そう言うと、アンソニーがやんわりとほほえんだ。まるで幼い少年を見るような眼差しが、なんだかむかつく。
「クリストファーさまは、旦那さまに似なくて本当によろしかったですね。あなたさまなら、エレオノーラさまを泣かせるようなことは、決してなさらないでしょう」
「は、何言ってんの? そんなん、当たり前だよな? あのきれいでかわいくて超絶エクセレントなエレオノーラさまを泣かせるとか、そんな万死に値することをオレがするわけないからな?」
思わず真顔で断言すると、やはり真顔になったアンソニーが一歩下がった。物理的に引くとは、失礼な執事である。
少しの間黙って思案する素振りをしていた彼が、なるほど、と頷く。
それからアンソニーは、眉間に深い皺を寄せて見つめてきた。
「……なるほど。一目惚れ、というやつでございますか」
「おうよ。オレは心の底から、この家の跡継ぎになってよかったと思ったぞ。かわいいって、すごいな。ただ、エレオノーラさまの笑顔は、攻撃力が高すぎると思う。ちょっと、オレの心臓が保たなそうで怖くなるレベルだ」
大変真面目に言ったというのに、アンソニーが思いきり顔を引きつらせる。
「……クリストファーさま。お気をつけください。発言が、ものすごく知能指数が低い感じになっていらっしゃいます。正直、少々気持ちが悪いです」
この執事は、主の後継者に対して口が悪すぎると思う。
むっとしたクリストファーに、よそを向いて眉間を揉んだアンソニーがぶつぶつと呟く。
「まったく、初恋に浮かれる思春期の少年でもあるまいに。いくらエレオノーラさまが、あなたさまの婚約者としては本当にもったいないほど素晴らしい方であっても、さすがにお恥ずかしゅうございますよ」
「思春期じゃなくても初恋には変わりないんだから、少しくらい浮かれたっていいじゃないか」
エレオノーラが、自分にはもったいないほど素敵な女性であるということについては、まったく異論がないのでツッコまなかった。
しかし、思ったままを口にしただけだというのに、突然カッと目を見開いたアンソニーが、勢いよく振り返る。
少し離れたところで控えていた、ほかの使用人たちまでもが、信じがたいものを見る目を自分に向けてくるのを感じて、クリストファーは首を傾げた。
「なんだよ? どうかしたか?」
「いえ。申し訳ありません、クリストファーさま。あなたさまのご容姿と、傭兵育ちという経歴から、勝手なイメージを抱いていたことをお詫び申し上げ――」
不自然に言葉を切ったアンソニーが、ハッとした様子で顔を上げる。
「クリストファーさま。それはひょっとして、恋愛と女性遊びは別というお話でございますか?」
「ちょっと待て。キリッとした顔で、何を爛れたことを言ってるんだ、アンタは」
呆れながらどん引きするという器用なことをしたクリストファーに、アンソニーが迷っているような困惑しているような、複雑怪奇な顔をして問うてきた。
「……は? まさかとは思いますが、クリストファーさま。そんな『行きつけの酒場の女性なら全員抱いたぜ』と言わんばかりのご容姿で、女性とのお付き合い経験がない、などということは、おっしゃいませんよね……?」
「あ? なんだそりゃ。こちとら、基礎学校を卒業してすぐ男所帯の傭兵組織で、毎日訓練か寝るか魔獣と戦うかの生活をしてたんだぞ。ようやくフリーになって自由な時間が取れると思ったら、詐欺紛いの手口でこの家の後継者にさせられてんだ。そんなことをしてる暇があったと思うか?」
憮然として言い返すと、しばしの沈黙のあとアンソニーが片手で目元を覆って、くっと俯く。いったいどうした。
「……あの、クリストファーさま。大変、大変失礼な質問で恐縮なのですが……。あなたさまは、人間のお子というのがどのようにして生まれてくるかは、ご存じでいらっしゃいますか……?」
「……うん。とりあえず、アンタがオレをものすごくバカにしているのはわかったが、当たり前だろう。その辺はシュトラール傭兵団で、うんざりするほど教育されてきたからな」
ほんの十数年ほど前まで、傭兵といえば夜ごと酒場に繰り出して、大酒を食らっては女性絡みの騒動を起こすのが当たり前、という風潮だったのは、クリストファーも知っている。
しかし、時代の変化というのも当然あるが、当代シュトラール傭兵団団長の奥方が、そういった風潮による団内モラルの低さに、ある日ぷっつりキレたらしい。
見苦しい、の一言で団内の綱紀粛正を断行した彼女は、特に当時の団員たちの意識の低さに、大変憤慨したそうなのだ。
