マクシミリアン・オルブライトにとって妹のエレオノーラは、とにかく目障りで仕方のない存在だった。
ひとつ年下でありながら、マクシミリアンよりも遥かに高い魔力適性を持ち、身体能力も非常に高いと聞いている。
そのせいで、マクシミリアンは幼い頃から惨めな思いばかりをしていた。
基礎的な訓練だけで疲労困憊してしまい、ベッドに倒れこんでいたマクシミリアンに当てつけるように、エレオノーラは日々の鍛錬のあと、必ず『お加減はいかがですか』と尋ねてきた。
同じ髪、同じ瞳、同じ顔。
なのに、褒められるのは祖母譲りの容姿ばかりの自分と、何をしても教師たちから褒められるばかりのエレオノーラ。
それが面白くなくて仕方がなくて、マクシミリアンはいつしか仮病を使って、訓練から遠ざかるようになっていた。
元々、色白の繊細な容姿をしている彼が、ちょっと表情を曇らせて体調不良を訴えれば、両親も使用人たちも顔色を変えて世話を焼いてくる。
エレオノーラが厳しい訓練に取り組んでいる間、柔らかなベッドの中で過ごす時間の、なんと甘美なことか。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしかマクシミリアンは周囲から『病弱な子ども』と扱われるようになっていた。両親はいっそう過保護になり、マクシミリアンの望みはどんなものでも叶えてくれる。
十二歳になる頃には、さすがに外で遊びたくもなってきたため、少しずつ体調が回復してきたように振る舞ってきた。
体を動かすようになれば、自然と食事の量も増えてくる。
両親に連れられ、ちょっとした旅行に出ることも増えたマクシミリアンに、教師たちは再び厳しい訓練を課そうとしてきた。
けれど、ずっと運動から遠ざかっていた体で魔導武器の訓練をしたところで、まともに動けるはずもない。無駄に疲れるのがいやで、再び体調を崩したふりをすれば、教師たちもそれ以上厳しく言ってくることはなかった。
魔獣と戦うための騎士や兵士ならば、オルブライト公爵家には充分な数が揃っている。マクシミリアンが自ら武器を手に取って戦わずとも、何も問題はないはずだ。
そう思っていた彼の平穏を脅かしたのは、やはりエレオノーラだった。
彼女が魔導武器の訓練でも、教師たちから非常に高い評価を受けていたことは知っている。
しかし、幼くして魔獣討伐の指揮を執ったエレオノーラが、ともに戦った騎士たちから尊崇の眼差しを向けられているのを見た瞬間、胃の底が焼けつくような不快感を覚えた。
このオルブライト公爵家を継ぐのは、嫡男であるマクシミリアンだ。
なのに、生意気でかわいげのかけらもない妹は、本来マクシミリアンがいるべき場所で、周囲からの賛辞や賞賛を、当然のように受け取っている。
なんという、身のほどを弁えない振る舞いだろうか。
妹なら妹らしく、常に嫡男であるマクシミリアンを立てて、その陰に控えているべきだ。いずれは他家に嫁ぐ身でありながら、自分の居場所を奪った彼女が憎らしくて仕方がなかった。
ときに厄介な魔獣の討伐に当たって泥まみれになり、傷だらけになっている姿を見たときには、心の底からざまあみろ、と溜飲が下がったものだ。
――そうして、ふと思う。
エレオノーラが自分のものを奪ったのだから、マクシミリアンが彼女のものを奪って何が悪い。
父にそう訴えれば、そのささやかな願いを当然のことと賛同してくれた。
聞けば、父の弟もエレオノーラと同じように、ろくに兄を立てることもない、とても生意気で配慮に欠けた人物だったのだという。
マクシミリアンにとって叔父にあたる彼は、若い頃にふらりと家を出ていって以来、一度も故郷に帰ってきていないらしい。
