めたものの、松原は振り返らず去っていった。
入れ違いでほーりーがデスクに戻ってくる。
「どうしたんですかっ?……顔赤いですよ?!」
「………………大丈夫、たぶん」
通常でも処理しきれない爆弾を落とされて、あたしは机に突っ伏してしまった。
***
14時の会議終わりのミーティングルーム。
片付け終えた資料を抱えたまま、あたしは扉のそばで足を止めた。
和巳が、璋を呼び止めたからだ。
「お前、最近変だぞ。……なんかあったのか」
「……何もない」
「嘘つけ。どうせ堀川絡みだろ」
図星なのか黙っている璋に、和巳が詰め寄る。
仕事に私情を挟むなは、確かに正論だ。
でも。
「……確かに和巳の言う通りよね」
「あたしの関西出向を知っても……平気だしね」
「え?」
璋の驚く視線が刺さるも、気にしない。
あたしはまっすぐに、和巳を見る。
あたしは資料を抱え直し、わざと平静を装った。
「ついでに言うと、松原にデート誘われたから」
「じゃ!お疲れっ!」
言い捨てて、ミーティングルームを後にする。
ちょっとは動揺したらいいのよ。
(……和巳、いつもと同じ……クールなままだった)
こんな子供じみたこと、”広報課のエース”のすることじゃない。
でも、今までどう接していたのか、分からなくなっていた。
(……仕事に集中しろ、雪乃)
璋の二の舞だけにはならないよう、いつも以上に神経を尖らせて業務に取りかかった。