すべての団員たちを前に堂々と立ち、『聞け。おまえたちが今のような生活を続けた場合、将来は間違いなく、アルコール中毒の孤独死コース一直線だ』と予言――もとい脅迫したうえで、それがいやなら彼女が用意した教育プログラムを完遂しろ、と命じたのである。
「泌尿器科と産婦人科の医者が監修したテキストと動画を使った授業を、全二十四時間。その授業内容に関する筆記試験の合格ラインは、八割以上だ。……まあ、一番えげつなかった授業は、花街の現役遊女が講師のリアルすぎる体験談、ってやつだったけどな」
思わず遠い目をしたクリストファーに、アンソニーが一拍置いて恐る恐る問うてくる。
「ど……どのように、えげつなかったのですか?」
「下世話な話、統計がな……。遊女たちの傭兵の客に対する感想ランキング、不動のトップスリーが『ド下手』『臭い』『二度と来るな』だった」
アンソニーと使用人たちが、揃って黙りこむ。
重苦しい沈黙の中、クリストファーは淡々と続けた。
「あの授業を受けたうえで、気軽に花街へ遊びにいける傭兵はいないと思う。それくらい、無責任な女遊びをする気がゼロというか、マイナスになる授業内容だった」
「……それは、素晴らしいですね」
指先で顎に触れたアンソニーが、何やら考えこむ顔になっている。
そんな彼に、クリストファーは過去の経験を思い出すまま口を開いた。
「授業内容そのものは、かなりハイレベルだったと思うぞ。妊娠出産がどれだけ女性の体に負担が掛かるのか、めちゃくちゃ詳しく解説されたからな。妊産婦の正しいケアの方法やら、赤ん坊の世話の仕方まで教えられたし。さすがにミルクやりの実技はなかったが、人間の赤子サイズの人形で、オムツ替えや沐浴の訓練は一通り受けてきた」
なんと、とアンソニーが目を丸くする。
「驚きました。そこまできちんとした教育をされているのでしたら、シュトラール傭兵団の出身者は、さぞ若い女性たちからの人気が高いのでしょうね」
彼の推察に、少しの間記憶を辿ったクリストファーは、真顔で答えた。
「残念ながらシュトラールでは、女性との正しい接し方は教えてもらえたが、女性の正しい口説き方は教えてもらえなかった」
アンソニーたちが、「……あっ」と小さく声を零し、揃って可哀相なものを見る目を向けてくる。ちょっと、悲しい。
「クリストファーさまは、旦那さまに似なくて本当によろしかったですね。あなたさまなら、エレオノーラさまを泣かせるようなことは、決してなさらないでしょう」
「は、何言ってんの? そんなん、当たり前だよな? あのきれいでかわいくて超絶エクセレントなエレオノーラさまを泣かせるとか、そんな万死に値することをオレがするわけないからな?」
思わず真顔で断言すると、やはり真顔になったアンソニーが一歩下がった。物理的に引くとは、失礼な執事である。
少しの間黙って思案する素振りをしていた彼が、なるほど、と頷く。
それからアンソニーは、眉間に深い皺を寄せて見つめてきた。
「……なるほど。一目惚れ、というやつでございますか」
「おうよ。オレは心の底から、この家の跡継ぎになってよかったと思ったぞ。かわいいって、すごいな。ただ、エレオノーラさまの笑顔は、攻撃力が高すぎると思う。ちょっと、オレの心臓が保たなそうで怖くなるレベルだ」
大変真面目に言ったというのに、アンソニーが思いきり顔を引きつらせる。
「……クリストファーさま。お気をつけください。発言が、ものすごく知能指数が低い感じになっていらっしゃいます。正直、少々気持ちが悪いです」
この執事は、主の後継者に対して口が悪すぎると思う。
むっとしたクリストファーに、よそを向いて眉間を揉んだアンソニーがぶつぶつと呟く。
「まったく、初恋に浮かれる思春期の少年でもあるまいに。いくらエレオノーラさまが、あなたさまの婚約者としては本当にもったいないほど素晴らしい方であっても、さすがにお恥ずかしゅうございますよ」
「思春期じゃなくても初恋には変わりないんだから、少しくらい浮かれたっていいじゃないか」
エレオノーラが、自分にはもったいないほど素敵な女性であるということについては、まったく異論がないのでツッコまなかった。
しかし、思ったままを口にしただけだというのに、突然カッと目を見開いたアンソニーが、勢いよく振り返る。
少し離れたところで控えていた、ほかの使用人たちまでもが、信じがたいものを見る目を自分に向けてくるのを感じて、クリストファーは首を傾げた。
「なんだよ? どうかしたか?」