それでも、一族の年寄り連中の中には、いまだに叔父のことを懐かしげに語る者がいる。
オルブライト公爵家を継いだのは父だというのに、過去に叔父が討伐した魔獣の大きさや恐ろしさについて、まるでおとぎ話のように語るのだ。
まったく不愉快で仕方がないと吐き捨てた父は、もしかしたらそんな叔父の面影をエレオノーラやスタンリーに見ているのかもしれない。
『嫡男を立てることがない』弟妹を、父がひどく冷ややかな目で見ていることに気がついたとき、マクシミリアンは自分が正しかったのだと知った。
貴族の家における、嫡男の立場は絶対的なもの。
嫡男を軽んじる者は、たとえ同じ血を分けた弟妹だろうと許されない。
それ以来、エレオノーラがどれほど魔獣討伐任務で功績を挙げても、バカな娘だと笑っていられた。
しょせん女は、いずれどこかの家へ嫁がされるだけだ。それまでの間、せいぜい利用し尽くして捨ててやる。
そんなことを考えていたある日、グラッドストン伯爵が嫡男の出奔を受け、外で作った次男を自らの後継者としたという話を耳にした。
醜聞にまみれた、けれど古くより王家からの信任の厚い伯爵家。
財政状態も悪くなく、公爵家としては縁を結んでおいても損はない相手。
そんな伯爵家の新たな後継者が、元々はフリーの傭兵だったという情報を得たとき、マクシミリアンはこれだと思った。
聞けば、その次男――クリストファーという男は顔に醜い傷痕があり、気の弱い女性なら見ただけで卒倒してしまうほど恐ろしげな容貌をしているという。
後継者に指名されたのちも、近隣の領主たちへの挨拶回りすらまともにできない。
ろくな教育を受けていない、無礼で無能な元傭兵。
そんな男に、栄えあるオルブライト公爵家の娘を嫁がせてやるといえば、グラッドストン伯爵はどれほどの恩義を感じることか。
エレオノーラはマクシミリアンの妹だけあって、外見だけは文句のつけようのない美少女だ。
腰まで流れる癖のない銀髪に、涼やかなアイスブルーの瞳。
人形のように整った顔立ちに、日々魔獣討伐に従事しているとは思えないほど、女性らしい曲線を描く華奢な体。
――彼女を妻に迎えたなら、貴族社会の常識を何ひとつ知らないクリストファーは、きっとさぞ無作法で乱暴な扱いをしてくれるだろう。
無教養な物言いで彼女を傷つけ、混乱させ、その心も体もボロボロにしてくれるに違いない。
そんな素晴らしい未来を思い描いたマクシミリアンは、どうしてもそれを現実にしたくてたまらなくなった。
スタンリーも、すでに十五歳。魔獣討伐スキルもだいぶ向上してきたようだし、エレオノーラを今すぐ嫁に出したところで問題はない。
父に願い、クリストファーとエレオノーラの婚約が成立したときには、ひとり自室で快哉を叫んだ。あの生意気で小賢しい妹の未来が、どれほど苦難に満ちたものになるのだろうと想像するだけで、笑いが止まらなくなる。
(せいぜい足掻けよ、エレオノーラ)
マクシミリアンの意向を受けた父の命令により、エレオノーラは顔合わせと同時にグラッドストン伯爵家へ入り、あちらで行儀見習いをすることになった。
見ているだけで腹が立つ彼女の存在を、一刻も早く自分のテリトリーから消し去りたかったのだ。
しかし、だからといってグラッドストン伯爵家に入ったエレオノーラが、そう簡単に心を病んでしまっては面白くない。
彼女が長く苦しめば苦しむほど、いっそうマクシミリアンの溜飲が下がるというものだ。
自室でひとり、香り高いブランデーの入ったグラスを傾ける。
「……我が妹のことを、どうぞよろしくお願いいたしますよ。クリストファー・グラッドストンどの」
知らず、笑みが零れる。
本当に、気分がよかった。
ひとつ年下でありながら、マクシミリアンよりも遥かに高い魔力適性を持ち、身体能力も非常に高いと聞いている。
そのせいで、マクシミリアンは幼い頃から惨めな思いばかりをしていた。
基礎的な訓練だけで疲労困憊してしまい、ベッドに倒れこんでいたマクシミリアンに当てつけるように、エレオノーラは日々の鍛錬のあと、必ず『お加減はいかがですか』と尋ねてきた。
同じ髪、同じ瞳、同じ顔。
なのに、褒められるのは祖母譲りの容姿ばかりの自分と、何をしても教師たちから褒められるばかりのエレオノーラ。
それが面白くなくて仕方がなくて、マクシミリアンはいつしか仮病を使って、訓練から遠ざかるようになっていた。
元々、色白の繊細な容姿をしている彼が、ちょっと表情を曇らせて体調不良を訴えれば、両親も使用人たちも顔色を変えて世話を焼いてくる。
エレオノーラが厳しい訓練に取り組んでいる間、柔らかなベッドの中で過ごす時間の、なんと甘美なことか。
そんなことを繰り返しているうちに、いつしかマクシミリアンは周囲から『病弱な子ども』と扱われるようになっていた。両親はいっそう過保護になり、マクシミリアンの望みはどんなものでも叶えてくれる。
十二歳になる頃には、さすがに外で遊びたくもなってきたため、少しずつ体調が回復してきたように振る舞ってきた。
体を動かすようになれば、自然と食事の量も増えてくる。
両親に連れられ、ちょっとした旅行に出ることも増えたマクシミリアンに、教師たちは再び厳しい訓練を課そうとしてきた。
けれど、ずっと運動から遠ざかっていた体で魔導武器の訓練をしたところで、まともに動けるはずもない。無駄に疲れるのがいやで、再び体調を崩したふりをすれば、教師たちもそれ以上厳しく言ってくることはなかった。
魔獣と戦うための騎士や兵士ならば、オルブライト公爵家には充分な数が揃っている。マクシミリアンが自ら武器を手に取って戦わずとも、何も問題はないはずだ。
そう思っていた彼の平穏を脅かしたのは、やはりエレオノーラだった。
彼女が魔導武器の訓練でも、教師たちから非常に高い評価を受けていたことは知っている。
しかし、幼くして魔獣討伐の指揮を執ったエレオノーラが、ともに戦った騎士たちから尊崇の眼差しを向けられているのを見た瞬間、胃の底が焼けつくような不快感を覚えた。
このオルブライト公爵家を継ぐのは、嫡男であるマクシミリアンだ。
なのに、生意気でかわいげのかけらもない妹は、本来マクシミリアンがいるべき場所で、周囲からの賛辞や賞賛を、当然のように受け取っている。
なんという、身のほどを弁えない振る舞いだろうか。
妹なら妹らしく、常に嫡男であるマクシミリアンを立てて、その陰に控えているべきだ。いずれは他家に嫁ぐ身でありながら、自分の居場所を奪った彼女が憎らしくて仕方がなかった。
ときに厄介な魔獣の討伐に当たって泥まみれになり、傷だらけになっている姿を見たときには、心の底からざまあみろ、と溜飲が下がったものだ。
――そうして、ふと思う。
エレオノーラが自分のものを奪ったのだから、マクシミリアンが彼女のものを奪って何が悪い。
父にそう訴えれば、そのささやかな願いを当然のことと賛同してくれた。
聞けば、父の弟もエレオノーラと同じように、ろくに兄を立てることもない、とても生意気で配慮に欠けた人物だったのだという。
マクシミリアンにとって叔父にあたる彼は、若い頃にふらりと家を出ていって以来、一度も故郷に帰ってきていないらしい。
それでも、一族の年寄り連中の中には、いまだに叔父のことを懐かしげに語る者がいる。