「いえ。申し訳ありません、クリストファーさま。あなたさまのご容姿と、傭兵育ちという経歴から、勝手なイメージを抱いていたことをお詫び申し上げ――」
不自然に言葉を切ったアンソニーが、ハッとした様子で顔を上げる。
「クリストファーさま。それはひょっとして、恋愛と女性遊びは別というお話でございますか?」
「ちょっと待て。キリッとした顔で、何を爛れたことを言ってるんだ、アンタは」
呆れながらどん引きするという器用なことをしたクリストファーに、アンソニーが迷っているような困惑しているような、複雑怪奇な顔をして問うてきた。
「……は? まさかとは思いますが、クリストファーさま。そんな『行きつけの酒場の女性なら全員抱いたぜ』と言わんばかりのご容姿で、女性とのお付き合い経験がない、などということは、おっしゃいませんよね……?」
「あ? なんだそりゃ。こちとら、基礎学校を卒業してすぐ男所帯の傭兵組織で、毎日訓練か寝るか魔獣と戦うかの生活をしてたんだぞ。ようやくフリーになって自由な時間が取れると思ったら、詐欺紛いの手口でこの家の後継者にさせられてんだ。そんなことをしてる暇があったと思うか?」
憮然として言い返すと、しばしの沈黙のあとアンソニーが片手で目元を覆って、くっと俯く。いったいどうした。
「……あの、クリストファーさま。大変、大変失礼な質問で恐縮なのですが……。あなたさまは、人間のお子というのがどのようにして生まれてくるかは、ご存じでいらっしゃいますか……?」
「……うん。とりあえず、アンタがオレをものすごくバカにしているのはわかったが、当たり前だろう。その辺はシュトラール傭兵団で、うんざりするほど教育されてきたからな」
ほんの十数年ほど前まで、傭兵といえば夜ごと酒場に繰り出して、大酒を食らっては女性絡みの騒動を起こすのが当たり前、という風潮だったのは、クリストファーも知っている。
しかし、時代の変化というのも当然あるが、当代シュトラール傭兵団団長の奥方が、そういった風潮による団内モラルの低さに、ある日ぷっつりキレたらしい。
見苦しい、の一言で団内の綱紀粛正を断行した彼女は、特に当時の団員たちの意識の低さに、大変憤慨したそうなのだ。
すべての団員たちを前に堂々と立ち、『聞け。おまえたちが今のような生活を続けた場合、将来は間違いなく、アルコール中毒の孤独死コース一直線だ』と予言――もとい脅迫したうえで、それがいやなら彼女が用意した教育プログラムを完遂しろ、と命じたのである。
「泌尿器科と産婦人科の医者が監修したテキストと動画を使った授業を、全二十四時間。その授業内容に関する筆記試験の合格ラインは、八割以上だ。……まあ、一番えげつなかった授業は、花街の現役遊女が講師のリアルすぎる体験談、ってやつだったけどな」
思わず遠い目をしたクリストファーに、アンソニーが一拍置いて恐る恐る問うてくる。
「ど……どのように、えげつなかったのですか?」
「下世話な話、統計がな……。遊女たちの傭兵の客に対する感想ランキング、不動のトップスリーが『ド下手』『臭い』『二度と来るな』だった」
アンソニーと使用人たちが、揃って黙りこむ。
重苦しい沈黙の中、クリストファーは淡々と続けた。
「あの授業を受けたうえで、気軽に花街へ遊びにいける傭兵はいないと思う。それくらい、無責任な女遊びをする気がゼロというか、マイナスになる授業内容だった」
「……それは、素晴らしいですね」
指先で顎に触れたアンソニーが、何やら考えこむ顔になっている。
そんな彼に、クリストファーは過去の経験を思い出すまま口を開いた。
「授業内容そのものは、かなりハイレベルだったと思うぞ。妊娠出産がどれだけ女性の体に負担が掛かるのか、めちゃくちゃ詳しく解説されたからな。妊産婦の正しいケアの方法やら、赤ん坊の世話の仕方まで教えられたし。さすがにミルクやりの実技はなかったが、人間の赤子サイズの人形で、オムツ替えや沐浴の訓練は一通り受けてきた」
なんと、とアンソニーが目を丸くする。
「驚きました。そこまできちんとした教育をされているのでしたら、シュトラール傭兵団の出身者は、さぞ若い女性たちからの人気が高いのでしょうね」
彼の推察に、少しの間記憶を辿ったクリストファーは、真顔で答えた。
「残念ながらシュトラールでは、女性との正しい接し方は教えてもらえたが、女性の正しい口説き方は教えてもらえなかった」
アンソニーたちが、「……あっ」と小さく声を零し、揃って可哀相なものを見る目を向けてくる。ちょっと、悲しい。