オルブライト公爵家を継いだのは父だというのに、過去に叔父が討伐した魔獣の大きさや恐ろしさについて、まるでおとぎ話のように語るのだ。
まったく不愉快で仕方がないと吐き捨てた父は、もしかしたらそんな叔父の面影をエレオノーラやスタンリーに見ているのかもしれない。
『嫡男を立てることがない』弟妹を、父がひどく冷ややかな目で見ていることに気がついたとき、マクシミリアンは自分が正しかったのだと知った。
貴族の家における、嫡男の立場は絶対的なもの。
嫡男を軽んじる者は、たとえ同じ血を分けた弟妹だろうと許されない。
それ以来、エレオノーラがどれほど魔獣討伐任務で功績を挙げても、バカな娘だと笑っていられた。
しょせん女は、いずれどこかの家へ嫁がされるだけだ。それまでの間、せいぜい利用し尽くして捨ててやる。
そんなことを考えていたある日、グラッドストン伯爵が嫡男の出奔を受け、外で作った次男を自らの後継者としたという話を耳にした。
醜聞にまみれた、けれど古くより王家からの信任の厚い伯爵家。
財政状態も悪くなく、公爵家としては縁を結んでおいても損はない相手。
そんな伯爵家の新たな後継者が、元々はフリーの傭兵だったという情報を得たとき、マクシミリアンはこれだと思った。
聞けば、その次男――クリストファーという男は顔に醜い傷痕があり、気の弱い女性なら見ただけで卒倒してしまうほど恐ろしげな容貌をしているという。
後継者に指名されたのちも、近隣の領主たちへの挨拶回りすらまともにできない。
ろくな教育を受けていない、無礼で無能な元傭兵。
そんな男に、栄えあるオルブライト公爵家の娘を嫁がせてやるといえば、グラッドストン伯爵はどれほどの恩義を感じることか。
エレオノーラはマクシミリアンの妹だけあって、外見だけは文句のつけようのない美少女だ。
腰まで流れる癖のない銀髪に、涼やかなアイスブルーの瞳。
人形のように整った顔立ちに、日々魔獣討伐に従事しているとは思えないほど、女性らしい曲線を描く華奢な体。
――彼女を妻に迎えたなら、貴族社会の常識を何ひとつ知らないクリストファーは、きっとさぞ無作法で乱暴な扱いをしてくれるだろう。
無教養な物言いで彼女を傷つけ、混乱させ、その心も体もボロボロにしてくれるに違いない。
そんな素晴らしい未来を思い描いたマクシミリアンは、どうしてもそれを現実にしたくてたまらなくなった。
スタンリーも、すでに十五歳。魔獣討伐スキルもだいぶ向上してきたようだし、エレオノーラを今すぐ嫁に出したところで問題はない。
父に願い、クリストファーとエレオノーラの婚約が成立したときには、ひとり自室で快哉を叫んだ。あの生意気で小賢しい妹の未来が、どれほど苦難に満ちたものになるのだろうと想像するだけで、笑いが止まらなくなる。
(せいぜい足掻けよ、エレオノーラ)
マクシミリアンの意向を受けた父の命令により、エレオノーラは顔合わせと同時にグラッドストン伯爵家へ入り、あちらで行儀見習いをすることになった。
見ているだけで腹が立つ彼女の存在を、一刻も早く自分のテリトリーから消し去りたかったのだ。
しかし、だからといってグラッドストン伯爵家に入ったエレオノーラが、そう簡単に心を病んでしまっては面白くない。
彼女が長く苦しめば苦しむほど、いっそうマクシミリアンの溜飲が下がるというものだ。
自室でひとり、香り高いブランデーの入ったグラスを傾ける。
「……我が妹のことを、どうぞよろしくお願いいたしますよ。クリストファー・グラッドストンどの」
知らず、笑みが零れる。
本当に、気分がよかった。
